ババジのクリヤー・ヨーガ第三イニシエーション受講の為、カナダに御一緒したTさんからフィリピンでの心霊治療の話を聞いたのは昨年の1月頃だったと思う。なんでも、Tさんが参加したスピリチュアル系の会合に、或る都内の病院に勤務する脳神経外科の先生が来て、フィリピンの心霊治療を「代替医療」として推奨しているとの内容だった。
以前フィリピン向けの心霊治療のツアーが企画されていたことがあると聞いていたが、その後一部のマスコミがそうした心霊治療の信頼性を損なうような報道をした為、そうしたツアーはすでに無いものとばかり思っていたのだが、実際に心霊治療を体験できるという話を聞き、早速インターネットで調べてみたところ、そうしたツアーこそ無いものの、直接フィリピンの然るべき施設に申し込めば、年に2回という時期的な制約はあるが、ジュン・ラボの心霊治療を受けることができることが判った(施設の名称は次回、ジュン・ラボに就いては本稿後段で説明)。
当時筆者はヨーガを始めてすでに3年半近くが経過しており、体調は徐々に回復して来ていたものの、依然として手足の冷えと消化不良に悩まされていたこともあり、是非この心霊治療を受けたみたいと思いたったのであるが、気になる点が一つあった。それは、谷口雅春氏の教えで、心霊術師が「因果を発無する」ような行為を行うと、施術を受けた人にも必ずしも良い結果をもたらすとは限らないうえ、施術者も寿命を縮めるなど、不幸になるケースが多々あるという内容で、特に低次の神霊に頼った場合にそういう結果になりがちだとの説明だったと記憶している。一方で、ヨーガの修業を進めて悟り(サマーディ)に至るためには、それなりに健康な肉体を保持することが必要とされており、もしかしたらこの心霊治療が、筆者の健康問題を解決し、悟りに至らしめる鍵になるかもしれないとの期待も生じた。つまり、仮に筆者の健康問題が過去世の因果から生じたものであるのなら、筆者は心霊治療を受けることで「因果を発無する」ということになり、その危険を冒してまで、健康問題を解決すべきなのかどうかについて悩んでしまった訳である。
そこで先ず、ジュン・ラボに就いて調べたところ、彼はすでに80歳前後で毎日何十人(或いは時として100人以上か?)もの治療を行っても尚矍鑠としているようなので、少なくとも彼にはかなり高次の心霊がついていて、その治療を支援していることは推察できた。それでも、筆者自身の因果を発無することの是非に就いては判断しかね、筆者はオーラリーディング等で著名なHさんに相談に行った。
ここでHさんとのカウンセリングの内容を詳述することは本稿と直接関係が無いので控えるが、Hさんは筆者と会うなり、筆者が過去世において、平安時代の頃に密教の僧侶をしていて(百人一首に出てくる僧侶のような姿が見えたそうである)、或る権力者から彼の政敵を呪詛するように指示されたにも拘わらず、それを断った為に刺客によって胸を後ろから刺されて死んだとの話をしてくれた・・・。以上は余談であるが、いずれ筆者の様々な過去世に就いても然るべき時期に本ブログで少し書いてみたいと思っている・・・。閑話休題、Hさんは、筆者がジュン・ラボを神の如く崇めるようなことをしない限り、ジュン・ラボの心霊治療を受けることは問題がなかろうとの話(多分筆者のハイアー・セルフと話してくれたのだと思う)を伝えてくれた。そこで筆者はフィリピン行きを決意し、Tさんにも声をかけ御一緒することになったものである。
次に、先ずジュン・ラボの経歴などに就いて説明しておきたい。大矢知夫氏(以下、著者)の『神の手ジュン・ラボ』という本(以下、同書)から、適宜引用させて頂く。
◇◇◇
1934年も暮れの、クリスマスを間もなく迎えようとする12月23日、北部ルソン島パンガシナン州のダクバン市にジュン・ラボは誕生した。
彼の父親はダクバン市の水道局で監督の仕事をしていたが、心霊治療に就いては特にかかわりはなかった。しかし母親のシルビナ・ロザノ・ラボは、歯科専門の心霊治療師であり、心霊治療とかかわりの深い「キリスト教霊魂主義者協会」の熱心な信者であった。
