2011年4月の画像でお届けしています。
☆:;;:・:;;:・:;;:・:;;:・:;;:お蔵出しちゅう☆:;;:・:;;:・:;;:・:;;:・:;;:☆
①十味観の特色湯包に舌鼓を打ち
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②土山湾博物館で、徐家汇、土山湾の発展の様子や歴史を垣間見て
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文定路×南丹路の交差点あたり 。
向かいに見えている緑の一角が「光啓公園」
白壁のあたりが「徐光啓記念館」。
「徐光啓の陵墓」は公園の奥の方にあります。
公園の入り口は、白壁の辺りを少し東へ行ったところにあります。
案内板が見えてきました。
公園の入り口
「光啓公園」
もともとは「南丹公園」という名の公園だったようですが、
徐光啓(1562ー1633)の逝世350周年を記念して
1983年11月8日「光啓公園」になったそうです。
「徐光啓墓」と書かれた石碑
(全国重点文物保護単位 1988年1月13日公布)
小道を歩いて行くと左右に道が分かれていて、
←に行くと、「徐光啓記念館」があります。
まずは、徐光啓の陵墓のある方へ向かいます。
時は4月。公園内は華やいでいました。
色とりどりのパンジーたち
燃えるように咲いていました。
花びら6枚。うち、白地の花びらに黄色の斑点。
小鳥のほっぺみたい。
ファサード
ファサードを抜けると山のように盛り上がった「陵墓」が見えます。
陵墓前に十字架があっても、ごく自然に捉えましたが、
「土山湾博物館」を見学していなかったら、「なんで?」
と首をかしげていたかもしれません。
上海の徐家汇の地名は天才暦数学者の「徐光啓」から由来されたもので、
中国で最初にカトリックに改宗した、有名なキリスト教信者でもありました。
徐家汇の歴史を語る上で「徐光啓」の名は欠かせません。
1599年にマテオリッチ(利瑪竇)の名を聞いて南京に行って教えを受け、
1603年にヨハネ・ソエリオ(羅如望)の手で洗礼を受け、キリスト教徒となる。
(Wiki「徐光啓」より)
手持ちの徐家汇関連の小冊子によりますと、
この陵墓には徐光啓の他に、妻、4人の孫夫婦がお眠りになっているそうです。
どこの公園でも見かける光景。
カードゲームに興じる人たち。
ギャラリーも自然と集まってきます。
↑お墓に登ってはいけません。親も一緒にやってるし。まったくぅ~↑
陵墓前にあった石碑 十字架ごしに出入り口側方向を撮影。
「明徐光啓墓」
墓道の両サイドに石翁仲、石馬、石虎、石羊などの石像が並んでいます。
陵墓前の左右に分かれた小道。西側の小道へ。
徐光啓の銅像がありました。
タイトル「夜観星象」
次は同公園内にある「徐光啓記念館」の見学へ。
光啓公園 GuangQi Park
住所 上海市徐汇区南丹路17号(×文定路)
開放時間 6:00~17:00
*徐光啓記念館=9:00~16:30まで。無料。
↓いつも応援、ありがとうございます↓
デパートや地下鉄の1号線が試験的に開業していたのを憶えてます。
そして、当時は光啓公園も、今ほど整備されていなかったような気がします。
「ここ(徐家汇)は今からすごく開ける」とは聞いていましたが
どのように開けるのか、具体的に想像することができなかったのが事実です。
それから15年以上の歳月が流れ、
教えられた情報どおり、今や徐家汇は
押しも押されぬ1大商業エリアへと大成長を遂げました。
ワタシとしては、まさに「滄海変じて桑田と成る」の心持です
まだ、徐光啓関連資料の陳列室に
入ったことがありませんので
次回上海を訪問した折には
じっくり覗いてみたいと思ってマス~楽しみっ
街が熟していくスピードは、
まさにshanmaoさんが言い表されている通りだと思いました。
「墓の周りが、まさか、こんなに賑やかな場所になるなんて~」
と、嘆いていらっしゃるのか。
「わしのヨミ通りじゃったのー、オッホッホッ」
と、満足してらっしゃるのか。
天才、徐光啓博士の胸中に触れてみたいものです。
すっかり徐家汇にハマり
歴史散歩だけで、ひと月に4回も徐家汇に足を運んでしまいました
徐家汇へ行って、デパートに足が向かない私って一体・・・