アセンションへの道 PartII

2009年に書き始めた「アセンションへの道」の続編で、筆者のスピリチュアルな体験と読書の記録です。

第1章 ゴーイング・ウィズィン ⑦ 心霊手術

2015年05月08日 17時47分59秒 | 第1章 ゴーイング・ウィズィン
シャーリーは『ゴーイング・ウィズィン』(以下、同書)15章「意識と体」の中で、彼女が友人と共にフィリピンのアレックス・オルビートから心霊手術を受けた時の体験を紹介している。

 シャーリーは、この章を次のように書き始めている。

◇◇◇
 私は、長い間、ずっと興味を持っていたことを実際に体験する機会を得た。これは私の体に関係したことであり、しかも、どこから見てもインチキではないとしか思えないことだったので、物質的な世界と非物質的な世界の間をつなぐ輪を求めている私にとって、最も強い衝撃を受けた出来事だった。
 私に起こったことを素直に書きしるしてみたいと思う。
 私はブラジルやフィリピンから友人が持ち帰った心霊手術のビデオをたくさん見ていた。・・・
 特に印象的なビデオがあった。それはマニラのアレックス・オルビートが、長い行列をつくって待っている人たちに対して、次から次へと手術を施してゆくものだった。かれは患者の皮膚を軽くもむだけで、患部を切り開いた。彼はその切開口から患者の体の中に手を入れて血の塊や、中の悪いものを取り出し、彼が手を抜き出すと、その切り口は閉じてしまうのだった。患者の体に血はついているものの、傷口は全然残っていなかった。・・・彼は約二十人の患者を二十分で処置した。つまり、一回の手術は、およそ六十秒そこそこなのだ。病気の種類は潰瘍、背中の痛み、甲状腺腫、癌、脳腫瘍、眼疾患、心臓疾患などいろいろだった。・・・
 友人の一人が、アレックス・オルビートがアメリカに来ていると教えてくれた。・・・
 私はニューメキシコのガリステオの鍼師、クリス・グリスコムに電話をして、ラスベガスで会いたいと言った。私達はラスベガスにホテルを予約し、アレックス・オルビートを待った。・・・
◇◇◇

 アレックスは彼の奥さんと友人を連れてホテルに現れ、ホテルの居間でお互いの紹介をした後、ベッドルームに向かう。彼の奥さんと友人は、紙袋からからのプラスチックのボウルとガーゼと消毒用のアルコールを取り出し、愈々心霊手術の準備が整う。シャーリーは、最初に手術を受けるのが嫌で、クリスに先に受けるよう合図を送る。引用を続ける。

◇◇◇
 アレックスは頭を垂れて、五分間ほど熱心にお祈りを捧げた。顔を上げた時、彼の顔は厳粛ではあったが、至福に輝いた表情を示していた。自分以外の聖霊のエネルギーが自分を使って、治療を行うのだと彼は私達に話していた。・・・
 まるでどこからか指令を受けているように、アレックスは両腕を空中高く上げた。方向を定めると、彼の両手はクリスの体の真ん中あたりへそっと下ろされた。私がビデオで見たのと同じように、彼は彼女の上半身のお腹の皮膚をやさしくもみ始めた。すると、彼の手は、皮膚を切り開き、両手はあっという間にクリスの胸の中に入っていった。私は自分の目が信じられなかった。血液が見え、彼の手がクリスの心臓のあたりで何か捜しているようなゴソゴソという音がした。
 私はクリスをじっと見た。彼女は気持ちよさそうにうめいていた。「彼の手が熱いわ。すごく気持ちのよいエネルギーを感じているの」と彼女は言った。
 彼の手はどう見ても、彼女の胸の中にあるように私には見えた。ていねいに、彼は右手で何か血の塊のように見えるものを取り出し、それをプラスチックのボウルに入れた。左手は彼女の胸の中に入ったままだった。
 次に、まるで聖霊から指令を受けたかのように、「次は腎臓です」と言いながら、クリスの胸の中から手を抜いた。それはまるで水の中から手を抜くように簡単で、しかも切り口はすっと閉じた。奥さんが、アルコールに浸したガーゼで血をぬぐった。・・・
 私は息が止まりそうだった。信じられなかった。彼の手は文字通り、手首まで彼女のお腹の中なのだ。私は夢を見ているのではないかと自分のほっぺたをぴしゃりと叩いてみた。・・・
 彼はすばやく血の塊を彼女のお腹から取り出すと、プラスチックのボウルの中へ入れた。そして体から手を引き出した。私は注意深く観察していた。彼の手は人間の体の中というより、むしろ水の中にあったように見えた。すごくスムーズで、信じられないほど簡単だった。深く開いた傷口は閉じていた。今度も奥さんが、アルコールに浸したガーゼで血をふき取った。するとクリスはベッドから何事もなかったように立ち上がった。彼女はにっこり微笑んだ。見るからに元気だった。
◇◇◇

 次はシャーリーの番である。彼女はいやいやベッドに横になった。「膵臓」とアレックスが言って彼の手がシャーリーの胸の上で止まった時、「ちょっと待って」と彼女は言って彼の手の動きを止め、自分の大いなる自己と接触しようとする。

◇◇◇
 私は眼を閉じた。瞑想して大いなる自己と接触しようとした。でもだめだった。すごく神経質になっていた。・・・
 もう一度目を閉じた。そして心の中で叫んだ。「私の大いなる自己よ! どうぞ現れてください! あなたとコンタクトしたいのです」・・・
 私は待った。アレックスも待った。クリスも待った。アレックスの奥さんも待った。
 私は眼を閉じ、ゆっくりと気持ちを集中させた。そして恐怖心を心の中から追い払った。大いなる自己がゆっくりと視野に現れた。この瞬間を私は決して忘れないだろう。・・・
 「やってもらうべきでしょうか?」と私はたずねた。自分がそんなことを聞くなんて、思ってもいなかった。
 私の大いなる自己は、その神々しい姿には少しもそぐわないしぐさで、私をさもお気の毒というような目で見て言った。「あなたは、本当におバカさんですね。・・・この経験はあなたが自分のためにつくり出したのですよ。体は幻想にすぎないということを確認する為にね。リラックスして前に進みなさい」
◇◇◇

