アセンションへの道 PartII

2009年に書き始めた「アセンションへの道」の続編で、筆者のスピリチュアルな体験と読書の記録です。

BKYJ 悟りを開いた僧侶 Part1

2021年03月28日 09時35分17秒 | クリヤーヨーガ・ジャーナル
悟りを開いた僧侶(Part1)

By Durga Ahlund

Kriya Yoga Jounal, Spring 2021


 何十年にもわたる真理探究を通じ、至福・美・優雅・寛大といった悟りの状態を垣間見せてくれる何人かの輝く存在に出会うことができた私はとても幸運だったと言えます。子供のころですら、私は誰なのか、自分の体のどの部分に居るのか、なぜここにいるのかといった疑問に印象付けられ、惹かれる漠然とした感情を持っていました。私は常に自分の魂が人生を導いてくれ、必要な時には進路を変えてくれるとすら期待していました。
 霊的なことにうすうすと気づいていた小さな子供のころは、大人は、少なくも何人かの大人は神と、そして当然ながら彼ら自身の魂と直接接する方法を知っているのだろうと確信していました。青春時代と若かったころは失望をもたらしただけでした。信仰を失い、懐疑的になっていました。その後有名なインド人のグルに出会い、二十代から三十代の私に希望がもたらされました。生まれながらに悟りを開いていたかもしれない本当の聖人に出会ったこともあります。そのうちの多くはあなた方がこれまで会ったか、少なくも名前を聞いたことがあるでしょう。これから私が四十代の時に出会った、聖人のような修行者二人について話します。
 
 2002年の春、ゴーヴィンダンと私はとても若いスワミ・ジャガードグル・ラマナンダ・アーチャリアに出会いました。彼は二百歳以上のスリ・スリ・サドグルデヴ・ブラーマリシ・バルファニ・ダダジの弟子でした。バルファニ・ダダジはしばしば個人的にとても親しくしているニーム・カロリ・ババとマハーアヴァター・ババジの心地よく愉快な話をして下さいました。
 こうした神聖な人々との出会いの話は、2002年2月、ゴーヴィンダンがバルファニ・ダム・カルサのメンバーからの電話を受けたときにはじまりました。その電話は、カナダのアシュラムで、現在ヒマラヤの中で生活している二・三人のシッダを受け入れ、もてなすことに興味がないかとの質問でした。「何ですって?もちろんです!」バルファニ・ダダジはカシミール地方で高まっている核施設の事故の可能性を懸念していると電話にでた人物は詳しく説明しました。彼の心配は、インドの議事堂に対する襲撃事件が起きた2001年12月以降強くなってきました。おそらくISISに率いられた、パキスタンに基地をもつ二つのグループが何人かを殺害したのです。
 ゴーヴィンダンはその申し出を受け入れ、それはバルファニ・ダダジに伝わりました。それから数か月、連絡はありませんでした。5月末にゴーヴィンダンは同じ弟子から二度目の電話を受け、ゴーヴィンダンと私はスリ・ダダジのカイラース山への巡礼に同行するよう招待され、7月1日に出発することになりました。その当時私はカナダのクリヤーヨーガ出版で編集者として働いており、ハタヨーガのDVDを制作したり、ハタヨーガのインストラクター養成コースを開発したりして教え、二年間の通信教育講座も開発していました。私たちも手一杯だったのです。しかしバルファニがどうして私のことを知ったのかは分かりません。

