疲れが相当たまってたのか
今日は一日中寝ておりました。
掃除も食事もすべて
妻任せで
彼女にはホント
感謝しております。
今日は「在りし日の歌」に収録された「言葉なき歌」。
「あれはとほいい処にあるのだけれど
おれは此処で待っていなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱の根のやうに仄かに淡い
決して急いではならない
此処で十分待っていなければならない
処女(むすめ)の眼のやうに遙かを見遣ってはならない
たしかに此処で待っていればよい
それにしてもあれはとほいい彼方で夕陽にけぶっていた
号笛(フィトル)の音のやうに太くて繊弱だった
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待っていなければならない
さうすればそのうち喘ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違ひない
しかしあれは煙突の煙のやうに
とほくとほく いつまでも茜の空にたなびいていた」
「あれ」っていうのは何を指すかっていうのは
いろんなヒトが意見を述べてるんだけど
ボクが感じるのは
「感じたこと」をうまく表現する「言葉」というか、
「言葉」に振り回されない「表現の仕方」というか、
「感じるまま」にそこで浸っていれば
そのうち、パッとひらめく言葉が生まれるから
それまではその「感じたこと」に向き合ってなくちゃいけないんだってことが
言いたいんじゃないかって思うんだ。
「あれ」っていうのは「ひらめいた」言葉や表現の仕方だと思うんだけど・・・。
とにかく、変わった言い回しや技巧なんかを駆使するんじゃなくて
「感じたこと」を大事にするんだってね。
そうしたら、使い古された「言葉」でも
その「感じたこと」にあわせて
独自の表現の仕方が生まれ出てくるっていう考え方を
この詩で伝えたいんじゃないかって思う。
だから「言葉なき歌」なんだよね、タイトルが。
言葉にする以前の「感覚」が大事なんだって、ね。
これは詩に限らず
絵や音楽なんかの芸術全般に当てはまることなんじゃないかって思うんだけど。
ホント、「技巧」じゃないんですよ。
自分の想いが一番大切なんだよね。
その想いにぴったりする表現ってのは
別に新しいとか古いとかってのは関係なくて
いかに「自分の想い」にぴったりしてるかどうかだけ、
考えれば良いわけであって、ね。
とまあ、要はヒトの評価なんて
気にすんなよって言いたいんでありまする。
この詩、どのくらい過去、見据えてきた「あれ」へ、誠実に彼が距離をはかってきたかが伝わってくるようですね。
いつもこちらでは、とてもいい刺激を受けています。素敵な記事を、ありがとうございます(^^)。まっすぐなものってよいなー!と初心に帰りました。fu-taroさんの絵のまっすぐさが大好きです。
ただ、ボク自身、まっすぐかどうかは
自信がないです・・・。
なんせ、相当汚れてますからねえ(笑)
あんまり、コメント書けてないんですが、まつこさんの作品にもすごく刺激を受けてますよ。
宮沢賢治じゃないですけど
「心象風景」ってかんじが
すごく漂ってきますからね。
これからも、お互いにがんばっていきましょう!