My事件簿

「そろそろ自分の人生で体験した事件を忘れないうちに記録しておこうと思い」My事件簿のページを作りました

My事件簿(過去log)転職三度笠-2 09/13

2012年09月13日 | 出来事
 今回から古い順に勤務した会社での具体的な出来事や事件・体験についてお話します。

 1.昭和35年~39年 証券会社勤務

昭和35年頃東京証券取引所内

 この証券会社に入った経緯は、最初に学校の就職担当窓口から推薦を受けたのはN石油と言う一流の会社であった。

 この会社の入社試験は英語が難関で殆ど回答できなかったように記憶している。結果はあっさりと不合格!

 2番目に推薦を受けた先が証券会社であった。試験のレベルは前に受けた会社と比較してかなり易しいもので同じ学校から2名受けて2名とも晴れて合格と成りました。

 給料のレベルも低い方で有ったのではないかと思う。と言うのは試用期間中の3ヵ月間は7,500円→試用期間を終了すると9,500円。これだけ有ればまあまあ普通の生活には困らなかった。困らなかった理由は、実家から都電(チンチン電車)で通勤出来たからだったと思う。

 仕事の内容も簡単なもので東京証券取引所内でお客様からの注文に基づいて株式を売り買いする「場立」という仕事を4年間やった。4年目に証券不況と言う流れに飲み込まれ会社が大幅な赤字決算となった為、先行きが不安になり昭和39年1月末を以ってアッサリと依願退職した。

 この証券会社で勉強した事は、最初に麻雀、2番目に株の売買3番目に夜の銀座通いとオンナと言うお決まりのコースを歩いたわけですが、退職する頃には株の売買でかなり利益が出ていて銀行の口座には50万円程の預金が出来ていました。

 株の売買には当然資金が必要と成りますが、入社6ヶ月目頃に担当していた部門のT課長が突然、M(私)君も証券会社に入ったからには自分で株を売買して勉強していろいろと覚えなさい。売買資金はいくらでも貸すよ!100万円でも200万円でも!返すのは何時でも返せる時で良いが?

 と、天から降って湧いたような有難い話をもらった。渡りに船と思ったが即答せず「2、3日考えてから返事させて下さい」と言って3日後までにいろいろ計算した上で、「まず最初は50万円程お借りします」「その後どうしても必要な場合はその時にお願いします」と言う事にして、その資金で自分で見立てた株の売買を繰り返した。(当時は証券マンへの規制もほとんど無く社員が株を自由に売買できた時代でした)

 この会社は9月末決算で1ヶ月後頃から社内で赤字の事が囁かれるようになったので借りた資金で所有していた株をすべて売却して昭和38年の年末までにT課長に50万円をすべて返却して退職の件もお願いし翌昭和39年1月末日を以って退職した。

 退職後は実家(墨田区立川)でいつまでもフラフラしている訳にも行かないので、当時一番近くの晴海に有った自動車教習所で運転免許でも取るベーと思い立ち2月の初めから毎日通いつめ2月中に免許を取得。これからは就職の条件には運転免許が必須条件と思い込んでいたが、次の就職先の「流通業」では特に必要とは成らなかったので、ガッカリしたが!?

 必死の思いで面接を受けて「流通業は証券会社とは大違いだよ!君に勤まるかな?」と面接官にあしらわれそうになったので「私にもできます! 頑張ってやります!」と、何とか食いついてやっとの思いで合格~4月入社と相成りました。
さて2.流通業での事件、出来事は次回の心だー



 


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