晴れた休日は自転車に乗って! (akio)

古希も過ぎた爺の「気楽な自転車散歩」やチョット頑張った「サイクリング」の備忘録(ボケ防止かな?)

乗蓮寺(東京大仏)へ

2017-12-08 17:09:44 | ポタリング・サイクリング・自転車

今日は雨とのこと、しかし直ぐに降りそうにない!!

先日も前を通ったけれど・・・

最近では、「御朱印ポタ」も遠のいているので、では「乗蓮寺(東京大仏)」に「御朱印」を頂きに行きます。

確か最初に行ったのは「大仏」が出来た頃、その後は数回寄ったかな。


10時10分頃に出発します。

大泉~成増に出て、R254号線(川越街道)の「成増小学校交差点」を左折し、走って行くと「赤塚山 乗蓮寺(東京大仏)」の近くに出る。

到着すると10時50分です。

駐輪場も、この通りあります。

では境内に入ります。

乗蓮寺(じょうれんじ)は、「東京都板橋区赤塚五丁目にある浄土宗の寺院。東京大仏(俗に赤塚大仏とも)があることで知られている。

「応永年間(1394年 - 1427年)に了賢無的が山中村(現在の板橋区仲町)にて人々に教えを伝えるために創建したと伝えられている。その後、江戸時代の初期のころまでに板橋区仲宿に移転した。当時は孤雲山慶学院乗蓮寺と称していた。後に慶学山乗蓮寺になった。当寺院は、郷主・板橋信濃守忠康の菩提寺になるなど人々から信仰を得ていた。天正19年(1591年)に徳川家康から十石の朱印地が寄進され、その後も歴代の将軍から朱印地が与えられ格式ある寺院となった。また八代将軍・徳川吉宗の鷹狩の際の休憩所・お膳所としても使われた。その後も長く仲宿の地にあったが首都高速道路の建設と国道17号の拡幅により、昭和48年(1973年)に現在の赤塚の地(赤塚城二の丸跡)に移転した。山号も赤塚山と称した。そして1977年(昭和52年)、かつて東京を襲った関東大震災や東京大空襲など、悲惨な震災や戦災が再び起きないよう願いを込め当寺院の代名詞にもなっている東京大仏が建立された。」ウィキペディアより)

「山門」。

横には「閻魔堂」があります。

「仁王門」。

右側には「鐘楼」「福寿観音」、「布袋様」、更に「七福神」が勢ぞろい。

東京大仏は、境内にある阿弥陀如来坐像で、青銅製の鋳造大仏では、奈良・鎌倉に次ぐ日本3番目の大きさ誇る。

高さは基壇が地上2メートル、蓮台2.3メートル、座高8.2メートルの計12.5メートル。

説明看板があるけれど・・良く見えない。

12.5mなんだけれど・・・写真だと大きく見えないなぁ~

旧藤堂家染井屋敷石造物、

「奪衣婆像」

「役の小角像」

「文殊菩薩像」

「がまんの鬼像」

これ、何処かで見た様な気がします?

「多聞院」の「鬼の悟り」と似ている。ここをクリック!!

そして、「弁天池と弁天堂」。

本堂でお参りします。

左側には「大黒様と恵比寿様」の石像。

「授与所」にて、「御朱印」をお願いする。

書き置きとのこと、日付けを記入していただきました。

では、退散します。

頂いた袋の中には、大仏様が。


「赤塚不動の滝」の案内が・・・

これかな。

直ぐ近くの「赤塚植物園」を見学する。

花の咲く頃に来ると楽しめそうだ。

   

では帰路に向かいますが、直ぐ先の「松月院」に寄ります。

      

「御朱印」を頂けるのか?

パスしました。

そして、川越街道に出て、「光が丘公園」を概ね一周する。

散ってはいるが、何気に「モミジ」もまだ綺麗です。

ココの銀杏並木は色付くのも早いけれど、流石にこんな状態です。

清掃工場の目立っていた「煙突」が撤去され、雰囲気が違っている。

川越街道から、和光樹林公園へ、催し物?

体育館では「エアライフル選手権」が行われているようです。

そして、何時もの道を通って、自宅着12時45分。

本日の束の間の「御朱印ポタ」での走行距離は34.83kmでした。

帰ってから昼飯を食べた。

コメント (2)
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