アセンションへの道 PartII

2009年に書き始めた「アセンションへの道」の続編で、筆者のスピリチュアルな体験と読書の記録です。

第1章 ゴーイング・ウィズイン ①ニューエイジとは

2015年03月28日 20時49分46秒 | 第1章 ゴーイング・ウィズィン
① ニューエイジとは

 「ゴーイング・ウィズイン」は、これまでに筆者が読んだシャーリー・マクレーンの著書の内、2冊目に当たる。最初の本は、「アウト・オン・ア・リム」であり、これは彼女の私生活も含めてスピリチュアルな体験を網羅したものであり、確か宇宙人も出てきてそれなりに読み物として面白かったし、映画にもなっているが、半分はフィクション(作り話)が含まれているのではないかと思われるような内容だったと記憶している。 その為、以前のブログで「アウト・オン・ア・リム」の内容は殆ど取り上げていない。
続いて筆者が「ゴーイング・ウィズイン」(以下、同書)を3-4年前に読んだ時、実は然程感銘は受けなかったので、その後会社の知人に貸してしまったのだが、フィリピンの神霊治療の話が非常に印象的だったので、以前のブログの第9章⑨に「量子的自己」というテーマでその内容を一部紹介した。
 その後暫くこの本のことも神霊治療の話も忘れていたのだが、昨年になって神霊治療をフィリピンで受けることができるという話を知人から聞き、11月に筆者はこの治療を体験する為、知人とフィリピンまで行ってきた。それに先立ち、この治療師に関する本、「神の手ジュンラボ」という本も読んでみたのだが、これを機会に改めて同書も読んでみることにした。
 そうしたところ、筆者は改めてシャーリーのスピリチュアル世界に対する造詣の深さを知ることになり、本ブログPartIIの冒頭に1章を割き、紹介することにしたものである。

① ニューエイジについて
判っているようで、意外に難しいのがニューエイジの定義だ。早速ウィキで調べてみた処、次のような説明があったので、以下に要約(一部修正)してみる。

元々は神と悪魔の戦いが千年続き、最後に神が勝利して、ニューエイジ=新しい世界がやってくるというキリスト教徒の千年思想が背景にあったようだが、現在「ニューエイジ」と言うときには、アメリカ合衆国、とりわけ西海岸を発信源として、1970年代後半から80年代にかけて盛り上がり、その後商業化・ファッション化されることによって一般社会に浸透、現在に至るまで継続している、霊性復興運動を指す場合が多い。その主たる特徴(要素)として以下が挙げられる。

• 反近代、反既存科学、脱西欧文明(禅や道教、チベット仏教などの東洋思想やアメリカ・インディアンの思想、あるいは“異教”的文化への親和性)
• 論理的思考に対する直観的理解(「気づき」)の優位
• 汎神論的・宇宙神的存在あるいは「大いなる意志」への信仰と、万象に対するその介在を根拠とする「偶然性」の否定
• 自然への回帰(しばしば人間以外の生物との精神的な交感を含む)
• 女性性の尊重

更に、「ニューエイジ」という呼称は、具体的には「水瓶座の時代」を意味する。この呼称は西洋占星術に由来し、地球の歳差運動によって黄道上を移動し続けている春分点が、ちょうど20世紀の後半に、黄道十二星座の魚座から水瓶座に入る、との主張による。この主張では、春分点が魚座にあった時代は、ほぼキリスト生誕から現在までの約2000年間と重なる。さらに、キリスト教には、イエスを魚によって象徴させる慣わしがある。このことから、「ニューエイジ」という言葉には、今こそ既存の西洋文明・キリスト教の支配する時代が終息し、自由で解放された「新時代」(=水瓶座の時代)の幕が開いた、という意味が込められている。

この思想の内容として主要なことはone ness(ワンネス)といわれる。つまり、この宇宙に存在するもの全ては、唯一つのもの(即ち神)の展開であるというものである。ニューエイジの本質は破壊的なものではなく、新しい人類のライフスタイルの提案と、今の社会システムが完全ではないという問いかけ、また新たなライフスタイルはいつでも実現可能であるという積極的な働きかけにあるというのがチャネラーによる見解である。

