My事件簿

「そろそろ自分の人生で体験した事件を忘れないうちに記録しておこうと思い」My事件簿のページを作りました

My事件簿(過去log)転職三度笠-27 11/09

2012年11月09日 | 出来事
 [新・新社長による最悪の結末!]
 親会社から天下ってきたY・Iと言う副社長は血圧が高そうな赤ら顔で兎に角鼻っ柱が強く、生意気な印象で出会った時以来好きになれないタイプの人間で有った。

 新社長はOさんは、歳は若いが「T大出」頭が良く、キレル社長というイメージだった。私はなぜか新社長と気が合って「店舗開発」関連の業務について、機会がある度に社長室に呼ばれていろいろと質問された。私が答える内容は、メモ用紙にすべて横文字「英語?」でスラスラと記載していた。社長の前に座ってメモを取っている様子を見ながら「さすが!」と感心した記憶がある。

 この部署での業務に関しては、前任のF社長にはとことん仕込まれた事も有り、私がこの部署の業務全体に関して一番熟知していたからかも知れない。

 半年後O社長は親会社に戻る事になって、大幅な人事面での改革があり役員が2名増員され、O社長の推薦があったのか?私もその中の1名であった。

 副社長のY・Iが新・新社長に納まった。この時以降、社員にとっての「地獄」が始まった。

 まず手始めに赤字幅縮小の為、経費の大幅削減に関する「社内部署別コンテスト」、で10億円の目標が設定され、1年後削減金額と削減率トップの部署の数人が表彰されご褒美に「旅行」(何をかいわんや、経費削って旅行費捻出?)これは、評判が悪かった!

 次は、人件費の削減でさらに社員を苦しめる事になった。一定の年齢以上の社員に退職を勧告。これも部署別の目標を定め1年掛かりで強行。

 結果、会社全体で、約380名の社員が去って行く事になった。自部署からも10名の社員が去っていった。(当時、退職してもらった元社員2~3人から夜中に恫喝や脅しの電話をもらった!)

 私も、社員の削減を推進した責任とY・I社長の会社運営と社員に対する考え、人格等に嫌気がさしていたので、目途が付いた年の5月末日を持って辞任・退職した。(私を入れてこの部署から11人、目標より1人増えました!)
続きは次回の心だー



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