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古今東西のアートのお話をしよう

日本美術・西洋美術・映画・文学などについて書いています。

迎春 令和六年 

2024-01-01 15:44:34 | 日記風&ささやかな思索・批評カテゴリー

何年ぶりかで、紅白歌合戦を観た

石川さゆりも椎名林檎もMISIAも、
YOASOBI、Ado、あいみょんの前では霞んでしまう

なんという時代だろう!!


紅白でこの音程リズム
新しい時代が来たと、
言わざるを得ない




PERFECTDAYS』の役所広司をまねて、公園の木漏れ日を撮ってみた

皆様のご健康とご多幸を
お祈り申し上げます

令和六年元旦


ニーナ・シモンFeeling Good

It’s a new dawn, it’s a new day,
 it’s a new life for me
And I’m feelin’ good




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東京小石川 散策

2023-12-19 10:59:14 | 日記風&ささやかな思索・批評カテゴリー
現在の文京区、本郷、小石川周辺は江戸時代には大名屋敷、武家屋敷と寺社が多くあり、街道、門前には商業が発展していた。
そんな江戸の庭園を逍遥してみた。
●小石川植物園
小石川の館林藩下屋敷で育った藩主松平徳松が5代将軍、徳川綱吉(1646〜1709)となり、1684年に小石川御殿内の北側に幕府の「小石川御薬園」を設けた。明治になり東京帝国大学の附属植物園となる。
ジャングルに銀杏!?

精子発見のソテツ

本館 内田祥三設計 1939年
内田祥三(1885〜1972)は建築家で東京帝国大学総長。東大安田講堂などを設計。

日本庭園に下りる
館林藩下屋敷(白山御殿)庭園跡
国指定名勝

旧東京医学校本館(重要文化財)
東大構内にあった建物を移築再建

庭園端から旧東京医学校本館を眺める

メタセコイヤ林

植物園を出る🚶
茗荷谷から後楽園へ

●小石川後楽園
水戸徳川家の江戸屋敷の中に造営された庭園で、二代(1628〜1701)の代に完成
国指定特別名勝、特別史跡

後楽園とは、漢詩「先天下之憂而憂 後天下之楽而楽」から、忠臣の国を思う情を表す。即ち「天下の憂いに先立ち憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」水戸藩の徳川家に対する忠義を表している。
中国風内庭

初代水戸藩主徳川頼房は、京都、近江、駿河の景勝地を模した日本庭園に、二代徳川光圀が明から亡命していた儒学者「朱舜水」の意見を取り入れ、「西湖の堤」「円月橋」など中国風物を加えた。

嵐山の風景を模す

通天橋より嵐山を眺める
円月橋

小廬山の曲線が美しい

後楽園から駒込へ
●六義園
5代将軍徳川綱吉(1646〜1709)の側用人で譜代大名の柳沢吉保(1658〜1714)が江戸屋敷として自ら設計・指揮して造営した。
紀州の景勝地「和歌浦」をモデルとした回遊式築山泉水庭園。

妹山・背山
中の島の築山 中央の立石が陽石で左が妹山、右が背山 古代、女性を妹、男性を背と呼んだ 男女の間柄を表す
蓬莱島
明治期六義園を一時所有していた岩崎家により設置された
つつじの紅葉

右に陰石(陰陽石) 左に陽石とも見える

六義園には子孫繁栄を意味する男女交合の象徴が見られる

つつじ茶屋付近の紅葉は、先日訪ねた京都東福寺のそれより美しかった

山陰橋

渡月橋

小石川植物園は、近世の大名庭園、小石川御薬園、小石川療養所、明治の東京大学付属植物園と江戸から明治の歴史に残るユニークな場所で、黄葉した銀杏の巨木が印象深い。
小石川後楽園と六義園は、東京に3ヶ所(あと一つは、浜離宮庭園)ある特別名勝の大名庭園の二つである。
今回は特に、六義園の紅葉に心引かれた。

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鎌倉 二階堂

2023-12-15 06:54:33 | 日記風&ささやかな思索・批評カテゴリー

瑞泉寺庭園は小さいながら、
夢窓疎石の
立体的構成力、想像力が創り出す、
気宇壮大な大庭園である。



瑞泉寺庭園から2つの橋をわたり、庭園の山頂に※偏界一覧亭が建つ

偏界一覧亭は、夢窓疎石が1328年に庭園の山上(錦屏山)に建立した。
一覧亭から、富士を正面に裾野に相模湾を望む絶景が拡がる。
ここに、鎌倉五山の僧が集まり詞会が開かれ、五山文学の拠点となった。




