平成内乱記・日本の長い夢

日本の未公開犯罪史・天皇陛下を始め、著名人の隠された犯罪を、告発する。

(6)春日部事件

2007-07-18 23:17:35 | Weblog
(6) 春日部事件
岩槻に転居してすぐ、裏の佐藤家から出火。 私の部屋の外が、急に明るくなったので、窓を開けて見ると裏の家が燃えている。  あわてて外に出て、ホースで水をかける。 義父がこれを使え、と言って消火器を、私に渡した後、一番早く逃げ出した。 出火場所は、ガスボンベのすぐ脇だ。 危険を感じて誰も手伝わない。  一人で火を消していると、家の人が「中に子供が居る、誰か助けて。」と叫んだ。  周りに人が大勢いるが、誰も助けようとはしない。  そして見物人の一人が言った。「火の勢いが強すぎる。もう無理だ。」「子供は諦めろ。」  私はホースと消火器を持ち、一人で炎の中に、入った。  その時一人の男が、中に入ってきた。  そして階段を昇り始めた。 私は、自分の回りと階段を中心に水をかけた。  近所の人が、これを使ってと、消火器を渡してきた。  台所から出火した火は、消防車が来る前に、私が一人で消火してしまった。 見物人の中に、豊春中学校の黒田先生がいた。 鎮火後、近所の住民は、話し合った。  当時の私は、背が低く、小学生に見えたので、大人が皆逃げて、子供が一人で消火した事が、公になれば、見っとも無いから、火事は、自然鎮火した事にしよう。 そういう事で、消防署にウソの報告を出されてしまう。  その後、近所の住民と、中学の黒田先生は、私をこの町から、追い出そうとする。  その上、助けた女の子の親に、「お前のおかげで、保険金が少なくなった」と言われ、恨まれてしまった。  助けた女の子は、同じ中学の上級生だが、下級生に助けられたのが、気にいらないと言う事で、無視されてしまう。(親が子供に、保険を掛けていて、殺す予定だった子供を、助けてしまった。) 近所の住民は、消火器代をしつこく、請求してくる。 当時の豊中には、本のモデルにもなるような、有名な番長グループが有った。  なお黒田先生は、このグループに、私を学校から、追い出してくれと頼んだ。 グループに入っている同級生から、この話を聞いた後「お前、黒田になにをした。」と聞かれたので、「なにもしていない。」と答えた。 上級生達は、「気味が悪いからイヤだ」と言って、断ったそうだ。  その後黒田先生から直接「お前に勉強を教えるのはイヤダ」「テストで100点取っても、0点でも通信簿は3だ」「高校には、いかさない」「転校しろ」と言われた。 後日、学校で北辰テストが有った。 成績は、学校で一番、埼玉県でも100位以内、このことが、学校と家で大問題になる。 まず親に話したら激怒して、「イヤミな事しやがって」「勉強が出来るのだから、高校に行く必要がない。」「高校や大学はバカが行く所だ。」と言われた。  その上、近所に住む同級生達は、親に「全然勉強しない人より、成績が悪いのは、どういう事だ。」と叱られたそうだ。 翌日、学校に行くと、同級生達に、テストで良い点を、取らないでくれと頼まれる。 当時の我が家では、電気代が勿体無い、と言う事で、自分の部屋の電気は点けていなかった。 そして野球部に入っていて、暗くなるまで、練習していたから、勉強していないのが、見え見えになっていた。 そして数ヶ月が経ち、夏休みになった。 友人数人と一緒に、豊春駅の、そばの広場で開かれた、夏祭りに行く。 そして、暗闇の中、一人で会場の隅で休んでいると、ヤクザ風の男が、早足で近寄ってきた。 殺気を帯びた様な、鋭い眼つきで。 危険を感じた私は、咄嗟にヤクザの顔に、砂を掛けた。 私とヤクザが揉めていると、友人達がやってきて、皆でヤクザ者に、謝り始めた。 その為この場は、これで収まったが、以後、不審な男に、学校の行き帰りに、付き纏われる事になる。  用心の為、バットと石を持ち歩き、登下校する。 相手は、拳銃を持っているかも知れないからだ。 しばらくして、纏わり付かなくなった。 諦めたようだ。  それから二十数年後、ニュース・ステーション内で、この事がこの様に放送された。「当時豊春で○○兄弟と言う、プロの殺し屋が居て、安い金で殺人を引き受けていた。」「○○兄弟が、住民に頼まれたのではないか。」この兄弟は、とっくに死刑に成っているので、確認は取れないが、ヤクザ風の男が、金を貰い殺人を引き受けたのであれば、当時の状況は納得できる。この火事が、9・11テロに繋がるとは、当時は想像も出来なかった。この時に、小林住宅の住民達がついたウソが後日、世界中の人々の運命を、狂わせるのです。