アセンションへの道 PartⅠ その理論と技法

2012年には銀河の中心と太陽系そして地球が整列し時代の節目を迎えます。アセンションの理論と技法について考えます。

第6章 世界劇場 ④投影された世界

2009-12-26 10:32:47 | 第6章 世界劇場
④ 投影された世界
昔からこの我々が住んでいる世界のことを現し世(うつしよ)と云う。これは移ろい易い世界(移し世)だという意味を含んでいるという説もあったように記憶しているが、筆者は‘写し世’がこの語源として正解だと思っている(高校の国語の授業でもそのように習った記憶がある)。つまり、この世界劇場としての現象世界は、あくまでも本体又は実体が投影されたものであることを昔の人達は本能的に知っていたのだと思う。又、それは日本のことだけに止まらず、遠くギリシャにおいてかなり古くから同じことを説明しようとしていた哲学者がいる。そう、かの有名なプラトンが、彼の著書『国家』の中で‘洞窟の比喩’として説明している。ネットで検索してみたところ、藤沢令夫氏の『プラトンの哲学』(岩波新書)の説明が比較的判り易かったので以下に紹介する。

地下深い暗闇の洞窟。奥底の壁に向かって、囚人たちが縛りつけられている。上方はるかのところに火が 燃えていて、その光が彼らのうしろから照らしている。火と囚人たちの間に衝立(ついたて)様の低い壁があり、その上をあらゆる種類の道具物品が、差し上げられて運ばれていて、その影の動きが火の光によって囚人たちの前の壁面に投影されている。 囚人たちは、子供のときからずっと手足も首も縛られたまま、動くことも、うしろを振り向くこともできずに、壁にうつる影しか見ることができないので、それら動物や器物の像の「影」を真実のものだと信じこんでいる。――「われわれ自身によく似た囚人たち」の姿。――これが、「洞窟」の比喩の状況設定である。この比喩は三つの比喩(「太陽」「線分」「洞窟」)のなかで最もよく知られていると思うので、これから先のテクストの記述―細かい一つ一つの点が示唆に富むのだが――を逐一追うのはやめて、私(筆者註:藤沢令夫)の訳文(岩波文庫『国家』下)に委ねることにする。要するに、あるとき囚人の一人が縛(いまし)めを解かれて、目がくらむ苦渋に堪えながら洞窟内の急な登り道を力ずくで引っぱってゆかれ、外界の太陽の光のもとに連れ出される。もちろん当初は、ぎらぎらとしたまばゆさで何一つ見えない。目を慣らすために彼は、まず事物の影や水にうつる映像を、ついでその事物を直接見ることができるようになってから、天空に目を向ける。そして夜に月や星を見ることから始めて、しだいに目を慣らし、水などにうつった太陽の映像をへて、最後に太陽それ自体を観察できるようになる。そのとき、彼はすべての真相を知る――この太陽こそは、四季と年々の移り行きをもたらすもの、目に見える世界の一切を支配するもの、さらには自分が地下で見ていたすべてのものにとっても、その原因となっているものだ、と。つまり、プラトンの主張するポイントは、
1. 人間は生まれたとき以来、洞窟の中に閉じこめられた囚人のように理屈がわかって  いない。(生れて以来、無明である。)
2. 人間の眼に映ずるものは真実ではなく、影ばかりなのだ。
3. しかも、それに気づいていない。
4. たまたま洞窟の外に連れ出された囚人だけが、真実を直接に眺 めることができる。つまり、彼自身がそれまで洞窟の中に閉じ込められていたことも、初めて理解することができる。
5. だから、(この箇所には触れられていないが)努力して、瞑想して、真実在に到達した哲人だけが(理屈がわかっているのだから)、その真・善・美の究極の概念をもって政治にあたることができる。それが理想なのだ。 ……ということになる。

因みに、プラトンは上記の洞窟の比喩を、彼のイデア論を説明する為に考案したとも言われている。ウィキペディアによれば、「イデアとは最高度に抽象的な完全不滅の実であり、感覚的事物はその影であるとする。イデアが存在しているのがイデア界(本質界)で、その陰が投影されているのがわれわれ人間の住む現実界となる。」

これに似た説明をしているのが、『生命の実相』(著作K)を著した谷口雅春氏であり、彼は、この現象世界は、実相の世界(実在する神が創った理想的な世界)が人々の心を通じて投影されたものであり、自身の環境を含め、現象世界を清める或いは良くするためには、一人ひとりが神の子としての自覚を持ち、その心を清める必要があると説く。そしてその手段として、神想観という一種の瞑想法(祈りとも言える)を勧めている。言うまでもなく、谷口雅春氏は‘生長の家’の創始者であるが、その説くところの要点は、(1)人間は皆神の子である。即ち神我一体、自他一体であり、その自覚を深めることが大切である。(2)三界は唯心の所現(人間一人ひとりの心がこの現象界を現わしている。従って環境は心の影である。環境を変える為には、先ず自分の心を変える必要がある。自分が明るくなれば運命も好転する)。因みに谷口氏は、この現実世界のみならず、霊界も現象世界であり、この物理的な現象世界以上に心で考えることがより簡単に実現する世界であると説明しているが、これは『バシャール』(著作S)や他の多くの信頼に足る(と少なくとも筆者が考えている)スピリチャル系の書籍の説くところと一致している。

我々が物理的な現実と思っている世界が、実は実体の無い世界であることを、『バシャール』(7巻P22~)のなかでは次のように表現している。「物理的な現実は鏡なのです。鏡というのは、その中に実際に何か確固たるものがあるわけではありません。常に皆さんのすがたを映し出しているにすぎません。物理的な現実もこれとまったく同じです。自分の外に何かがあるのではありません。すべてみなさんの中にあるのです。物理的な現実は、みなさんが真実だと信じているものの産物です。それ以上でも以下でもありません。・・・ときに、非常に強い力を持った観念は無意識の世界にあるので、みなさんはそれを持っているということさえ気づかないことがあります。では、そんなとき、どうすればそれを変えることができるでしょうか。物理的な現実というのは、まさにこのために、贈り物として存在しています。物理的な現実は、意識や無意識の中にある観念を映し出している鏡なのです。ですから、みなさんの意識や無意識の中に自分にとって真実ではない観念や、思考、感情があるときには、自分にとって好ましくない現実として、それを人生の中に映し出して見せてくれるのです。」 更に、同書の第5巻には次のように書かれている。「自分の波動以外の現実を体験することはできません。みなさんが体験している現実は、みなさん自身の波動の反映にすぎません。そしてその波動は潜在意識、もしくは表層意識で‘一番強く信じている観念’によって決まります。ですから、周りの世界で、今自分が望んでいることが起きていないと思うとき、自分はいったいなにを信じているのか、自分のもっている先入観を見てください。自分の信じていることを換えれば、自分の気持ちが変わります。そして気分が変われば、自分から出ている波動が変わります。自分から出ている波動が変われば、それを反映してくれるまわりの現実が変わります。これはまったく文字通り物理的、そして機械的な原理です。」

これまで長々と難しい哲学論議或いは宗教の説明をしてきて、読者諸兄諸姉には退屈だったかも知れないが、アセンションとは詰まるところ、自分の観念を変えたり、波動を高めたりといったことを通じてしか実現出来ないのでは無いか、又それが遠回りのようでもアセンションに至る正道だと筆者は信じるからである。


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