このジュン・ラボは、幼少時には相当な腕白小僧だったようである。・・・
これは9歳になったときの話である。
その日は、母親から言われて教会に行き、洗礼を受ける手はずになっていた。それでも彼は、自分が洗礼を受けることについて、全く関心を持たなかった。教会では母の手前仕方なく、神に向かって祈りを捧げているようなそぶりをしていた。
そのとき突然、彼の身体は硬直しひどいけいれんを起こした。彼の説明によると、自分の口はゆがみ、つばは飛び散り、びっくり仰天したあげく、大声で叫ぼうとした。だが、なんとあがいても声にはならなかった。さすがの腕白小僧も、すっかり度胆を抜かれてしまったという。
そこではじめて神に向かって、真剣に心から誓うことにした。
「神様!お助け下さい。これからは、決してうわべだけの、ごまかしのお祈りなどいたしません。まことのお祈りをあなた様に捧げます。今後は、神様のご意志に心から従うお約束をいたします。」
この時突然、目の前に大きなキリスト様が現れて、ジュン・ラボに手を差し伸べながら許してくれたという。当時の思い出を語る彼の顔付きは真剣そのものだった。
◇◇◇
その後、ジュンラボは伝道の旅に出た際、突然道端に倒れた老女のそばに駆け寄り、自分の手を彼女の胸に当てて懸命にさすり、元気を回復させたのを仲間の人達から目撃されている。更にその後、彼は高校に進学し、再び不思議な体験をしている。
◇◇◇
ある日教会の信者の一人に、聖霊からのお告げが下った。そのお告げは、「ジュン・ラボを伝道のためザンバレスに差し向けよ」という内容だった。
この信者から、お告げを聞くと、彼はその霊言に従って何も考えずに家を飛び出していった。途中で気が付くと、懐中は無一文であるし、ザンバレスに着いて一体何をすればよいのか、全く分かっていなかった。
とにかくどんどん歩くうちに、突然病人と出会い、彼に直して欲しいと頼まれる。ジュン・ラボが手当てをすると、気分も快くなり、お礼だと言ってその手に30ペソの金を渡してくれた。このお金でバスにも乗れ、目的地に到着したのはその日の昼ごろであった。
ザンバレスに着くと再び聖霊の声が聞こえ、「ジュン・ラボよ、ただちに海に入れ」と指示が下った。そこで海に入って、一心に神に対して祈りを捧げていた。
突然彼の目の前に、魚のようなものを見つけた。すると再び聖霊の声が聞こえ、「その魚を捕え、腹を開けて見よ」とお告げがあった。命ぜられるまま捕えて腹を開けると、その中から軽石のような物体が3個出てきた。そのときまたお告げがあり、それを自分の口に入れそのままぐっと呑み込むことにした。その瞬間彼の心身に何かが起きたのを自覚した。彼の言葉通りに伝えると、「この瞬間から、自分には奇跡的な超常能力を、神が授けてくれたと自覚した」、と当時の神秘体験について語っている。
◇◇◇
その後彼は大学に入学するが、2年で中退、しかし他の心霊治療師が比較的貧しい家庭に育って学歴が無いのに対し、少なくも大学に通った実績がものを言って、80年台にはサウジ、パキスタン、韓国などの首脳から招かれ、治療に当たったそうである。更にマルコス大統領(当時)の治療にも当たった実績がある(筆者が昨年彼に会った際、金の腕時計をしていたが、それはマルコス大統領から貰った時計だということであった)。
又、マニラの彼が所属する教会本部で、体の麻痺した車椅子生活をしている老人をわずか三回の治療で歩けるようにしたことで、彼の名前はマニラで心霊治療を斡旋する人達の耳に入り、特に海外からの患者の中には彼を指名して治療を希望する人達が増えてきた。これは仲間のヒーラー達の嫉妬を招くことになり、彼は一旦オーストラリアへ移住する。又、名古屋在住の日本人女性を治療したことが縁となって、その日本女性と結婚したが、後に別れている。
