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並木たより

写真付き日記

ただ十字架

2006-08-10 10:41:21 | 日記・エッセイ・コラム

現代人の好むものは二つある。その一つが芸術であって、その他のものが倫理である。

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そしてキリスト教にありて、芸術を好むものは、ローマ・カトリック教に行き、倫理を愛するものはプロテスタント教に行く。

カトリック教は芸術崇拝であって、プロテスタント教は倫理的願望である。

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されども福音すなわち真のキリスト教は「キリストと彼の十字架においてある。彼の礼拝も道徳も、すべてここに完成(まっとう)されたのである。ただキリスト、ただ十字架である。そしてただこれを信ずる事である。

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現代人はその単純なるに堪えない。倫理学者はこれを迷信と同視する。されど信じる者には、これ神の知恵また能力(ちから)たるなりである。   (内村鑑三)

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(今日のお弁当)

鮭のごま風味焼き

なすの味噌炒め

かぼちゃいとこ煮

長芋おかか和え

(以上、ワーカーズコレクティブ樹)


天使のピアノ

2006-08-09 00:15:26 | 日記・エッセイ・コラム

浦上四番崩れといわれた長崎・大村の隠れキリシタン弾圧のさなか、有力藩士の娘として幸せの内に育てられてきた幼い筆子は、罪人への同情を役人にたしなめられ、初めて人間の冷たさに涙し、幼い心を痛める。
 
 海外留学を経験し三カ国語を自由に話せるようになった筆子は、アメリカのグラント大統領来日の折、日本で一番聡明な女性といわれた。華族女学校で教鞭をとり、後の貞明皇后もその教え子であった。また大村藩家老の子息・小鹿島果と結婚。幸せの絶頂にあったが、生まれた長女が知的障害を持ち、次女が生後十ヶ月で亡くなり、三女は結核性脳膜炎、続いて夫も結核で亡くなるなど相次ぐ苦難に襲われ、どん底に突き落とされる。
 
 そこに一脈の光が見えたのは、孤女学院を運営していた石井亮一との出会いであった。筆子は、周囲の反対にあいながらも亮一と結婚、孤女学院を滝乃川学園とあらため、日本で初めての知的障害者施設の創設に尽力した。
 長女幸子を天に送り、亮一にも先立たれ、筆子は日本で初めての女性園長として奮闘。幼き日に心を痛めた悲しみと再度向き合いつつ、昭和十九年一月波乱の生涯を閉じた。

 
たった一つの施設で始めた日本知的障害者福祉協会が、現在では四千五百三十三施設となって多くの実を結び、知的障害者の人権回復の先駆けとしてあまたの母達に、〝この子達のために″と運動をしていく元気を与えてくれた。「苦しみを知らずして、なぜ幸せがわかるのですか」と筆子の声がきこえてくる。(現代ぷろだくしょんホームページより)

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(今日のお弁当)

魚の塩焼き弁当

肉じゃが

酢の物  他2品

(以上、汐見台コミュニティ)

(今日の夕食)

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Father and sister of Dr. Hirose

2006-08-08 17:38:52 | 日記・エッセイ・コラム

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昨年元旦ミャンマーボランティア中に客死された小児科医、麦の会会長廣瀬誠先生(74)の父上(104歳)を慰問した。

ご長男の召天の後、彼が命を懸けたミャンマー医療ボランティアとは何だったのか、YMCAとは、キリスト教とは、聖書とは・・・。にわかに関心を持たれ研究を始められた。「息子の信仰を少しでも分かりたい」と。

膨大な12年分(前後13回)のミャンマー巡回医療の記録を読破し、一周忌にはご自分でワープロをたたき、追悼文を発表された。104歳の労作である。

最近、永年住み慣れた横須賀の山の上の邸宅から、下町のマンションに転居された。生活の便利のためとか。研究の合間には絵を画いておられる。老いを超越しているかに見える。

「私は生けるかぎりは主をほめたたえ、ながらえる間は、わが神をほめうたおう」(詩篇146:2)

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(今日のお弁当:Today's Lunch Box)

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(今日の夕食:Today's Supper)

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General Secretary

2006-08-06 12:25:53 | 日記・エッセイ・コラム

戦後の日本人には、もう忘れ去られ、分かりにくくなってしまった感覚であるが、戦前の官僚や軍人には、「天皇陛下の股肱(ここう:手足)」という意識が強くあった。

中国語の「首」や「大」にも、また英語の「Secretary」や「Officer」にも同様のニュアンスがある。

戦後、官僚が主人(天皇)やライバル(軍人)を失って、独り天下となり、我が世の春を謳歌し、新しい主人であるはずの国民もその「役人天国」を認めている今日の日本では、国政レベルでは政治家よりも役人が、市民団体においても無給ボランティアよりも有給スタッフが、「偉い」と(一般に)みなされているが、これは本末転倒である。

皇太子時代にイギリスの議会制民主主義を親しく体験し、みずからロンドンYMCAにも会員登録したほどの昭和天皇には、[ 赤紙一枚で召集された兵は「ボランティア」、自分の股肱である政治指導者は「Paid Staff」 ] との意識が強くあったと思われる。「paid が unpaid と同じ立場に立ってはいけない」と言うのが「靖国不参拝」の理由であろう。

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「命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか」(ルカ17:9)

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(今日のお弁当)

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(今日の夕食)

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Paid Staff

2006-08-05 21:24:40 | 日記・エッセイ・コラム

1998年夏、サンフランシスコのFUF(Friend of Urban Forest)というNPOの植林ボランティア活動に参加したことがある。

ある週末の午前中約3時間、50人ほどの多国籍ボランティアが、FUFのローラ・ヘゴーという美人スタッフの指導で、市内の街路樹十数本の植樹を行った。

商店街から届けられたお礼の食料で昼食会が開かれた。もう10年以上、毎週末、FUFの植樹に参加しているというベテラン・ボランティアが新米ボランティア歓迎の挨拶をした。

特に印象的であったのは、ローラ・ヘゴーが皆の給仕をしながら、いくら勧めても、一緒に食事をしないことであった。理由を尋ねると「Paid Staff(有給職員)はUnpaid Volunteer(無給奉仕者)の食事が済んでから残りを頂くのがマナー」とのことであった。

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「わたしが食事を済ますまで給仕をしてくれ。お前はその後で食事をしなさい」(ルカ伝17:8)

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(今日のお弁当)

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(今日の夕食) Pict0006_12