たいだい。のいつまで続くの?

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結婚恐怖症?

2005年09月11日 | 妄想コラム
 テレビドラマ『いま、会いにいきます』を見ていると、運命の人に巡り会えた幸せ、心から愛する人を大事にすることの幸せを感じ、自分もこんな人に出会えたらなあ、一生をかけて愛する運命の人と結婚できたらなあと思うのだが・・・

 現実の世界はどうか。

 ぼくの姉も、周りの友達も決して幸せいっぱいの結婚生活を送ってはいない。いや、むしろ困難ばかりの結婚生活だ。

 愛し合って結ばれた二人が時間がたつとこうも冷めた関係になってしまうのかと正直呆然としてしまう。ほとんど会話のない夫婦。身体を触られることすら嫌悪感を覚えてしまう。休日家にいるだけでストレスが溜まる。一切家事をすることなく、三度の飯が出されて当たり前の顔をしている。そのうえ家事についてあれこれ指図をする。ああ、こんなはずじゃなかった~!と綾小路きみまろよろしく、愚痴の雨嵐。

 不満はパートナーに対してだけではないだろう。子供が生まれると育児への不安が生じ、成長するにつれ子育てに悩む。さらに姑や家族と同居している家ならなおさらストレスが増える。ほんとうに結婚って大変だなあと思う。

 ぼくの理想は「一生ラブラブな夫婦。おじいちゃん、おばあちゃんになっても愛し合う夫婦」でいたいと思う。でもこれってかなり難しいんだろうなあとも思う。

 ラブラブ状態の恋人から結婚生活が始まってもその愛情がいつまでも続くのは難しい。長い年月を経て、いい意味でも悪い意味でも「空気」のような存在になっていく。それを良し悪しでは判断は出来ない。毎日顔を合わせるとどうしてもお互いを思いやる気持ちが薄れていくのもしょうがない。

 しかし、だ。果たしてそれでいいのだろうか?ぼくは思うんだけど、何も
「好きだ。愛してる。」とはとてもじゃないけど恥ずかしくて言えないだろう。でも、「ありがとう」とは言えるんじゃないだろうか。ちょっとしたことでいい。料理を作って出されたら、「美味しいなあ。いつもありがとう。」リモコンを取ってもらったら「ありがとう。」お風呂が沸いたら「ありがとう。」ほんとうに些細なことかもしれないが、これを言う、言わないでは天と地ほどの差がある。

 ぼくは9年前に母を亡くしたが、今から振り返ってみて母に対して「ありがとう」と言ったことは皆無だった。母は家のことをして当たり前。恐れらくそれはぼくだけじゃなく、父も姉も妹も同じだっただろう。母がいない今、料理、洗濯、掃除をしてみて思うのだ。1年365日、結婚してから毎日何十年もこれをしていたことに改めて母の凄さを感じる。しかも母は何一つ愚痴をこぼしたことはない。それを当然のようにこなしていた。だから一緒に住んでいる家族の誰一人としてそれを感謝することはなかった。

 そう思うとほんとうに親不孝だったと反省している。もし母が病気で寝込んでしまうような体の弱い女性だったら、その時に気づいていたかもしれないが、母は病気で入院することもなく、寝込むこともなく、もくもくと家事をする、そんな女性だった。

 もしぼくがこれから愛する人と出会い結婚することになったら、決して母の二の舞だけはさせたくない。いまこうして誓いを立てても何がきっかけで破綻してしまうかもしれないが、少なくとも感謝の心をパートナーに抱かなくなるような夫にだけはなりたくない。

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2 コメント

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初めまして。 (ひな)
2005-09-11 20:10:41
初めまして。ひなと申します。



共感できたので書き込みしてみました。

私も「結婚」がそんなに幸せな事には思えなくてもういいトシなのに結婚はしたいと思いません。

私の結婚理想像もおじいちゃんおばあちゃんになってもそばにいたいって思える事なんです。

いくつになっても寄り添って一緒にいたいと思える人となら結婚してもいいかなあって思います。



「ありがとう」の感謝の言葉。毎日の生活の中では些細な事かもしれないけど一番大事な事ですね。

生活が当たり前に変わってしまうと思いやりの気持ちが薄れてしまうのかも知れません。

小さな事でも感謝の気持ち忘れないようにしようと思いました。



「主夫」頑張って下さいね。
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なかなか (たいだい。)
2005-09-12 19:28:01
 ひなさん、コメントありがとうございます。



 今後自分にどのような縁があるか分からないけど、1つ1つの出会いを大事にしていきたいと思います。
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