SHIROYAGI-BOARD

イラストレーター八木橋麗代(やぎはしかずよ)のブログです。
Illustrator Kazuyo Yagihashi

その時歴史が動いた風に(3)

2006-06-21 | 出産・育児記
《AM5:30くらい》

もう病院の外ですずめの鳴く声が聞こえてて、
朝日でだいぶ明るく照らされた部屋の中
私はドぴーくを迎えていました。
ベッドの脇で「ブツッブツッ」と赤ちゃんの早い心拍音を聞きながら
(いよいよだあ~)と緊張してました。

さっき、今日の午前中に生まれますよって先生が言ってたから、
午前9時とか10時とか、そこらへんに出産かな…と
おぼろげに想像していました。

スタッフさんが
「痛みの種類が、何かをおなかから出したいという感じに変わったら呼んでね」
と言って部屋から出て行きました。

心配するダンナさんと二言三言話した矢先に
…キタキタキタキタ!!!BIG WAVE!
おなかの下のほうの内臓が全部ひとつの粘土になって、排出したいような感じ!
さっきまでの痛みは、ただ本当に生理通のような
にぶーくキツイ痛みのみだったのが、
「出したい!」という欲求付きの強烈な便通に変わりました。

かなり動物的なうめき声をあげたら
先生が部屋にさっと入ってきて、子宮口を確認して
ぱたぱたと手際よくお産の準備を始めました。
(意外だったのですが、お産の介助は先生と女性スタッフの二人だけでした。
もっといるのかと思ってた)

いつのまにベッドは分娩台になって
いよいよ、よく見る出産ポーズになりました!
ダンナさんは立ち会うのに必要な服を羽織りに、一度部屋の外へ。

出産体験記を雑誌などで読んでいると
「助産婦さんに「まだ、いきんじゃだめ!」と言われ我慢するのがつらかった」
とか
「分娩開始から3時間くらいかかった」とか、
ここからの苦労話が多かったので
どんなに辛く長い時間がやってくるのだろう…と思ってました。

そしたら
「思い切りいきんでいいですよ」
さらっと先生。

「え?いいんですか…??」と聞き返してしまいました。
だって、お産って、いきみを逃したりして何時間もかかるものじゃないの?
「いいですよ、次きたらいきみたいようにいきんでいいですよ」
え~~。いいんだー。
なんだ、我慢しなくていいんだー!
じゃあー、遠慮なく思うままに力を込めちゃうぞー!

このことは精神的に楽でした。
後で先生に聞いた話なのですが、
この病院では、いきみを我慢しないで力を込めたい時に入れて
その代わり、早めに会陰切開をしちゃって
短い時間でお産をする方針なのだそうです。
ママも赤ちゃんもそう方が負担がないのだそうで。

次のBIG WAVE 到来!
「むおーーーっ」と全身全霊を込めて腹筋に力を込めました。

その感じは、{痛み}っていうよりも…
うーん、本当に便通に近かったですよ。
何度も言うようですが。
私は、お産の痛みって「肉が裂けるような痛み」だと思っていたので
(例えば、ナイフで指を切っちゃったような。)
痛みのジャンル違いに
「コ、このタイプの痛みなら、なんか我慢できるような気がするっ!」
と、脳裏でこの勝負に勝てる予感がしました。

2回くらいいきんだあたりで
「もうここまで赤ちゃん出てきてるよー、ほらガンバレ」と先生。
ええっ!?もう?
は、早くないか???
(いつのまにダンナさんが着替えて私の頭のほうで励ましてくれていたようです)

何回いきんだんでしょうかね…
数える程度、いきみを繰り返すごとに
「ほらもう頭がここにあるよ」「もうすぐでてくるよー」
「目つぶらないで自分のおなか見てー」
先生とスタッフさんの言葉に、ゴールが近いことをひしひしと感じつつ…

《AM6:08》

とってもとっても小さいムスコがホゲホゲ言いながら出てきました。
ダンナさんと二人して
「うわあああー…!」という声を出して
カンドーしました。




その時歴史が動いた風に(2)

