生死を交える戦国の世、利休により完成した“わび茶”の美学から古田織部、小堀遠州の茶の湯の美学を茶道具からひもとく
今回の展覧会では、その中より桃山時代から 江戸時代初期、茶の湯界をリードした千利休 (1522~1591)・古田織部 (1544~ 1615)・小堀遠州(1579~1647)の茶 道具を選び、それぞれの美意識を探ります。
近年の茶道史研究では、茶の湯の歴史を問い直す研究が多く発表され、著名茶人の「作られた伝 説」を見直し、「真実の姿」が追究されています。今 回の展示はその動きを視野に入れながらも、3人 の美意識を、利休の「わび・さびの美」、織部の「破格の美」、遠州の「綺麗さび」という従来の捉え方で展示を構成いたし ます。
茶道具という「物」そのものをご覧いただき、そ こから利休・織部・遠州の美意識を感じ取り、茶の 湯の美学という観点から3人の「真実の姿」に 想いを馳せていただきます。』展覧会パンフレットより
会場は展示室1から展示室7まで、三井家が収集(旧蔵)した茶道具の名品がならぶ
三井家は、伊勢松阪出身の三井高利(1622〜1694)が江戸日本橋に呉服店越後屋(現三越)を開いた事による
京都新町に仕入店と両替店の本部を置いた
当時の京都では、『茶の湯』は豪商の必須教養で高利も表千家と昵懇だったらしい
三井家の茶道具は、旧財閥の中で、質量とも傑出している
特に最初の展示室1(利休・織部・遠州の美意識)はため息が出る…
(展覧会は、展示室4のみ撮影可で、他はネット画像を借用しました)
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伊賀耳付水指 銘閑居 随流斎・了々斎在判 桃山時代16〜17世紀
まさに破格の造形、360度破格である!!
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伊賀耳付花入 銘業平
桃山時代16〜17世紀
ざらざらの正面の裏は、薬が虹のような色彩を出している
織部好みの2作品、なんという美意識でしょう
多視点、キュビスム、空間のゆがみを予見しているようにも感じる
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大井戸茶碗 銘須弥(別名十文字)
伝古田織部所持 朝鮮時代16世紀
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高取面取茶碗 小堀遠州箱書
江戸時代17世紀
展示室2
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国宝 志野茶碗 銘卯花墻
桃山時代16〜17世紀
展示室4
千利休の美意識=「わび・さびの美」
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右から
伝村田珠光 漁村夕照図と山水図
室町時代15世紀
唐物茶碗 銘波瀾 南宋〜元12〜14世紀
一休禅師に参禅し、“わび茶”の祖となった村田珠光
足利義政の同朋衆とも交わり水墨画もよくした
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千利休遺偈と利休像 千宗旦作
江戸時代17世紀
秀吉に切腹を命じられた利休が、大徳寺で修行中の孫宗旦に遺した遺偈(ゆいげ)といわれる、
「人生七十 力囲希咄 吾這寳剣 祖佛共殺 堤る我得具足の一太刀 今此時ぞ天に抛」
直接の意味は、
「人生七十年。 えい!やぁ!とう! 我がこの宝剣で、 祖仏も我と共に殺してしまえ、上手く使いこなすことのできる刀を引っさげて、 今、天にこの身を放つ」
川辺勝一氏によると、「人生七十にして悟るところあり、侘茶とは凄いものである、この侘茶の道を武器として天下に問い、雄飛せよ。」参照元∶日本美術刀剣保存協会四国讃岐支部「利休の遺偈 川辺勝一」一つの卓越した見解だと思います。
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千利休画像 卒啄斎利休遺偈
三井高祐・卒啄斎 寛政6年(1794)
三井高祐は室町三井家の出で、数寄者として茶道具の蒐集にも熱心だったようです
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聚楽第図屏風 桃山時代16世紀
利休は天正19年(1591)2月28日
聚楽屋敷にて自刃する