夢窓疎石坐像 南北朝時代 重要文化財 瑞泉寺蔵


前もまた重なる山の庵にて梢に続く庭の白雲

疎石が偏界一覧亭で詠んだものと伝えられている。気宇壮大な借景庭園である。

※偏界一覧亭の偏は彳である

江戸時代、荒れ果てた「偏界一覧亭」をみた水戸光圀が、堂と東屋を建て、そこで ※『新編鎌倉志』を編纂させたといわれている。

※『新編鎌倉志』は、江戸時代の地誌。貞享2年(1685)に刊行。水戸光圀が命じて編纂した鎌倉の地誌で、光圀自身が鎌倉を旅行した際の見聞記を基に作製された。全8巻12冊。


非公開の偏界一覧亭ですが、
一般社団法人 鎌倉同人会
https://www.kamakura-doujin.com/12kaikouza.html 』
さんのホームページから貴重な「瑞泉寺一覧亭と富士」の記事をご紹介させていただきます。


夢窓疎石は、方丈書院の岩庭を下段の庭とし、錦屏山山頂に至る18曲がりの山路を上段の庭として石組を含めて作庭したと思う。偏界一覧亭に至る上段の庭が観られないのは甚だ残念である。
(西芳寺の上段の庭も現在は非公開)




鎌倉同人会の皆様が偏界一覧亭を目指し岩壁を上る




頂上に建つ、偏界一覧亭は昭和に再建された




偏界一覧亭から望む富士

前もまた重なる山の庵にて梢に続く庭の白雲』夢窓疎石



天女洞の右の岩の割目は、人工的な滝で山の上の天水を貯めた池から、要に応じて水を流す



水が流れ滝が出現する

写真は、一般社団法人 鎌倉同人会さんのホームページから


【参考】

夢窓疎石が中興開山し、作庭した西芳寺(苔寺)庭園は、世界最高峰の庭の一つとされる


(ネット画像借用)
西芳寺 上段の庭 枯滝石組
最古の枯山水石組とされる



上下二段の庭園は、瑞泉寺が
元になっている。

そう思うと、是が非でも、
非公開の十八曲がりの路を歩き、
偏界一覧亭から富士を
眺めてみたい。


瑞泉寺庭園は小さいながら、
夢窓疎石が作庭した、
気宇壮大な大庭園である。



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東京小石川 散歩

2023-12-14 23:36:02 | 日記風&ささやかな思索・批評カテゴリー
現在の文京区、本郷、小石川周辺は江戸時代には大名屋敷、武家屋敷と寺社が多くあり、街道、門前には商業が発展していた。
そんな江戸の庭園を逍遥してみた。
●小石川植物園
小石川の館林藩下屋敷で育った藩主松平徳松が5代将軍、徳川綱吉(1646〜1709)となり、1684年に小石川御殿内の北側に幕府の「小石川御薬園」を設けた。明治になり東京帝国大学の附属植物園となる。


精子発見のソテツと銀杏

本館 内田祥三設計 1939年
内田祥三(1885〜1972)は建築家で東京帝国大学総長。東大安田講堂などを設計。


日本庭園に下りる

館林藩下屋敷(白山御殿)庭園跡
国指定名勝

旧東京医学校本館(重要文化財)
東大構内にあった建物を移築再建

庭園端から旧東京医学校本館を眺める

公開温室では…
(ネット画像借用)
温室では世界最大の花といわれる※”ショクダイオオコンニャク“小石川植物園では13年ぶりの開花とのことで話題に!!
※ショクダイオオコンニャクはインドネシア西部にあるスマトラ島原産のサトイモ科の植物。花などが集まってできた「花序」と呼ばれる部分が、高さ3メートルを超えるものもあり、最も大きな花の1つと言われている。単独の花では”ラフレシア”が最大。虫をよぶため、どちらも強烈な異臭を放つ。

本館入口のポスター
12月17日まで、付属の柴田記念館で「牧野富太郎と小石川植物園」展もやってます!

植物園を出る🚶

茗荷谷から後楽園へ
●小石川後楽園
水戸徳川家の江戸屋敷の中に造営された庭園で、二代徳川光圀(1628〜1701)の時代に完成した。国指定特別名勝、特別史跡

後楽園とは、漢詩「先天下之憂而憂 後天下之楽而楽」から、忠臣の国を思う情を表す。即ち「天下の憂いに先立ち憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」水戸藩の徳川家に対する忠義を表している。

中国風内庭

初代水戸藩主徳川頼房は、京都、近江、駿河の景勝地を模した日本庭園に、二代徳川光圀が明から亡命していた儒学者「朱舜水」の意見を取り入れ、「西湖の堤」「円月橋」など中国風物を加えた。

