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古今東西のアートのお話をしよう

黒澤明の“生きる”


黒澤明の“生きる”の名シーンと
いえば、渡辺(志村喬)が降りしきる雪の中、一人ブランコにのり息を引き取るシーンだろう



ブランコを漕ぎながら、
“ゴンドラの唄”を口ずさむ

“いのち短し 恋せよ乙女
あかき唇 褪(あ)せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日(あす)の月日は ないものを” 



ブランコに揺られ、歌う渡辺の瞳は清澄で幸せそうにみえる


俳句で“ブランコ”は春の季語。古代中国では冬至から105日後に訪れる「寒食節」というものがあり、ブランコを意味する鞦韆(しゅうせん)を女性たちが遊ぶ習わしで、春の季語になっている。

ブランコに乗って、“いのち短し 恋せよ乙女”と歌うのは、春ならば絵画になりますね。

しかし、映画は雪が降りしきる夜。

死にゆく渡辺の目には、街灯に照らされて降る雪は、満開の桜が散る中に、子供たちのはしゃぐ様子が見え、声が聞こえていたのではないか。


西行は、願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」と詠み、子供と遊ぶのが好きだった良寛の辞世は、「散る桜残る桜も散る桜」です。


渡辺は、胃癌末期で余命を宣告される。死を眼前に突きつけられ、もちろん辛く厳しいことである。
しかし、人は誰でも産まれた時から「寿命」という余命を宣告されている。誰もが、生きて、死ぬのである。半年後の死は不幸で、10年後ならば、幸福とは言えない。
「死」を意識することで「生きがい」が生まれる。

渡辺は、部下の“小田切とよ”の奔放な生命力と自身の余命から「散る桜残る桜も散る桜」をより強く感じ、「生きる」とは何なのかを知った。

ただし、この桜に対する日本人の感覚は、大戦中の「咲いた花なら散るのは覚悟 みごと散りましょ国のため」となり、“カミカゼ”に利用された記憶は、黒澤らが脚本を書いた、占領下では特に生々しく、忌避すべきものだっただろう。

ブランコにのる渡辺の背広に積もる白い雪は、どうしても散る桜に見えてしまう

さて、渡辺のブランコシーンは“ゴンドラの唄”だが、私なら散る桜の清澄な愛惜に似合う、ヘンデルの“私を泣かせてください Lascia ch'io pianga”を選びたい。
それも、花が愛惜に散るがごとし、ボーイソプラノで聞いてみたい。




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