なんで、いきなり?って思う人もいるかもしれないけど
ちょっと、ある考えがあって、ね。
ボクは学生時代、
「死」というものがやけに怖かった。
この広い宇宙の中で「死ぬ」ことによって
自分自身の存在や、意識やらが一切合財無くなっちゃうってことにね
やけに恐怖を感じてたんだ。
「死」=「無」っていう方程式ね。
んで、「死」とは何かってことを頭の隅っこで、いつも、考えてた。
宗教の嫌いなところは
そのあたりを、すべて、安易に「神」に結びつけちゃってるところだね。
思考を止めちゃってるというか、
安直過ぎるというか・・・。
機能的にはなんら変わらないのに
「生きてる」状態と、「死んでる」状態があるっていうのは
なんかしら、「エネルギー体」が関係してるんだろうけど
すぐに、「神」とか、「霊魂」とか、「あの世」とかって・・・
ちょっと、簡単に答えを出しすぎてるというか、
それを、そのまま、やみくもに信じろといわれても、ねえ・・・。
ま、とにかく、
そんなことを、いろいろ情報を集めたりして考えてたら
ハッと気づいたことがありまして。
それは・・・
精子と卵子って「生きてる」まま受精して
新しい個体になっていきますよねえ。
すなわち、
ずーっと昔、「生命」がうまれて
いろんな進化を繰り返し、
さまざまな種に枝分かれしてきても
「生命」自体は、今日まで一度も死んでないじゃないかっ!て、ひらめいたんだ。
個体個体で考えてたボクにとったら
これは、もう、とんでもなく画期的な考え方だったわけですよ。
これを、学生時代に思いついて
「連綿と続く生命体論」なんて名づけて
今じゃあ、それを「宇宙」にまでひろげて考えてるわけです。
宇宙も、「生命体」なんじゃないかって、ね。
んで、生命エネルギーは
最近、注目されてる「ダーク・マター」なんじゃないかって
めぼしをつけてるんであります。
が、
この話は、はじめると、また長くなっちゃうんで
この辺で終わりにしときますです、ハイ。
>生きてるものは
>みんな自分自身なんだもんね、大まかに言えば。
ここ好きです。絵も好きです。
子供の頃細胞てのを知った頃、巨人の細胞の中に宇宙はあって、その中に自分は居るから、自分の中にも宇宙があって、、、、(延々...)というのをずっと考えてた時期がありましたが、まんざら今も昔も感じてることは変わらないなぁ、と、ふと思い出してました。(笑)
いや~巨人の細胞の話、まんざら間違いじゃないかもしれませんよ。
ボクラのおなかの中に住んでる細菌たちは、ボクラが生き物だと思ってないでしょうからねえ。
あまりにもサイズが違うと
よくわかんなくなりますもんね(笑)