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古今東西のアートのお話をしよう

東山逍遥 2

南禅寺塔頭の中でもひときわ 地味でスルーされる寺院 

金地院

しかし、

金地院庭園は国の特別名勝庭園

36件(京都10件)の一つなのです

特別名勝庭園とは庭園の「国宝」

金地院は、臨済宗の僧侶で徳川家康の側近(黒衣の宰相と云われる)金地院崇伝(以心伝心)が1605年再興開山した南禅寺塔頭
【参考】

以心伝心像 狩野探幽 江戸時代初期

将軍家お抱え筆頭絵師の探幽が描く、色彩の豪華さ、装飾性、はっきりした輪郭線は金地院崇伝の権勢を表していますね
「おぬしも惡じゃの〜」と言っているようなw w

金地院崇伝は、自身が住む金地院の設計施工を小堀遠州に依頼する

建立にあたっては、全国の大名から銘石が寄贈された

まさに「黒衣の宰相」ですね

遠州は「二条城二の丸庭園」の改修、御所の作庭などで多忙を極めていた

弟子の村瀬佐助、石組名人といわれた賢庭に実際の作庭を任せた

小堀遠州は設計図を描き、職能分離を行う合理的な造園手法を編み出した

1632年に庭園は完成するが、江戸にいた崇伝は完成に立ち会うことなく遷化した

国指定特別名勝 金地院庭園

方丈の前に広く白砂をしき、中央奥に蓬莱を置く
蓬莱を中心に左に「静」の亀島、右に「動」の鶴島 
「鶴亀蓬莱様式」の枯山水庭園
長寿にあやかった「鶴亀島」は室町時代に夢窓国師により池泉庭園に隆盛したが、その後忘れられた様式を小堀遠州が枯山水庭園に復活させた
「三尊石組」の左に燈籠
その前に巨大な「礼拝石」
三尊石組(釈迦三尊)の前に置かれた礼拝石ですが、実は庭園の右奥にある東照宮(家康を祀る神社)を意識している
【参考】
金地院東照宮
左に「亀島」 島の上の「柏槇」(びゃくしん)は巨大な盆栽 
石組の奥には雲のように盛り上がる木々の刈込が立体的造形を造っている

右に「鶴島」 手前には飛石
飛石は方丈前から開山堂に続いている

白砂に大曲の飛石が斬新な意匠

金地院には見学予約制の茶室「八窓庵」がある

これも小堀遠州の設計

【参考】

金地院を後に予約していた無鄰菴に向う
隣は京料理の老舗 瓢亭
無鄰菴は、明治29年(1896)に造営された政治家山縣有朋の別荘
庭園は山縣有朋の指示で七代目小川治兵衛により作庭された
近代日本庭園の傑作で国の名勝
小堀遠州の「自然をデザインする」庭園から七代目小川治兵衛の「自然に回帰する」庭園の代表作
日本庭園は、池泉庭園あるいは枯山水庭園であったが、無鄰菴における山縣有朋のコンセプトは彼が育った、山口県萩市の野山の風景だった
庭園の中心は琵琶湖疏水からひかれた「川」が小川や里山の風景
川の周りは明るい芝生の空間
威圧するような石組はなく、芝生に置かれたり、川の飛石になっている

母屋から庭に出る
母屋では飲み物と甘味の無鄰菴セットを頂きます(入園料セットで1,600円)

(ネット画像)
ほうじ茶どら焼きセット

瀬落ちに架かる石橋

芝生に野山の植物

苔の庭園

沢を表現した沢飛石

川の始まり 三段の滝

夢窓国師の庭(室町時代)ー 西芳寺庭園、天龍寺庭園
西芳寺のマニエリスムー金閣寺庭園、銀閣寺庭園
「禅の美意識―寺院修行の庭」

小堀遠州の庭(江戸時代)ー 二条城二の丸庭園、仙洞御所、南禅寺金地院庭園
「武家の美意識―綺麗さびの庭」

小川治兵衛の庭(明治大正時代)ー 無鄰菴、對龍山荘、旧古河庭園
「政財界の美意識ー自然回帰の庭」

小堀遠州は「自然を造形する」ことによる意匠性を追求した
これに対して、小川治兵衛は南禅寺界隈別荘庭園の作庭で「身近な自然」への回帰を表現した

それは、フランス近代絵画の新古典主義から自然主義的な印象派が誕生する流れを想起させる…
無鄰菴、期待以上の庭園でした
無鄰菴を後に街なかに戻る、麸屋町通の晦庵河道屋は定休日、明日が楽しみだ

遅い予約の居酒屋赤垣屋へ
近年大変な人気で、カウンター席も予約しないと入れない…

(以下ネット画像借用)
残っていたのは、大根、厚揚げ、こんにゃく、卵ぐらい…

おでんは出汁がきいて、一流の味
樽酒のお燗に合うね〜

京都一日目が終わる…

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