2006-06-13 | 出産・育児記

《夜明け 4時半くらいのこと》

陣痛がもう5分間隔かと思うくらい短くなる。
私はウーウーうなって前かがみになりながら、
モゾモゾと着替えて家を出ました。
ダンナさんはソワソワと荷物を持って通りでタクシーをつかまえ
10分もかからない病院へと急ぎました。

タクシーの運転手さんも、
私たちの切羽詰った空気で(出産間近の妊婦だっ!)と知り
ドキドキしているような気がしました。

病院まであとちょっとという小道で
早朝の犬の散歩をしている人が車の前を歩いていて、
タクシーがノロノロ徐行した時には
車の窓を開けて「犬の人っ、どいてっっ!!!」と叫びたかったです。

静まり返った病院のインタホンを押して
入口が開くのを待つ間にも、陣痛の波が来てつらかった…
さっそくLDR(陣痛待機・分娩・回復ができる部屋)という部屋に通されました。
部屋の中も、もうすっかり朝の光に照らされてました。
立会い出産希望だったので、ダンナさんも一緒です。

着替えて、ベッドに横になり
胎児の心拍や陣痛の周波を表示する器具をおなかにつけられて、
準備が着々と進みます。
ダンナさんは双方の親に電話で「入院しました」の連絡。
私も、陣痛のわずかな間に
携帯メールで友達に連絡しました。
(早朝に迷惑だったかと思います、スミマセンでした)

そうこうしているうちに
眠そうなお顔の院長先生、登場です。

この先生(おじさん)、去年は305人を取り上げてます。
12月には42人お産があったそうです!
一日に一回以上お産に立ち会っている。スゴイ。

この先生、実に淡々と仕事をこなす方で
愛想のなさは世界一…まで言ったらきついかな?
なかなか個性的な人なのです。

おもむろに私の状態を診察。
「子宮口広がってますね、このまま生まれます。午前中には生まれますよ」
と短めに説明。

この言葉に、ああやっぱりこれから私は子供を生むのだ!と
やっと覚悟が出来ました。
予定より約一週間早いけど、今日が、その日!

と思ったらまた陣痛のBIG WAVE!
ドンドン痛みが半端なくなってました。
もう先生だろうと初対面のスタッフさんだろうと
「いたいい~ううー」と惜しみなく訴えました。

でも先生はそんな私に
「入院手続きをします。部屋はどうします?お手洗い付とないのと。」
私「…(今、決めなきゃだめなのか…?)ト、トイレ付でおねがいします…」
先生「部屋の色は何色がいい?ブルー、ピンク、グリーンとあるけど。」
私「…なんでもいいです(それより痛いんですけど)…」
先生「…」
ダンナ「じゃ、じゃあグリーンで…」
先生「はい。」
部屋の色なんて本当になんでもよかったです…
先生それより宜しくお願いしますね…

もうこの時には
陣痛の痛みがそれまでと違った第二形態に変化していました。

ナニカが体の中から突き出てくる感じ…

“いきみ”の痛みです。
まさにそれは、
私は、「便通」のボスのように感じました。
きた、最大の山場!
いよいよその時がやってきた…

《ムスコの誕生まで、あと10分たらずのことでした…》またつづく。

その時歴史が動いた風に(1)

2006-06-09 | 出産・育児記

写真は、出産前の夕方から手帳に書いたメモ書きです。
そう、これは陣痛の来た時間です。
この日「おしるし、キター」というタイトルのコメント欄に
書き込みをしていますが、詳細を書きとどめておきます。