同書の中で、著者はジュン・ラボ以外の著名なヒーラーたち(以前フィリピン心霊手術会のヒーローを言われたトニー・アグパオア、『ゴーイング・ウィズィン』で紹介されたアレックス・オルビート等も含まれる)の経歴にも触れ、彼らの共通点を次のように纏めている。
(1) ヒーラーが最初に心霊手術を行った年齢は10歳前後の青少年期が多い。
(2) その最初の体験は、何らかの宗教体験、神秘体験を通して無意識に行われた
(3) 治療能力の習得に、修業を行ったと語っているヒーラーたちは、いずれもルソン島北部の山中にある霊場で修業している。
(4) その修業の過程或は終了後、参加者は先達によって強いパワーを額を通して注入され、そのため失神状態に陥ることもある。
(5) この修業中にヒーラーは、マスター(神霊・守護霊など)の存在を確認し、その姿を見ることができるようになる。
(6) フィリピンにおいて、ヒーラーによる治療は無料ないしは喜捨によって行われることが期待されているようである。
更に著者は、第一の説として、これら有名なヒーラーの中には同じ家系に属する者たちが多数いること(即ち特定の遺伝子が影響している可能性があること)、第二の説としてパンガシナン州出身のヒーラーが多いこと、その理由として地磁気の影響や、その地域が「ムー大陸」と「レムリア大陸」の接点に相当するという説もあることを挙げている。第三の説としては、フィリピンの守護霊と関連しているというもの、第四の説として、ヒーラーの所属する教派に着目し、キリスト教霊魂主義者教会(フィリピンでは少数派のようである)との関連を指摘する者もいるとのことである。
大分前置きが長くなってしまった。実は、トニー・アグパオアがアメリカで心霊手術を実施し、その際に流出した血液が、本人の血液と一致した話とか、各国の様々な著名な医師が心霊手術に就いて調査・検証した結果やそうした結果に対する論争なども同書に書かれているのだが、本稿はここまでとし、筆者が訪れたフィリピンの施設とその体験談に就いては次稿に譲ることにしたい。
尚、このブログは書き込みが出来ないよう設定してあります。若し質問などがあれば、wyatt999@nifty.comに直接メールしてください。
以前フィリピン向けの心霊治療のツアーが企画されていたことがあると聞いていたが、その後一部のマスコミがそうした心霊治療の信頼性を損なうような報道をした為、そうしたツアーはすでに無いものとばかり思っていたのだが、実際に心霊治療を体験できるという話を聞き、早速インターネットで調べてみたところ、そうしたツアーこそ無いものの、直接フィリピンの然るべき施設に申し込めば、年に2回という時期的な制約はあるが、ジュン・ラボの心霊治療を受けることができることが判った(施設の名称は次回、ジュン・ラボに就いては本稿後段で説明)。
当時筆者はヨーガを始めてすでに3年半近くが経過しており、体調は徐々に回復して来ていたものの、依然として手足の冷えと消化不良に悩まされていたこともあり、是非この心霊治療を受けたみたいと思いたったのであるが、気になる点が一つあった。それは、谷口雅春氏の教えで、心霊術師が「因果を発無する」ような行為を行うと、施術を受けた人にも必ずしも良い結果をもたらすとは限らないうえ、施術者も寿命を縮めるなど、不幸になるケースが多々あるという内容で、特に低次の神霊に頼った場合にそういう結果になりがちだとの説明だったと記憶している。一方で、ヨーガの修業を進めて悟り(サマーディ)に至るためには、それなりに健康な肉体を保持することが必要とされており、もしかしたらこの心霊治療が、筆者の健康問題を解決し、悟りに至らしめる鍵になるかもしれないとの期待も生じた。つまり、仮に筆者の健康問題が過去世の因果から生じたものであるのなら、筆者は心霊治療を受けることで「因果を発無する」ということになり、その危険を冒してまで、健康問題を解決すべきなのかどうかについて悩んでしまった訳である。