 7月に予定していたすべての予定を中止し、バルファニ・ダダジに会うため、インドールに向かうことにしました。ケベックのアシュラムにシッダ達を迎えることについて彼に直接聞きたかったのです。多分カイラース山の巡礼で彼に同行することになるかも知れません。6月末に私たちはニューデリーに着き、以前ゴーヴィンダンと話した弟子、V氏の出迎えを受けました。V氏はとても社交的かつ鷹揚な方で、彼の素敵な家で夜まで過ごすよう私たちと他の一行を招待してくれました。その晩は皆とても楽しく過ごしました。翌日は、インドの中心部から少し西に外れたマディヤ・プラデーシュ州のインドールへ飛行機で向かいました。
 インドールに着いてすぐ、バルファニ・ダム・アシュラムに直行し、スリ・サドグルデーヴァ・バルファニ・ダダジに会いました。彼はこれまで会った誰よりも優しい魂の持ち主でした。とても二百歳を超えるようには見えず、七十代の男性のように見えました。彼は微笑み、私の視線をとらえ、とてもはっきりと見つめたので、二三分で私の過去の出来事をすべて読み取ってしまったように感じました。彼が言うには、私はババジの弟子ですが、周りにサイババも見えると言いました。サイババについて言われたことでとても驚きました。私は十日間だけ彼のアシュラムに行ったことがあるのです。多分彼が見たのはそれでしょう。彼はゴーヴィンダンと私を連れてヒンディー語でにこやかに話しながらアシュラムを案内してくれました。通訳を通じ、私たちがオームカレシュワルの小さな島から戻った後、話をする時間を取りましょうと告げました。彼は私たちに昼食をとってからそこに行き、そこでタパス(熱烈な修行)を行っている彼の弟子、ジャガドグル・ラマナンダチャリアと話をするよう言いました。彼は私たちと一緒にインドールに戻り、その時シッダ達の話とカイラース山への巡礼について話すことになりました。自然にできた沢山のリンガと共に、ナルマダ川にあるオームカレシュワルを見ることができるということで、私たちは喜び、興奮していました。昼食をとって直ちに、ニューデリーから一緒に来たインド人の信者約十人の一行と共に出発しました。
 オームカレシュワルは長さ2Km、幅1Kmで、インドールから約70Km離れ、オームを絵にした形をしている島です。それはナルマダ川とカヴェリ川の合流点に位置します。そして、オームカレシュワル・マハデオ寺院で礼拝されるために置かれている、それ自体にパワーがあり、輝いているリンガで良く知られています。オームカレシュワルには多くのヒンドゥー教やジャイナ教の寺院があり、とても稀なブラマーの寺院もあります。アディ・シャンカラチャリアの洞窟があり、シーク教の創始者であるグル・ナナクはその神聖なエネルギーを吸収するためにそこに来ました。沢山のシーク教徒が巡礼でこの島を訪れます。その島の場所全体に神聖さを感じさせます。
 私たちは宿泊所に入りましたが、そこはとんでもなく手入れが行き届かず、荒れていました。簡素さには慣れっこでしたが、そこの状態にはぞっとしました。ゴーヴィンダンも他のインド人の誰も言葉を発しなかったので、私も気持ちを言葉に出すのは控え、自分たちの荷物を置いて内扉に鍵をかけました。外側のドアの蝶番はガタついていて、ドアを開けるのには力を入れてグイと引くだけでした。貴重品は身につけ、町の観光に出かけました。まるで夢で一度見たことがあるように奇妙な親近感を覚えました。一行の人たちと一緒に昼食をとりましたが、彼らのエネルギーは低下してきていました。そして私たちもあちらこちらに移動させられ、いら立ちが募ってきていました。率直に言ってグループの中に敵愾心が生じていました。私たち以外は皆本土側に残って寺院やバザールを訪れ、その後島を一周したいと思っていました。私たちがしたかったことはボートに乗ってナルマダ川を渡り、ラマナンダチャリアがタパスをしている島に行くことでした。ゴーヴィンダンと私はグループと別れる決心をし、土産物店の中にぐずぐずとどまっていました。彼らには私たちの行き先が判っていました。