[夕方]
おしるしがくる

[夕方]
昼から鈍い腹痛。
陣痛とは別に起きるという「前駆陣痛」っていう軽いやつかな?なんて
思ったりするが気にしない。

でも、なんだかやっぱ変?と思い
手帳に生理通のようなものを感じた時間を書き留めることを思いつく。

5:18(→すごい大雨の後きれいな夕焼け、不思議な雲。何か起こるような予感。)
5:45
6:20(→入院グッズの点検と家の中の整理。出産時の呼吸法の本を見たりする)
-  (→食事したらしい、記録がとんでる)
8:50
9:08
9:40
10:05(→定期的な痛みに、いよいよなんだかこれはおかしいぞと思い始める)
10:30
10:55
11:25(→おかしいと思いつつ「チャングムの誓い」は面白く見る)
11:55(→腰が痛いと思うようなレベルに。ダンナさんにさすってもらう)
12:20(→以降、痛くなるたびにダンナさんに「さすり」を要求)
12:35
12:43(→痛みの山が大きくなってくる。)
12:52(→もしこのまま出産なら、オフロに入っとこう!と入浴。)
1:02
1:13(→痛いときのピークに「いたい~」と声に出さざるをえないようになる)
1:25
1:35(→ダンナさんに「病院に電話したら?」と言われるが、気が引けてできず)
1:50(→やっぱりきつい痛みなので二時になったら電話しようと決意。)
2:00
2:10(→病院に電話。こんな時なのに、冷静を保った様な話し方をしてる自分に
   ちょっとむかつく。案の定「まだ大丈夫そうなので寝れそうなら休んで。
   7分感覚になったらもう一度連絡を下さい」と言われる。)
2:20(→寝てはみるけどやっぱり10分感覚で痛みの波が押し寄せる。
   「きたきたきたー!」と言ってはダンナさん起こされ、腰をさすらされる)

ここで時間のメモは途切れています。

この後、ずっと10分間隔の陣痛は続き
その度に「きたきたきたきたまた、きた~、ウー、ウー、いたいい~」
という私のうめき声に合わせて
ダンナさんはウトウトしながら腰をさすってくれました。感謝です…
このマッサージがなかったらもっときつかったでしょう。
そういう意味でも、陣痛が土曜日の夜で本当によかったです。

空もほんのり明るくなってきた4時。
もーいよいよダメだー、と確信して再度病院へ電話。
今度は切実な感じの声で。
「じゃあ、今から来てください」と言われ
準備万端にしておいた(ヨカッタ~)入院グッズを持って、着替えをして
家を後にしました。

玄関で、心配そうにしていた猫のルークの顔が
今でも忘れられない…

タクシーで約10分、いよいよ病院に着きました。

《出産まで あと 2時間8分 のことでした… 》


授乳奮闘

2006-06-08 | 出産・育児記

(絵がなんかあんまカワイク描けなかった…)

ムスコが生まれてから約20日。
さあ、いよいよ体力勝負の本場を迎えてきました。

はじめの一週間は、病院内なので困ったらナースコール。
先週も、里帰りして母親に甘えながら順調に過ごしてきました。
ん~、けっこう育児って余裕?なんて馬鹿なことすら頭によぎりました。

し、しかし今週になってから
体力もつき始めたムスコ、
2330グラムと小さく生まれたのに
いつの間にやら今日は2800グラムになっているムスコ、
「起きてオッパイ飲んで出して寝て」のペースを崩し始めました。

直接の授乳ではミルクの量がどうも足りなくなってきたようで、
なんだかダラダラと10分、20分と寝そうで寝ないぐずりを繰り返すように。
搾乳(自分で哺乳瓶にチチシボリすること)するといっぱい出るので
私のチチ製造機に問題はナシ。
どうやらムスコの吸引力と私のチチ提供量との相性が合っていないようです。

そうなってくると便利なのは粉ミルク…
飲み干せば満足してくれるのがわかるし、
腹持ちがいいのでムスコもまとめて寝てくれて楽チンなのです。
本当は母乳だけでいきたいのにな~。

そんなこんなで寝不足続きです。

今日は夜明けの5時半から朝の9時までずっっとダラダラ飲みで、
お風呂に入れても寝てくれなくて
むしろ目が爛々としていて(カワイイけどちょっとムカつく)
ぐっすり眠ってくれたのは午後1時でした。

カアチャン、クタクタのグロッキーです。

完全に前の生活時間では生きていけなくなりました。
ムスコが寝たら「チャンス!」とばかり
自分のすべき事を集中的にしなくてはいけません。
自宅に戻った時、家事も自分ですることになるわけだし
ちゃんとできるのか、今からオソロシイ…

あーだれか肩もんで下さいいー…

2ヶ月くらい経つと赤ちゃんの生活リズムも整ってくるらしいので
それまで辛抱強くガンバリたいと思います。