このニューエイジに関し、シャーリーが同書のなかで判り易く次のように語っているので引用してみる。

◇◇◇
 いわゆる霊的成長のためのテクニックの説明を始める前に、“自分の内へ向かう”プロセスの基本となっている考え方について説明しよう。・・・ まず、ニューエイジと云っても、何一つ目新しいものではない。・・・ニューエイジとは、主として西洋以外の文化に存在している古代から伝わる数多くの霊的なものの見方 ― 信仰、現実とは何か、生き方、儀式、真理などに関する ― を集大成したものである。 ・・・
 ではここでニューエイジの起源を振り返ってみよう。イエス・キリストの死後、数百年にわたって、キリスト教グノーシス派はニューエイジの思想と知識によって活動を続けていた。しかし、グノーシス派は儀礼集団化したキリスト教会となった主流派と、最終的には分離してしまった。彼らは、人間の運命は当人と神の間の個人的直接的な事柄であって、教会が決定を下すべきものではないと信じていたからであった。
自分の責任は自分で取るということは、一人ひとりの個人にとって非常に大きな重荷である。どんなことでも、―意識、神、忠誠、道徳、生活態度、そして精神の問題でさえ、自分以外の教会や政府などのあいまいな権威に決めてもらった方がずっと簡単なのだ。しかし、いくらその方が簡単だからと言っても、こうした異存状態は決して健全ではない。
 今日、多くの人々にとって、人生とは混乱と緊張と不安にみちており、目的のないゲームになってしまっている。自分の内部にある問題解決能力を使おうとしないからだ。多くの人々が、ストレスは耐え難いほどひどい、と訴えている。物質的な富、成功、名声、業績などでは、もはや満たされず、そのために生ずるストレスと比べて割が合わないと、たくさんの人が感じ始めている。
 自分のまわりを見回すと、世界中で悲惨な出来事が起こっているのに気が付いて、いったい人類はどうなってしまうのだろうと、善良な人々は自分に問い始めている。・・・世界中で、血で血を洗う戦争が続き、核兵器はどんどん増え、・・・不治の病が流行し、環境破壊が急速に進行しているのが今という時代なのだ。どうして人間はこんなことをしえいるのだろう? もし、この疑問をもう一歩進めて、「どうして私たちは自分にこんなことをしえいるのだろうか?」と問えば、その人はニューエイジの言葉で考えているのだ。それはニューエイジとは、自分の責任に関することだからである。それだけなのだ。ニューエイジの考え方では人生に起こるすべてのことは、互いに関係しているのだから、人生におこること全部に対して私たちは責任を持っているのである。
 今、気が付かなければならないことは、私達を取り囲んでいる無数の恐怖は、私達が自分の内にある肯定的な力を発見し、祝福し、利用するのを怠っているから存在しているということである。つまり、私達は自分に対する愛を忘れてしまっているのだ。・・・ニューエイジを担う人々とは、今、私達の地球とそこに住むすべての生き物に起こっていることを、心の底から心配している人々のことである。・・・
 一人ひとりが自分の内に平和を実現しないかぎり、世界の平和は達成できないと私は思う。戦争やさまざまの災いは、結局は自分自身の問題に帰するのだと思う。・・・ニューエイジとは、私たちが望んでいる幸せをつくり出すために、自分自身の力を使う時代なのだ。悟りを開いた人たちがみんな言っているように、不幸でいるためには非常な努力が必要だ。どうせなら、反対の方向へその努力を向けましょうよ。
◇◇◇

つまりシャーリーは、この世の問題や不幸を社会や誰か他人の所為にするのではなく、「ワンネス」の観点から自分自身の責任として捉え、その解を一人ひとりが自身の内側に求める、即ち霊性向上に向けて努力しようと提案しているのである。
更にシャーリーは、ニューエイジと科学の進歩に就いて、次のように続ける。

◇◇◇
 現在私達の社会では、進歩発展というと、だいたい科学技術の進歩を意味する。・・・以前、私は世界一貧しい国について書かれた報告書を読んだことがあった。ヨーロッパの経済学者がまとめたものだった。この学者の目から見ると、世界一貧しい国とは、ヒマラヤの山の中にあるブータン王国だそうである。このレポートを見せられた時、ブータン国王は、「ブータンは技術的には貧しいかもしれないが、我々は精神的な豊かさと幸せを持っている」と言ったそうである。私達は互いに違った尺度を持っているのだ。
 科学技術をあるべき位置に置くことを、私達はまなばなければいけないと思う。科学技術は人々が肉体的物質的に快適になるための道具なのだ。決して私達の進化の尺度になるものではない。・・・
自分がつくり出したものと自分自身を分けて考えることはできない。自分に対して持っているビジョンによって、私達は科学技術をつくり出す。もし、私達が自分とは何者か、という問題に対して無関心であれば、それは無関心の技術をつくり出す。私達が自然と調和を保っていない時には、科学技術もまた、自然との不調和を反映する。・・・
 私達は自分自身の過去の産物に他ならないのだ。知識もまた過去の産物であるが、考えているだけでは、現在の問題を解決することはできない。頭だけでは、もうどうにもならなくなっているのだ。もっとずっと大きな全体的な意識が、今こそ必要とされている ― つまり自分自身に気づきさえすれば、完全にバランスのとれた私達の宇宙と調和することができるのだ。
今では科学も、周囲の現実と私達の体験の現実を分離することはできない、と云い始めている。本当は、分離というようなことは何物の間にも、いっさい存在しないのである。もし、そのような分離を私達がつくりだせば、それは自分も周囲も滅ぼしてしまうのだ。・・・
◇◇◇

 因みに、約2000年間続いた魚座から水瓶座の時代への変化を、滝沢泰平氏は『これから10年「世界を変える」過ごし方』の中で、以下のように簡潔に纏めている。

◇◇◇
「魚座の時代」は、二極対立(善悪、白黒など)の象徴であり、物質文明が発達して、競争、対立、派閥、宗教が生まれ、そして戦争が起こりやすい期間だったのに対して、これから訪れる「水瓶座の時代」は、一極化(白でも黒でもない)の象徴であり、精神文明が発達して争いもない共存共生の期間となります。また、その時代を牽引していくリーダーも時代とともに変わってくるようです。
◇◇◇

 それにしても、このブログの冒頭で述べた通り、昨今は民族間の対立、或はイスラム国の台頭など、不穏な出来事が目白押しで、果たして本当に素晴らしい「水瓶座の時代」が来るのだろうかと不安に感じている方も多いことと思う。しかし、これらの諸問題は人類の業(カルマ)が解消される過程で生じている一時的ものであり、一人ひとりが霊性の向上に向けて努力することによって必ず解決される問題なのだと、肯定的に捉えることが重要なのだと思う。又、スピリチュアル的な事象に高い関心を持つ読者の方も多いものと思うが、この新しい時代へ向けての流れがどういう方向に向かっているのか、その背景や傾向などもしっかりと理解し、日々霊性の向上に努めて行くことが重要なのであろう。

尚、このブログは書き込みが出来ないよう設定してあります。若し質問などがあれば、wyatt999@nifty.comに直接メールしてください。


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