(ネット画像借用)
大泉水 蓬莱島 徳大寺石

大泉水周辺

嵐山の風景を模す

通天橋より嵐山を眺める

後楽園から駒込へ

●六義園
5代将軍徳川綱吉(1646〜1709)の側用人で譜代大名の柳沢吉保(1658〜1714)が江戸屋敷として自ら設計・指揮して造営した。
紀州の景勝地「和歌浦」をモデルとした回遊式築山泉水庭園。

妹山・背山
中の島の築山 中央の立石が陽石で左が妹山、右が背山 古代、女性を妹、男性を背と呼んだ 男女の間柄を表す
蓬莱島
明治期六義園を一時所有していた岩崎家により設置された


滝見茶屋

つつじ茶屋付近の紅葉

山陰橋

渡月橋

小石川植物園は、近世の大名庭園、小石川御薬園、小石川療養所、明治の東京大学付属植物園と江戸から明治の歴史に残るユニークな場所で、黄葉した銀杏の巨木が印象深い。
小石川後楽園と六義園は、東京に3ヶ所(あと一つは、浜離宮庭園)ある特別名勝の大名庭園の二つである。今回は特に、六義園の紅葉に心引かれた。

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鎌倉二階堂散策

2023-12-09 00:51:20 | 日記風&ささやかな思索・批評カテゴリー

鎌倉二階堂の名は、奥州平泉の中尊寺に由来する。

頼朝が、奥州平定(1189)で犠牲になった、義経、藤原泰衡らの霊を供養するため、平泉中尊寺大長寿院の二階堂(二階建ての伽藍)を模して、※大倉御所から鬼門となる北西の地に、永福寺(ようふくじ)を建立(1192頃)した。

伽藍は、二階堂を中心に、薬師堂、阿弥陀堂を両翼に並べる壮麗な寺院で、正面には毛越寺庭園のような浄土庭園が広がっていた。


※大倉御所は、鎌倉幕府の行政の中心となる場所で現在の清泉小学校付近。

永福寺再現予想CG


現在の永福寺跡は市の公園として整備され、近所の子供たちの格好の遊び場となっている。


展望台より眺める永福寺跡
二階堂跡の一角で子供たちが遊んでいる


現在の二階堂入口には、明治天皇大塔宮・護良親王(1308〜1335年)
の御霊を祀るために創建された鎌倉宮が鎮座している。ここには鎌倉時代、東光寺という寺があり、足利尊氏との争いに敗れた護良親王が流罪となり、幽閉された土牢があった。この地で殺害された護良親王は、28 年という短い生涯を終える。

鎌倉宮

護良親王が幽閉された土牢
(ネット画像借用)

鎌倉宮を右に向かうと瑞泉寺、左に向かうと覚園寺がある。

覚園寺は、1218年二代執権北条義時が建てた阿弥陀堂が始まりの寺。

拝観受付より先の境内は、写真撮影禁止となっていますが、鎌倉の紅葉の名所です。


(ネット画像借用)

阿弥陀堂には、重要文化財の阿弥陀如来、日光月光菩薩、十二神将が祀らています。


鎌倉宮に戻り、瑞泉寺へ

瑞泉寺は、夢窓疎石(国師)を開山に1327年に創建されたました。
国師は、鎌倉石の岩盤を掘り、庭園を造りました。庭園には上段の庭があり上下二段構成の庭は、西芳寺(苔寺)1339年の魁となるもので、足利義満が建てた鹿苑寺・金閣の庭園にも引き継がれています。


瑞泉寺の入口には梅園が広がる



本堂前の前庭

本堂

庭園の右手には天水を貯めた池から任意に水を流す滝があり、水分石が置かれている

鎌倉石の岩盤を掘り(天女洞)、水月観をなす道場とした。天女洞の正面に池(貯清池)を造り、彫り残しを島とした。夢窓疎石が作庭した「岩庭」である。

左に2つの橋をかけ、上段の庭(非公開)に渡る道がある

上段の庭に向う路から貯清池を眺める

(2枚ネット画像借用)


瑞泉寺HPより

山頂に建つ「偏界一覧亭」ここから、鎌倉の山並、箱根の山々、富士の裾野に相模湾を自然の池となす、借景の大庭園を見ることができるそうです。
夢窓疎石はここで座禅を行い、ある時は鎌倉の禅僧が集まり五山文学の拠点となった。

二階堂の奥にある瑞泉寺。観光客はほとんど訪れない寺ですが、夢窓疎石の「岩庭」は極めてユニークな彫刻的日本庭園で、西芳寺庭園に伍す名園だと思います。お庭好きさんにお勧めします。


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