 大いなる自己に背中を推して貰い、愈々シャーリーの心霊手術が始まる。

◇◇◇
 「用意ができたわ」と言い終わらないうちに、アレックスの手は静かに私の膵臓のあたりに当てられ、訳がわからないうちに、彼の手は私の体の中に入っていて、彼は手を動かして、いわゆる“否定的なエネルギーの塊”を取り除いていた。・・・私は自分のお腹に彼の手が入ってるのを自分の眼で見る勇気がなかった。私は眼を閉じていた。
「どんなふうなの?」と私はクリスに聞いてみた。
「まるで信じられない。あなたのお腹の中がまる見えよ。あなたはどんな感じがしているの?」と彼女は聞いた。
 私は何かおもしろいことを言いたかったのに、「まるで現実そっくりの夢のようよ」と言ってしまった。
 「そのとおりよ。この肉体は現実そっくりの夢なのよ。私達が夢だと思い込んでいるものこそ本当なのよ。だからこそ、この世の冒険ができるのよね」とクリスが言った。・・・
 「次は腎臓と結腸」と彼は言った。私が抵抗する間もなく、スラックスは下にずらされ、彼の手は私のおへその下をゆるやかにもんでいた。三秒もすると、彼の両手は、手首まで私の下腹部に入っていた。今度は私も見ていた。クリスの時と同じことが起こっていた。痛みはなかった。ただ圧迫されているという感じだけだった。血と内臓があちらこちらへうごかされるゴソゴソという音がしていた。その様子を言葉で言い表すのは不可能だった。彼は“否定的なストレスの塊”をまたもや取り出すと、まず右手を抜き出し、次に左手を抜きだした。
◇◇◇

 この体験を振り返って、シャーリーは次のように記している。

◇◇◇
 ・・・しかし、このほっそりとした、感性の鋭い、ほとんど虚弱に見える“神霊治療家”が、意識の変容した状態で、痛みも与えずに私の体の中に手を差し入れ、“血液の中にうっ積した否定的な塊”を取り出し、安物のプラスチックボウルに捨てたのだ。それは説明のつかないことだった。
 これが“神の手”を信じるということなのだろうか? “神の手”は肉体を癒すことができるだけでなく、肉体の中に何の痛みも与えずに入ってゆくこともできるのだろうか? それは、つまり、肉体は物質化した想念であり、架空のおもちゃであり、冒険のための乗り物、そして体験のための夢にすぎないということなのだろうか?今はそんなことに決着をつける時ではなく、もっと現実の問題に目を向けるべきだと、私は思い直した。
◇◇◇

 読者諸賢におかれても、このような心霊手術に関しては、様々な批判や中傷があることはご存知だと思うが、シャーリーはアレックスがそうした批判に立ち向かう為の実験に応じたことも記している。

◇◇◇
 1974年、オルビートはスウェーデンに招請され、スカンジナビアの科学者達による人体実験を受けた。それは実験室で行われ、彼らはオルビートに裸体でヒーリングを行うように求め、彼の心拍、脳波、脈拍、発汗などを検査した。またキルリアン写真を使って、彼のオーラや、治療している時、かれの手から発するエネルギーの強さを観察した。
 自分はまるでモルモットのように扱われたので、もう二度と再びこうした精神的に傷つくような実験材料にはされたくない、と彼は言った。このような懐疑的な環境で治療を行うのは、とても難しいからであった。「今では多くの医者も言っているように、本人が治ると信じなければ病気は治らないからね」と彼は言った。
 フィリピンの治療師達は血液を入れたカプセルや動物の内臓を使って、あたかもそれが人体から取り出されたもののように見せているという批判に対しては、明確な反論は出されていない。
◇◇◇
 
 大分長くなってしまったが、そろそろ本稿の結論部分に入りたい。

◇◇◇
 実験室でのテストでは、血液は時には人間のものであったり、時にはむしろ、リンパ液のようなものであったりする。治療者自身もそれがなぜか自分達にはわからないと言っている。彼らは病気を治すために、体を切り開いて、血液を出したり、体内のものを摘出することなどは、本当は必要ないのだと説明している。患者の方が自分が良くなったのだと思うために、何か物質的な証拠を必要としているのだと言っている。だから、そのために物質化したり、血液を見せたりしているのだという。患者が自分の体が切り開かれるのを見ると、治療効果が高まるそうだ。したがって、皮膚を“非物質化”して体内に手を入れ、血液と塊を“物質化”して治療の効果を出すのだと言う。いずれにせよ、肉体は幻影にしかすぎないのだし、この世に存在するように見えるものは、その人の思考の現れにすぎないのだとも言っている。私は、この問題の中心は、物質的な“現実”をいかに理解するかという問題だと思った。・・・
 ・・・霊的な世界のマスター達はみんな、「すべてのものは幻であるという考え方が、この物質界を理解する鍵だ」と言っている。すなわち、物というものは、基本的には私達の意識の産物である分子の集合体に他ならない。意識は思考に移しかえられ、思考が物質的現実になる。
◇◇◇

最後にシャーリーが同書で引用しているアインシュタインの言葉で締めくくりたい。
「知識とは体験したことだ。体験していないことは、単なる情報にすぎない。」
 ということで、次回は筆者のフィリピンでの体験談である。

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