2.『言霊』 もけ
これは「あなた」に語りかける様式をもつ詩形式四篇――『ね?』『意味。』『伝えるということ……』『小さな幸せ配達人』――のオムニバスである。これを読んでみて、はじめ、とっても不思議な印象を受けた。「幸せ」や「愛」の感じが筆者に全然伝わってこないのだ。もともと筆者は散文系の人間なので、こうした詩形式の言葉にたいする感受性に欠けているのではないかと自戒してもみた。それにしても、一応は中也もランボーも読んだけど。そして何度も読み返すうち、やっとわかりかけてきた疑問がある。それを中心にして感想とします。
『ね?』
「時々あなたは思い悩むことがあるらしい。/幸せが終わることを恐れて/人は不安に駆られる。/誰かに幸せを取り上げられるくらなら/自分から閉じてしまおう/……そういう人もいる。」
で始まる文は、まず「あなた」が「幸せ」の絶頂にあることをいう。「幸せ」な者の悩み。それがテーマなんだろうか?
ところが、上の文につづく言葉はこうだ。
「運命は自分で切り開いて呼び寄せるものだ……という。/幸せだって同じだ。/自分から幸せになろうと想わない人のところに/幸せはやって来ないんだ。愛情は与えるからこそ/自分に返ってくる。」
この確信に満ちた言葉たちの容姿がわかるだろうか。これは「僕」が「あなた」にたいして確信を持っているからだ。「あなた」は「僕」に確信されている。でも、何か不思議じゃないか?
もけ氏だけではなく、おれたちだって「あなた」が見せる幸せそうな表情には心が躍る。だけど、その表情にふと差した不安の陰には怯えないか? なんの確信もないまま、ただ怯えているほかないのはおれだけじゃないだろう。ところが、作者の文は「あなた」を理解している。まあいい。理解できる部分もあるんだから、自分のカノジョなら。
しかし、それにつづく確信に満ちた言葉たちは何なのだ? おれたちは、そんなにもカノジョにたいして確信を持っているか? 持ってるやつにはいっておく。それは誤解だ。他者の理解などできるわけはない。理解すればするほど謎と疑問を際限なく投げかけてくるのが他者じゃないのか。もうわかっちゃったもんね、なんて誰にもいってほしくはないだろう?
さて、こうして読んでみれば。作者が描く「あなた」とは、どこにもいない「あなた」、彼の脳内カノジョなのだ。彼は自分の脳内カノジョに萌えている。つまり、この四篇のオムニバスはオタクの詩として評価されるべきなのだ。
以下、他の三篇にも同様の感想を持ったので割愛させていただきます。《続》
戻る; BF#3/感想1
これは「あなた」に語りかける様式をもつ詩形式四篇――『ね?』『意味。』『伝えるということ……』『小さな幸せ配達人』――のオムニバスである。これを読んでみて、はじめ、とっても不思議な印象を受けた。「幸せ」や「愛」の感じが筆者に全然伝わってこないのだ。もともと筆者は散文系の人間なので、こうした詩形式の言葉にたいする感受性に欠けているのではないかと自戒してもみた。それにしても、一応は中也もランボーも読んだけど。そして何度も読み返すうち、やっとわかりかけてきた疑問がある。それを中心にして感想とします。
『ね?』
「時々あなたは思い悩むことがあるらしい。/幸せが終わることを恐れて/人は不安に駆られる。/誰かに幸せを取り上げられるくらなら/自分から閉じてしまおう/……そういう人もいる。」
で始まる文は、まず「あなた」が「幸せ」の絶頂にあることをいう。「幸せ」な者の悩み。それがテーマなんだろうか?
ところが、上の文につづく言葉はこうだ。
「運命は自分で切り開いて呼び寄せるものだ……という。/幸せだって同じだ。/自分から幸せになろうと想わない人のところに/幸せはやって来ないんだ。愛情は与えるからこそ/自分に返ってくる。」
この確信に満ちた言葉たちの容姿がわかるだろうか。これは「僕」が「あなた」にたいして確信を持っているからだ。「あなた」は「僕」に確信されている。でも、何か不思議じゃないか?