そこで先ず、ジュン・ラボに就いて調べたところ、彼はすでに80歳前後で毎日何十人(或いは時として100人以上か?)もの治療を行っても尚矍鑠としているようなので、少なくとも彼にはかなり高次の心霊がついていて、その治療を支援していることは推察できた。それでも、筆者自身の因果を発無することの是非に就いては判断しかね、筆者はオーラリーディング等で著名なHさんに相談に行った。
ここでHさんとのカウンセリングの内容を詳述することは本稿と直接関係が無いので控えるが、Hさんは筆者と会うなり、筆者が過去世において、平安時代の頃に密教の僧侶をしていて(百人一首に出てくる僧侶のような姿が見えたそうである)、或る権力者から彼の政敵を呪詛するように指示されたにも拘わらず、それを断った為に刺客によって胸を後ろから刺されて死んだとの話をしてくれた・・・。以上は余談であるが、いずれ筆者の様々な過去世に就いても然るべき時期に本ブログで少し書いてみたいと思っている・・・。閑話休題、Hさんは、筆者がジュン・ラボを神の如く崇めるようなことをしない限り、ジュン・ラボの心霊治療を受けることは問題がなかろうとの話(多分筆者のハイアー・セルフと話してくれたのだと思う)を伝えてくれた。そこで筆者はフィリピン行きを決意し、Tさんにも声をかけ御一緒することになったものである。
次に、先ずジュン・ラボの経歴などに就いて説明しておきたい。大矢知夫氏(以下、著者)の『神の手ジュン・ラボ』という本(以下、同書)から、適宜引用させて頂く。
◇◇◇
1934年も暮れの、クリスマスを間もなく迎えようとする12月23日、北部ルソン島パンガシナン州のダクバン市にジュン・ラボは誕生した。
彼の父親はダクバン市の水道局で監督の仕事をしていたが、心霊治療に就いては特にかかわりはなかった。しかし母親のシルビナ・ロザノ・ラボは、歯科専門の心霊治療師であり、心霊治療とかかわりの深い「キリスト教霊魂主義者協会」の熱心な信者であった。
このジュン・ラボは、幼少時には相当な腕白小僧だったようである。・・・
これは9歳になったときの話である。
その日は、母親から言われて教会に行き、洗礼を受ける手はずになっていた。それでも彼は、自分が洗礼を受けることについて、全く関心を持たなかった。教会では母の手前仕方なく、神に向かって祈りを捧げているようなそぶりをしていた。
そのとき突然、彼の身体は硬直しひどいけいれんを起こした。彼の説明によると、自分の口はゆがみ、つばは飛び散り、びっくり仰天したあげく、大声で叫ぼうとした。だが、なんとあがいても声にはならなかった。さすがの腕白小僧も、すっかり度胆を抜かれてしまったという。
そこではじめて神に向かって、真剣に心から誓うことにした。
「神様!お助け下さい。これからは、決してうわべだけの、ごまかしのお祈りなどいたしません。まことのお祈りをあなた様に捧げます。今後は、神様のご意志に心から従うお約束をいたします。」
この時突然、目の前に大きなキリスト様が現れて、ジュン・ラボに手を差し伸べながら許してくれたという。当時の思い出を語る彼の顔付きは真剣そのものだった。
◇◇◇
その後、ジュンラボは伝道の旅に出た際、突然道端に倒れた老女のそばに駆け寄り、自分の手を彼女の胸に当てて懸命にさすり、元気を回復させたのを仲間の人達から目撃されている。更にその後、彼は高校に進学し、再び不思議な体験をしている。
◇◇◇
ある日教会の信者の一人に、聖霊からのお告げが下った。そのお告げは、「ジュン・ラボを伝道のためザンバレスに差し向けよ」という内容だった。
この信者から、お告げを聞くと、彼はその霊言に従って何も考えずに家を飛び出していった。途中で気が付くと、懐中は無一文であるし、ザンバレスに着いて一体何をすればよいのか、全く分かっていなかった。
とにかくどんどん歩くうちに、突然病人と出会い、彼に直して欲しいと頼まれる。ジュン・ラボが手当てをすると、気分も快くなり、お礼だと言ってその手に30ペソの金を渡してくれた。このお金でバスにも乗れ、目的地に到着したのはその日の昼ごろであった。
