東照宮の裏山が山城だったことを検証するために二社一寺の中を歩き回りました。

<今回の結論>
二荒山神社の別院である滝尾神社は、東照宮の山城に水を供給する取水口を守るために設置されていた!
山城の設置条件としては、川がなくても山内に湧き水があることが必須です。
築城のお手本とも言われる浅井長政の小谷城も山中に湧き水があります。
そんなことを考えながら、輪王寺に続く道を歩いていました。

輪王寺側から見ても、東照宮の裏山は崖が続いています。
と、反対の尾根を眺めると、こんな風景が・・・

そこに上がると水源があったのです。

こちらの方向が東照宮の裏山ですが、この高さを保てば、山城のかなり高い位置まで給水が可能です。

現在では、この鉄パイプで発電用水と飲料水を二社一寺に供給しています。

そこで、この水路を上流に向かってたどってみることにしました。

崖の上の土中に埋められた管を水は流れているようです。

すると対岸に滝尾神社が見えてきました。

通路には柵があって、反対側に出てみるとこんな立て札がありました。

こちら、反対から歩いてきたので、そこを超えて振り返ってみてもいまさらねえ・・・
右手に白糸の滝を見ながら石管を進みます。

と、そこは滝尾神社の子種石に続いていました。

なんと!
子種石というのは、土中の石管を守るために設置されていたのです。

子種石を超えて、上流に向かうと、堰がありました。

堰の上に上がると、対岸に立て札のようなものが見えました。

どうやら、ここが取水口となるようです。

つまり、このコンクリートの箱の内側に取水口が隠れているという仕組みなのですね。

対岸から土中の石管の設置状態を確認すると、子種石が石管の上に乗っています。

ということは!
この水路は、子種石が置かれた前に埋設され、それを現在も使っているということになります。
これは、ビックリ!!!
この水脈は鉄パイプで送られて

下のプールへと流れ込んでいます。

え〜〜、
これだけの水量を、いつの時代から確保できていたのでしょうか?

日本史の大嫌いだった若き少年Yも介護保険証をもらうような年になると、すっかり歴史好きになってしまいました。
でも歴史書なんてつまらない!
これまで、研究論文と特許、そして管理栄養士と看護師の教科書しか書いたことがない異分野のチャレンジです。
私が歴史書を書いてやる。

<今回の結論>
二荒山神社の別院である滝尾神社は、東照宮の山城に水を供給する取水口を守るために設置されていた!
山城の設置条件としては、川がなくても山内に湧き水があることが必須です。
築城のお手本とも言われる浅井長政の小谷城も山中に湧き水があります。
そんなことを考えながら、輪王寺に続く道を歩いていました。

輪王寺側から見ても、東照宮の裏山は崖が続いています。
と、反対の尾根を眺めると、こんな風景が・・・

そこに上がると水源があったのです。

こちらの方向が東照宮の裏山ですが、この高さを保てば、山城のかなり高い位置まで給水が可能です。

現在では、この鉄パイプで発電用水と飲料水を二社一寺に供給しています。

そこで、この水路を上流に向かってたどってみることにしました。

崖の上の土中に埋められた管を水は流れているようです。

すると対岸に滝尾神社が見えてきました。

通路には柵があって、反対側に出てみるとこんな立て札がありました。

こちら、反対から歩いてきたので、そこを超えて振り返ってみてもいまさらねえ・・・
右手に白糸の滝を見ながら石管を進みます。

と、そこは滝尾神社の子種石に続いていました。

なんと!
子種石というのは、土中の石管を守るために設置されていたのです。

子種石を超えて、上流に向かうと、堰がありました。

堰の上に上がると、対岸に立て札のようなものが見えました。

どうやら、ここが取水口となるようです。

つまり、このコンクリートの箱の内側に取水口が隠れているという仕組みなのですね。

対岸から土中の石管の設置状態を確認すると、子種石が石管の上に乗っています。

ということは!
この水路は、子種石が置かれた前に埋設され、それを現在も使っているということになります。
これは、ビックリ!!!
この水脈は鉄パイプで送られて

下のプールへと流れ込んでいます。

え〜〜、
これだけの水量を、いつの時代から確保できていたのでしょうか?

日本史の大嫌いだった若き少年Yも介護保険証をもらうような年になると、すっかり歴史好きになってしまいました。
でも歴史書なんてつまらない!
これまで、研究論文と特許、そして管理栄養士と看護師の教科書しか書いたことがない異分野のチャレンジです。
私が歴史書を書いてやる。