瑞泉寺庭園は小さいながら、
夢窓疎石の
立体的構成力、想像力が創り出す、
気宇壮大な大庭園である。
瑞泉寺庭園から2つの橋をわたり、庭園の山頂に※偏界一覧亭が建つ
偏界一覧亭は、夢窓疎石が1328年に庭園の山上(錦屏山)に建立した。
一覧亭から、富士を正面に裾野に相模湾を望む絶景が拡がる。
ここに、鎌倉五山の僧が集まり詞会が開かれ、五山文学の拠点となった。
夢窓疎石坐像 南北朝時代 重要文化財 瑞泉寺蔵
『前もまた重なる山の庵にて梢に続く庭の白雲』
疎石が偏界一覧亭で詠んだものと伝えられている。気宇壮大な借景庭園である。
※偏界一覧亭の偏は彳である
江戸時代、荒れ果てた「偏界一覧亭」をみた水戸光圀が、堂と東屋を建て、そこで ※『新編鎌倉志』を編纂させたといわれている。
※『新編鎌倉志』は、江戸時代の地誌。貞享2年(1685)に刊行。水戸光圀が命じて編纂した鎌倉の地誌で、光圀自身が鎌倉を旅行した際の見聞記を基に作製された。全8巻12冊。
非公開の偏界一覧亭ですが、
『一般社団法人 鎌倉同人会
https://www.kamakura-doujin.com/12kaikouza.html 』
さんのホームページから貴重な「瑞泉寺一覧亭と富士」の記事をご紹介させていただきます。
夢窓疎石は、方丈書院の岩庭を下段の庭とし、錦屏山山頂に至る18曲がりの山路を上段の庭として石組を含めて作庭したと思う。偏界一覧亭に至る上段の庭が観られないのは甚だ残念である。
(西芳寺の上段の庭も現在は非公開)
【参考】
最古の枯山水石組とされる
上下二段の庭園は、瑞泉寺が
元になっている。
そう思うと、是が非でも、
非公開の十八曲がりの路を歩き、
偏界一覧亭から富士を
眺めてみたい。
瑞泉寺庭園は小さいながら、
夢窓疎石が作庭した、
気宇壮大な大庭園である。