ザンバレスに着くと再び聖霊の声が聞こえ、「ジュン・ラボよ、ただちに海に入れ」と指示が下った。そこで海に入って、一心に神に対して祈りを捧げていた。
突然彼の目の前に、魚のようなものを見つけた。すると再び聖霊の声が聞こえ、「その魚を捕え、腹を開けて見よ」とお告げがあった。命ぜられるまま捕えて腹を開けると、その中から軽石のような物体が3個出てきた。そのときまたお告げがあり、それを自分の口に入れそのままぐっと呑み込むことにした。その瞬間彼の心身に何かが起きたのを自覚した。彼の言葉通りに伝えると、「この瞬間から、自分には奇跡的な超常能力を、神が授けてくれたと自覚した」、と当時の神秘体験について語っている。
◇◇◇
その後彼は大学に入学するが、2年で中退、しかし他の心霊治療師が比較的貧しい家庭に育って学歴が無いのに対し、少なくも大学に通った実績がものを言って、80年台にはサウジ、パキスタン、韓国などの首脳から招かれ、治療に当たったそうである。更にマルコス大統領(当時)の治療にも当たった実績がある(筆者が昨年彼に会った際、金の腕時計をしていたが、それはマルコス大統領から貰った時計だということであった)。
又、マニラの彼が所属する教会本部で、体の麻痺した車椅子生活をしている老人をわずか三回の治療で歩けるようにしたことで、彼の名前はマニラで心霊治療を斡旋する人達の耳に入り、特に海外からの患者の中には彼を指名して治療を希望する人達が増えてきた。これは仲間のヒーラー達の嫉妬を招くことになり、彼は一旦オーストラリアへ移住する。又、名古屋在住の日本人女性を治療したことが縁となって、その日本女性と結婚したが、後に別れている。
同書の中で、著者はジュン・ラボ以外の著名なヒーラーたち(以前フィリピン心霊手術会のヒーローを言われたトニー・アグパオア、『ゴーイング・ウィズィン』で紹介されたアレックス・オルビート等も含まれる)の経歴にも触れ、彼らの共通点を次のように纏めている。
(1) ヒーラーが最初に心霊手術を行った年齢は10歳前後の青少年期が多い。
(2) その最初の体験は、何らかの宗教体験、神秘体験を通して無意識に行われた
(3) 治療能力の習得に、修業を行ったと語っているヒーラーたちは、いずれもルソン島北部の山中にある霊場で修業している。
(4) その修業の過程或は終了後、参加者は先達によって強いパワーを額を通して注入され、そのため失神状態に陥ることもある。
(5) この修業中にヒーラーは、マスター(神霊・守護霊など)の存在を確認し、その姿を見ることができるようになる。
(6) フィリピンにおいて、ヒーラーによる治療は無料ないしは喜捨によって行われることが期待されているようである。
更に著者は、第一の説として、これら有名なヒーラーの中には同じ家系に属する者たちが多数いること(即ち特定の遺伝子が影響している可能性があること)、第二の説としてパンガシナン州出身のヒーラーが多いこと、その理由として地磁気の影響や、その地域が「ムー大陸」と「レムリア大陸」の接点に相当するという説もあることを挙げている。第三の説としては、フィリピンの守護霊と関連しているというもの、第四の説として、ヒーラーの所属する教派に着目し、キリスト教霊魂主義者教会(フィリピンでは少数派のようである)との関連を指摘する者もいるとのことである。
大分前置きが長くなってしまった。実は、トニー・アグパオアがアメリカで心霊手術を実施し、その際に流出した血液が、本人の血液と一致した話とか、各国の様々な著名な医師が心霊手術に就いて調査・検証した結果やそうした結果に対する論争なども同書に書かれているのだが、本稿はここまでとし、筆者が訪れたフィリピンの施設とその体験談に就いては次稿に譲ることにしたい。
尚、このブログは書き込みが出来ないよう設定してあります。若し質問などがあれば、wyatt999@nifty.comに直接メールしてください。