 ボートで川を渡り、ガイヤトリ寺院とそのアシュラムのすぐ下の地点に着きました。ガイヤトリ寺院は素晴らしいエネルギーを持っていました。修行者が借りられるいくつかの素敵な小さな部屋がありました。寺院に向かう坂を登って行くと、愛らしい小さな少女が私たちに駆け寄ってきました。彼女はその寺院の司祭の娘でした。彼女に、スワミ・ラマナンダチャリアの居場所を知っているか英語で聞いてみました。少女は素晴らしい笑みを投げかけ、私の手をとって彼の部屋に向かって走りました。私たちが到着した時、スワミは部屋の中でした。少女が彼の名前を呼ぶとスワミはすぐに出てきました。ジャガドグル・ラマナンダチャリアは四十歳くらいの魅力的な男性でしたが三十歳ほどにしか見えませんでした。体はがっしりしていてハタ・ヨギではないかと思いましたが、彼のレベルの修行者には珍しいことに思えました。彼は私の心を読んだようで、少し眉をひそめました。彼はゴーヴィンダンの来ることを予知していたようでしたが、私が近づいて行くと少し困惑したようでした。彼は少女の手を取り、ダンスをして彼女をくるくると回しました。二人は深い愛情で繋がっており、私は魅了されました。
 スワミジは黙って、言葉を書くのに使う石板を取り出しました。お茶を飲みますか?彼は尋ね、ゴーヴィンダンの方に体を向けました。はい、是非お願いします。私は彼が申し出を辞退する前に答えました。スワミジは笑って私に頷き、小屋の中に入りました。二人の若い男性が私たちを見に一旦外に出て、お茶を入れるため小屋に戻りました。
 少女がお茶の準備を手伝いました。その後四時間、私たちは静かに座り、スワミジと彼がいともたやすく石板に書く話にくぎ付けになりました。最初の内、彼は私と私の質問を無視してゴーヴィンダンとだけ話しました。私はこのやり方が面白いと思いましたが、質問を続け、まもなく彼は、私が彼の世界に入ることを認め、お茶を飲み終える頃には彼ととても親しくなったと感じました。
 スワミジはゴーヴィンダンの師匠だったヨーギラマイヤと会ってニューヨークのグラハムヴィルにあった小さなカーリー・アシュラムに滞在したこと、ニュージャージーでバルファニ・ダダジのパレードに参加したこと、その時バルファニが雨雲だらけのまったくの曇り空を、その後ずっと晴れの日に変えてしまったことについて話しました。私は彼の称号、ジャガードグルを授かった由来について尋ねました。彼は、アキール・バルティヤ・ディガンバ・アニ・アカーラ派に属していることを詳しく説明し、ジャガードグルの称号をその組織から授かったことについてはとても謙遜して話しました。彼が話をするとき、威張った様子はまったくなく、私の質問にいらだったりそれを無視したりするようなこともありませんでした。彼の口調は明快で正直で控えめでした。彼の純粋さ、シッディ、そして気さくさに私は深い部分で当惑していました。
 スワミジはカイラース山でババジと会ったこと、すべての人に教えるべき技法をババジが彼にどのように与えたかについて話してくれました。それは非常に単純な技法で、一定の期間、特定のリズムでアウムを二度唱えることでした。彼が言うには、それがほとんどの人にとって定期的にしようと思えるすべてであり、真のご利益をもたらすのだそうです。彼は私たちに、ウェブサイトで見た、サントパンスタールでババジがマタジと座っている絵が欲しいと言いました。私たちはそれを、同じ絵を印刷したTシャツと一緒に送ることを彼に約束しました。
 ある時点で、彼はババジがハヌマーンの生まれ変りだと話しました。すると突然、ちょうど彼がハヌマーンとババジとの関係について話し始めた時、ジャングルの猿が大声を上げ始め、猿の一群が、小屋のポーチに座っている私たち目がけて突進してきました。私が急いで自分の財布を掴むと、ラマナンダチャリアは笑いながら私の方を見て、怖がることはないとでも言うように手のひらを私に向かって上げました。そして石板に「何も起きることはないようにしますよ。」と書きました。本当に驚いたことには、猿たちは小屋の片方の壁のところで止まり、そこに座りました。そして付け加えるべきは、あたかももう一度ハヌマーンの話をスワミジから聞きたいかのように、それはとても整然とした座り方でした。私は少しも誇張していません。更に付け加えることがあります。すでにそこに同じように止まっていた小鳥は、猿たちが私たち目がけて突進してきても、微動だにしませんでした。それは漫画のおとぎ話の世界にいるようでした。
 ゴーヴィンダンと私は顔を見合わせ、スワミジと鳥と猿を見てから肩をすくめ、夢見心地の静けさの中で彼の書く物語を読みました。彼はまだ話していませんでした。つまり、その物語を静かに書き、そこにいたすべての男女、子供、動物を催眠術に掛けてしまったのです。
 それからスワミジはもう一つ、とても素敵なことをしてくれました。それは彼が瞑想に使う洞窟に案内してくれたことです。洞窟は丘のかなり下のほうに地中深く掘ってありました。しばしば島を強いモンスーンが襲うのにも拘わらず、洞窟の中は乾燥していました。スワミジは自分ですらそのことに驚いていると言いました。洞窟の中には素晴らしいドゥルガの神像と絵が飾ってあり、私に見て欲しいと言いました。私たちは約一時間そこで瞑想させてもらいました。インドの友人がそこに来た音を聞くまで瞑想は続きました。オームカレシュワルの神聖な島のラマナンダチャリアの洞窟で瞑想できたことはとても素敵な恩恵でした。