もけ氏だけではなく、おれたちだって「あなた」が見せる幸せそうな表情には心が躍る。だけど、その表情にふと差した不安の陰には怯えないか? なんの確信もないまま、ただ怯えているほかないのはおれだけじゃないだろう。ところが、作者の文は「あなた」を理解している。まあいい。理解できる部分もあるんだから、自分のカノジョなら。
しかし、それにつづく確信に満ちた言葉たちは何なのだ? おれたちは、そんなにもカノジョにたいして確信を持っているか? 持ってるやつにはいっておく。それは誤解だ。他者の理解などできるわけはない。理解すればするほど謎と疑問を際限なく投げかけてくるのが他者じゃないのか。もうわかっちゃったもんね、なんて誰にもいってほしくはないだろう?
さて、こうして読んでみれば。作者が描く「あなた」とは、どこにもいない「あなた」、彼の脳内カノジョなのだ。彼は自分の脳内カノジョに萌えている。つまり、この四篇のオムニバスはオタクの詩として評価されるべきなのだ。
以下、他の三篇にも同様の感想を持ったので割愛させていただきます。《続》
戻る; BF#3/感想1
脳内カノジョっすかぁ!(爆々)
う~む、なぁるほどぉ。
わどさんならでは!
出直してきまっす!(笑)
ま、脳内カノジョも一種の全能感でしょうかね。
もけさんの「言霊(あるいは言葉あそび)」w
ご本人もあっけらかんとしてらっしゃいますが
こう落ちっぱなしではあんまりかな、と。
余計なことかもしれませんがフォローさせてください。
『ね?』には
「愛情という板は/薄く削ってはいけないんだ。」
という部分があります。
この「板」という表現に、一瞬「?」となりましたが
今はどんなタイトルの記事かわからないですが
「厚い板」が出てくる記事が他にもあるんですヨ
(もけさんの過去記事で探してみましたが、みつけられませんでした。
今は非表示になっているのかもしれません。)
その記事は「僕」が、たとえ話をしていて、
「あなた」を支えたいという思いが書かれたものです。
セットになっていれば、より魅力が伝わったかもしれません。
一連の記事を読んでいて
「あなた」への敬意をすごく感じたんです。
でも、「僕」は小さくなってしまっているわけではなくて
どちらかというと大きくて懐の深い感じw
それなのに「あなた」の主体性を重んじている。
こういうものって、詩でも小説でも、日本では意外に少ないと思います。
でも、その敬意を幻滅させずに付き合い続けられるか
どうかっていうのは…あるんで…すが。。
あとあと、「脳内カノジョ」って「恋愛資本主義」に対する対抗策なのだと読み齧りました。
その意味で、もけさんの行きかたは、どちらにも染まらず
ちょうどいい塩梅ではないかなぁ と思います。
うーん。
>同性からはちゃちゃを入れられちゃう運命なんですかね
異性にこういう読み方をされますと、もけ節は今後も安泰のようですね。それはそれで結構なことです。
>こう落ちっぱなしでは…
おれとしては、
>オタクの詩として評価されるべきなのだ
の部分は最高の賛辞なんですがね、なにか?w
オタクが書いた詩って、読んだことあります? ないはずで、それはオリジナルじゃないかと…。
>この「板」という表現に、一瞬「?」となりましたが…
>「厚い板」が出てくる記事が他にもあるんですヨ
「板」、もけ詩のなかでは面白い表現だと思ったんですがね。メタファーが、言葉が、フレーズが、ありふてないでしょ? なにか作者に独特の「個人史」みたいなものを感じさせる部分です。とくには触れなかったんだけど(苦笑)。
>「あなた」への敬意をすごく感じたんです。
>どちらかというと大きくて懐の深い感じw
>それなのに「あなた」の主体性を重んじている。
もけ節、これからも安泰のようですね。確信できるような気がしてきます(笑)。
おれの感想にある他者への「怯え」というのは、小さくなることじゃないですよ。じゃあ他者の「神秘性」と言い換えたら、どうでしょうか?
