回転寿司の日記

日常の身辺雑記を紹介

夏彦コラム

2012-10-01 17:34:59 | 政治
僕は、平成14年に亡くなったコラムニスト 山本夏彦さんの文章が大好きで、平成10年前後には良く読んでいた。

今日は暇なので、その中から「死ぬのだい好き」というコラムの一部をここに載せようと思う。

以下は、そのコラムの一部

・・・人はすべて自分のことは棚にあげて他を難ずる存在である。私は棚にあげないことを唯一の取柄とする者だから、このタイトルはふさわしくない。読了して反語に似たものかと気がついても
まあ手遅れである。
 朝ごとに新聞を見てリベートやワイロを貰った高位高官を非難する読者は、貰う席に坐れなかった人で、坐ればとるにきまっている。むろん私もとる。あれは税金を奪われない唯一の金だ、
くれないから貰わないだけなのに新聞は読者を自動的に正義感にできるから朝ごとに書く。正直者はバカを見ると書くのも、読者はみな正直だったから貧しいのだという迎合である。
 

 正義と良心を売物にするのは恥ずべきことだ、5.15や2.26事件の青年将校は正義と良心のかたまりだった。正義は老齢の犬養を、高橋を殺した。万一天下をとったらまっさきに粛清
しなければならないのは同志だという自覚さえないほど彼らは正義だった、当時の新聞は彼らの味方で、テロはいけないがその憂国の志は諒とすると書いた。
 昔のことではない。朝日新聞は文化大革命を支持した、毛沢東に次ぐ林彪の死を秘した。新聞の命はインキの臭いのする2時間だ、読者がたちまち忘れることをあてにして書いている。
それもこれも中国の機嫌を損じることを書くと特派員が追放されるからだ。産経新聞は最も早く追放されたが、特派員なんかいなくてもよい記事は書けるのである。
 「人民日報」その他にこの何ヶ月林彪の名を見ない。何事かおこっている。いつから見なくなったかさかのぼって「失脚か」と書くことができるのである。

 私はラジオで「特派員国を誤る」と言った。いかなる原稿も掲載されることを欲する。戦前ドイツの破竹の勢いに目がくらみ、ドイツと仲好くしようとするのに驚いて、日独防共協定なんて
結ぶな、英米を敵に回すぞといくら没書にされても書いた記者がいた。
 特派員は本国デスクの気に入る原稿を書く。特派員仲間は「よせ」といった。左遷させられるぞクビだぞ。イヤおれは邦家のために書く。そのために新聞記者になったのだと言って
なお送り続けたから仲間は村八分にした。

 もと毎日(当時日日)新聞の林三郎という老記者が実名をあげて書いていた。再び原稿というものは掲載されることを欲する。没書になるときまった原稿を送り続けるのはバカ呼ばわりされる。
どうしてそんなに謝るのとわが国民の過半は不服である。新聞は陛下にお詫びの言葉がなかったと書いた。ソ連べったり中国べったりの原稿を送り続ける記者ばかりなら、戦前新聞があやまった
ように戦後も同じく国をあやまる。
 以上はみんな写真コラムに書いたことだが、ラジオで口頭で言うのはまた別格である。新聞は読者が忘れることをあてにして書いて、いつまでもおぼえている人は悪い人だと相手に
しない。だから書くだけヤボであるが国家の存亡に関することである。

・・・どうしてそんなに謝るのと問うて軍備がないからだと答えると、自衛隊があるではないかと言う。あれは憲法違反で、税金ドロボーだった。これだけの侮辱を与えた自衛隊員がいったん
緩急あったとき、我らのために死んでくれると思えるのか。図々しい。憲法なんか改めればいいのである。戦後ドイツは43回アメリカは18回フランスは10回改憲している。これらを言うことはなが年タブーだったのに、なに思いけんこのごろ読売新聞は書き出した。

 出来てしまったものは出来ない昔には戻れない。故に原爆許すまじというのはたわごとである。ダイ・インと称して死んだまねするなんて正気の沙汰ではないと以前書いたが、10年ほど前私を囲む読者の会で、私は上品な一老婦人に「よくまあご無事で」
と言われて二人ともども笑った。
「ラジオ日本」で、私はこんな話ばかりしてはいない。浮世のことは笑うよりほかないと笑う。センチメンタルな話、まれには美談佳話もしている。生きて甲斐ない世の中だ、死ぬの大好きという
話もしたが、べつだんブーイングはおこらなかった。皆さん遠慮は無用である。こんな発言しても大丈夫なのである。ただ自己規制しているだけなのである。


このコラムは、1998年5月月刊誌「文藝春秋」に掲載されたもの。現在、尖閣の問題、原発の問題
どれも国家の存亡にかかわるもので、このコラムで云わんとしていることにどれもが当てはまると思う。さて、この国はどうなりますか・・・

最新の画像もっと見る

コメントを投稿