東京、新宿の先の荻窪
『大正から昭和初期にかけて
「西の鎌倉、東の荻窪」と称され、東京近郊の別荘地として発展
してきた歴史がある』
昭和戦前期に首相を3度務めた近衛文麿の荻窪にある旧邸「荻外荘(てきがいそう)」
ここで、1940年7月19日「荻窪会談」が開かれた

当時の荻外荘客間
左から近衛文麿次期総理、松岡洋右次期外相、吉田善吾海相、東條英機次期陸相
この会談後、第二次近衛内閣で、日独伊三国軍事同盟締結、全政党の解散、大政翼賛会が成立し、国家社会主義体制となり、第三次近衛内閣の後、太平洋戦争開戦となる

近衛文麿(1891-1945)
『藤原摂関家嫡流の近衛公爵家の長男として生まれ、昭和戦前期に内閣総理大臣を三度務めました。日米開戦後は、戦争の早期終結に奔走しますが、終戦後にGHQより逮捕令が発せられ、出頭期日の昭和20(1945)年12月16日早朝に荻外荘の書斎で自決しました。』荻外荘パンフレットより



『築地本願寺の設計などで知られる日本を代表する建築家・建築史家です。東京帝国大学を卒業後、辰野金吾のもとで法隆寺の建築を調査し、その様式がギリシャ建築に通ずると論じました。昭和18(1943)年、建築学の分野で初の文化勲章を授与されています。』荻外荘パンフレットより


「近衛」の表札がかかる正門









現在の荻外荘客間

変わっていませんね
『荻外荘は、 1927(昭和2)年に大正天皇の侍医・入澤達吉の別邸として建てられました。 設計は日本最初の建築史家としても活躍した建築家の伊東忠太(入澤の義弟)です。
1937 (昭和12)年には入澤より譲り受けた政治家・近衛文麿が移り住み、さまざまな政治の舞台となっていきます。
2016(平成28)年に国の史跡として指定されました。』荻外荘パンフレットより
約7年かけて解体補完工事を実施し、ほぼ創建当時の姿に戻り、2024.12.9より一般観覧が開始された

伊東忠太(1867―1954 )
では、荻外荘を見学します…


「近衛」の表札がかかる正門

玄関、応接室へ
玄関

応接室
玄関、応接室は中国風の意匠で統一されており、当初の施主入澤達吉と入澤の義弟で建築家の伊東忠太の趣味と意向によるものだろう
龍の天井画
中国の書家の画だそうです

床のタイルは、伊東忠太のデザインで龍のレリーフのタイルが配置されています
オリジナルのタイルも残されています
廊下を通って客間へ
食堂
客間、食堂から芝庭が見渡せる広縁
ガラス窓の木枠意匠が素敵です
居間の隣が、荻外荘で最も美しい部屋―書斎
天井の高い洋室であったが、近衛が首相を退いたあと和室に改修した


茶室を思わせる、平天井と斜めに傾斜した掛込天井が見どころ

近衛の寝室として利用されていた
GHQから戦犯容疑ための出頭期日である1945(昭和20年)12月16日早朝、近衛はこの部屋で青酸カリによる服毒自決をした
隣の和室で、おひなさま展示