ロマンに満ちる方向への接近は、おれとしては希望してませんが。usoの文字が氾濫しだすもので…。しかし異性にたいしては、おれもこうした言葉のマジックを便利に使う場面がないわけじゃない(爆)。
要は、他者をどう認知するか、にかかっていると考えます。アフガン・イラク/アメリカ、チェチェン/ロシア、新自由主義/国民主権など、この文脈は「あなたー僕」をこえて世界に縫合されているのではないですか? 「大き」さや「懐の深い感じ」、「主体性を重んじている」というchokoさんのご感想も、そんな文脈の中にあるはずです。
>こういうものって、詩でも小説でも、日本では意外に少ない…
あまり読書しないんで、詳しくは知りませんが。きみはきみのままでいてくれ、いつまでも、オゥきみの笑顔、抱きしめて、いつまでも、チャララン♪…、みたいな癒し系は氾濫してますよね。なにも人格の否定を好んでいるわけじゃないんですが(ムズカシイ!)。
>「恋愛資本主義」 !!!!!!!!
さすがchokoさん、こう来ますか!
おれに言わせれば、「恋愛資本主義」とは「新自由主義恋愛」のことですが…(と、さりげなく解説)。「自分探し」と「浮気」の関連づけが超トレンディーになるので、人妻専門にとってはバラ色の世の中がやってくるでしょう。あ、もう来てます?
でも、これもまた他者の認知方法に関係してると思います。たしかに「脳内カノジョ」も、その方法のひとつですよね。
最後になりますが、おれはもけ氏という具体に言及してません。彼の恋愛が「幸福」向きに行こうが「しあわせ」向きに行こうが、感想文としては関係がないんですよ。それだけは補足しておきますね。
もう、ヘンなのはおれんちには来ないでくれ。
っていえば、よけいに来るのか(苦笑)。
年始にたてた誓いは、今のところ「アイロニーを連発せず」が唯一守れているかな~ってぐらいです。
(というか、「あせらず、あわてず、あきらめず」はすごくおぼえやすいのですが、自分で追加した4つはおぼえにくくて… 汗)
でも、7月にわどさんがくださったアドバイスのおかげで元気にしております。その節はほんと、ありがとーございました。
上の私のコメントですが、書いては消し、書いては消しをやりすぎて、いろいろ抜けたものになってしまいました。すみません。(ほんとに「余計なこと」になってしまったなー、と。)
たぶん、私は自分のブログで感想記事を書くべきなのだろうなと思います。なのに、PCの前に座ると、自分よりもひとの書いたブログばっかりみてしまって…
>おれはもけ氏という具体に言及してません。
はい。そのとおりです。ごめんなさい、私がまぎらわしい書き方しちゃいました。
>なにか作者に独特の「個人史」みたいなものを感じさせる部分です。
うんうん、そうですよね。私もそれを感じました。
>しかし異性にたいしては、おれもこうした言葉のマジックを便利に使う場面がないわけじゃない
あー、やっぱり?w もう。わどさんてば。
>おれの感想にある他者への「怯え」というのは、小さくなることじゃないですよ。じゃあ他者の「神秘性」と言い換えたら、どうでしょうか?
ここですね、難しいのは。
おっしゃるとおり、わどさんが書いた「怯え」は
「小さくなること」とは違いますよね。
神秘性、そうですね。そういうものだろうなと思ってました。
>でも、「僕」は小さくなってしまっているわけではなくて
こう書いたのは、ただ漠然と相手への「敬意」に対のものとして己への「卑下」を思い浮かべちゃっただけなんです。
ここの部分は本当に単純に、私の思考パターンを基底に書きました。
もっと俗っぽく書いてしまうなら、「彼にリードしてもらいたいか」「彼よりリードしたいか」の色めがねで、どっちかに分類してしまう癖が私にあるのだと思います。
「他者をどう認知するか」にかかっているかどうかの話については、今回はとりあえず書かずに切り上げますね。
そここそ、わどさんのお話の中で教えていただきたい興味深いところなのですが、文字数がすごいことになって、ご迷惑かなとも思いまして。。
ほんと、言葉ってムズカシイですね。
どこまで伝達できているのか、迷宮に迷い込んでいるのか
悲観的な意見があるのも、わかる気がします。
でも、まだ私はあきらめる境地に至っていないようです。
さて、と…。