 私たちが洞窟から出てきたとき、V氏と彼の一行は皆ポーチに座っていました。彼らは多くの理由で私たちを避けていたように思います。V氏はスワミに背を向け、彼のハンモックで横になっていました。他の者たちは、その日の出来事について彼に話していました。私はこうした人々に深く失望しました。彼らの内一人として、純粋な光と力の神聖な権限であるこの若い修行者に向けられるべき尊敬を示していませんでした。
 グループの人たちはスワミとカイラース山への巡礼について話し始め、その翌朝に彼は私たちと一緒に戻らねばならないと伝えました。V氏は彼にバルファニ・ダダジの
メモを手渡しました。スワミジは石板に、バルファニ・ダダジが彼に頼むことは何であろうと行い、私たちと朝インドールに戻ると書きました。
 グループはその晩彼にホーマ(火の儀式)を行うことを依頼し、スワミジはそれを執り行うことを了承しました。しかし彼は、その晩願ったことは何であれ叶えられるので、最初に深い瞑想を行ってその願いを良いものにしなければならないと告げました。彼は私たち全員にライスとダールの食事を用意してくれました。それは美味しかったものの、その午後の素敵なエネルギーは、わがままな一行によってかき乱されました。彼らは皆ラマナンダチャリアの弟子と言っていましたが、尊敬の念が足りないように私は感じました。

 お茶のお替りをもらうとき、若者の一人にいつもスワミジと一緒に居るのか尋ねました。彼は、いつも二人が彼に付き添わなければならないのだと言いました。彼はしばしばとても深いサマーディに入り、立て続けに数日間そのままなので、彼らが面倒見なければならないのだと言いました。バルファニ・ダダジから、彼と一緒にいて彼を守り、彼が食べたり飲んだりすることを確認するよう言われたそうです。
 ラマナンダチャリアは大学を卒業して初めてバルファニ・ダダジの処に来ました。彼は一風変わったダルマ(使命)を持つ特別な修行者でした。私は、彼が学んだことを私たちに教えるためにこの世に留まりたいか尋ねました。彼は教えることに興味がないことを認めました。「この肉体はそれが要求されることを何であれ行います。私はバルファニ・ダダジとババジが私に求めることを行うだけです。」その日は驚嘆すべき一日でした。沢山の出来事がありました。夜の火の儀式はどんなものになるのだろうか、と私は思いました。












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