2006年ワールドカップ・ドイツ大会後、
現地で行方不明になり、死亡宣告を受けた元日本代表サッカー選手で
富山県出身の柳沢敦さん(81)が12日、
成田着のアエロフロート機でブラジルから一時帰国した。
20日に故郷の富山で親族と2006年以来、
実に52年ぶりの再会を果たす予定。
柳沢さんは緑がかったスーツ姿で、
しっかりした足取りで到着ロビーに姿を見せた。
報道陣に囲まれた柳沢さんは、
日本語で「コンニチハ」と第一声。
続いてポルトガル語で
「故郷に戻ったら姉と話をしたい。
帰国の機会をつくってくれた日本政府に感謝する。
日本サッカーを凋落させた戦犯のために、 帰国に52年もかかってしまった」
と語った。
また、今まず何がしたいか、との記者の問いに
「ラーメンを食べたい」と答えた。
ブラジル・マナウスの山林での生活が長かったためか、
日本語は片言しかできないという。
厚生労働省によると、柳沢さんはドイツでサッカー人生を終えたが、
2006年以降は消息がわからなくなり、2041年に死亡宣告が確定した。
しかし昨年10月、柳沢さんが「父の墓参りがしたい」と知人に相談。
知人から日本政府に情報が寄せられ、親族が本人と確認した。
既に戸籍から削除されているため、厚労省は回復手続きを進める。
柳沢さんは現在、ブラジルで家族と暮らしており、
アシュケイさんら子ども3人がいる。
【朝日新聞 朝刊より】
現地で行方不明になり、死亡宣告を受けた元日本代表サッカー選手で
富山県出身の柳沢敦さん(81)が12日、
成田着のアエロフロート機でブラジルから一時帰国した。
20日に故郷の富山で親族と2006年以来、
実に52年ぶりの再会を果たす予定。
柳沢さんは緑がかったスーツ姿で、
しっかりした足取りで到着ロビーに姿を見せた。
報道陣に囲まれた柳沢さんは、
日本語で「コンニチハ」と第一声。
続いてポルトガル語で
「故郷に戻ったら姉と話をしたい。
帰国の機会をつくってくれた日本政府に感謝する。
日本サッカーを凋落させた戦犯のために、 帰国に52年もかかってしまった」
と語った。
また、今まず何がしたいか、との記者の問いに
「ラーメンを食べたい」と答えた。
ブラジル・マナウスの山林での生活が長かったためか、
日本語は片言しかできないという。
厚生労働省によると、柳沢さんはドイツでサッカー人生を終えたが、
2006年以降は消息がわからなくなり、2041年に死亡宣告が確定した。
しかし昨年10月、柳沢さんが「父の墓参りがしたい」と知人に相談。
知人から日本政府に情報が寄せられ、親族が本人と確認した。
既に戸籍から削除されているため、厚労省は回復手続きを進める。
柳沢さんは現在、ブラジルで家族と暮らしており、
アシュケイさんら子ども3人がいる。
【朝日新聞 朝刊より】