>ほんとに「余計なこと」になってしまったなー、
は余計でしょー、やっぱり。チョコさんの「ツッコミ」で深められた論点もありましたし、別の角度から考えてみたりも。2chをまねた誇大妄想・粘着・精神分裂まるだしの低脳アラシがたまに来ます(コイツラ、結構いい年してるのが多いからホント笑うしかない)が、あなたはそうじゃない。まあ、なんですね。「男女関係」については、エッジのところで熱~い実践☆に励んでいらっしゃる人のご意見は尊い! って感じかな(笑)。
敬意/卑下、リードする/される、の部分には、
>年始にたてた誓いは、今のところ「アイロニーを連発せず」が唯一守れているかな~ってぐらい
と通低しているものがあるかな、という読みも。そのわけは…。
まずアイロニーには、差異を感じる者(わかりやすくいえば自分)と差異を感じられる対象(わかりやすくいえば他者)があるわけです。自分(の価値観)を上に置き、他者(の価値観)を見下ろして笑えば、アイロニー(冷笑)が生まれる。
ですから、アイロニカルな人はガンバリ屋さんでもあるんですよね。ガンバッて、自己の価値観がどれだけ優れているかを主張する。
(2chをうろつく精神ガキはクズ籠にポイで十分。ヘンな平等意識で深追いすると傷つけられますよ。くわしくお知りになりたければメールしてください。wordblow@mail.goo.ne.jp)。
ここにチョコさんの「かわいさ」が覗く反面、「もろさ」も覗いてるような気がします。女性の「「もろさ」も、ある程度ならかわいいんですがね。おれって男根神話にとりつかれてる一面があるから(笑)。
だけど、現代社会はそれを「かわいい」として放置してはくれないんですよね。「一円の儲けにもつながんないじゃーん!」を根拠にして。その結果、女性の「もろさ」は精神科医の儲けにつながったりします。男もよく似た状況があるようですが。
ふーん、ここがむずかしい。差異という距離感覚は重要です。だって、わたしとあの人は違うって思えるから面白いので。反対に、同じばっかりって地獄じゃないですか。たとえば、町で見回すと、自分と同じ服を着た者ばっかりだったなんて。違いはサイズの大小だけだったりとか。でもこれ、いまでも世界の片隅には起こっている日常らしいです。
では、かしこいチョコさん。新しい疑問はわいたら遠慮なくコメントしてください。考えてみます。って、答えはちっとも出てないけどなあ!(爆)
僕の書いた文字にこれほど素晴らしい読者のみなさんがいて
こうして意見を交歓してくれているのをみると
大変な感動を覚えます。
もう僕自身を越えて二人で飛翔している(笑)。
本当にありがとうございます!
まずは、「余計なこと」はヨケイだ(w)とのお言葉、ありがとうございます。ホッとしました。
それで、今回の「アイロニー」をからめてのお話ですが、読んで「どっしぇーー!(古いのかな、これ、たぶん古いんだろうな)」
とひっくりかえってしまいました。
私、「アイロニー」って単に「皮肉」ぐらいの意味にしか考えていなかったんです。うう、不勉強ですね。
あわててググりました。orz
ソクラテスの「無知の知」あたりでしょうか。
べ、勉強して出直します(汗
(道は遥かですね… これではリゾームのお話に加われるのはいつになるやら)
どもども、私はそんな素晴らしい読者ぢゃないですよ~
でも、もけさんの詩は素敵です!(えへ)
こういうの、楽しくて、好きです。
おかげ様で、わどさんと飛翔できて(できたかな)よかったですよ。
この点、「しゅぱ!」さんの感想に書かせてもらったユーモアの話、なにか参考資料になりませんかね?
ソクラテスですか~。ダイアローグですよね? プラトンの伝記によれば、その中で相手の無知を暴き立てたという方法ですよね。これも「皮肉」「アイロニー」と同種なんですかね。そうだったかも知れません。
じつは、これを方法論にまで昇華させたものがデリダなんかの「脱構築」といわれるものじゃないか、なんて思っているんですよ。ただ思っているだけで、マジにデリダを理解しようとはしていないんですが。おれの仮設? デリダの著作は高価なので、読めない!(笑)
ってことで、今日も答えはありませんでしたね。それでいいよね? あ、そうそう。『町場のアメリカ論』(内田樹/NTT出版¥1600抜)にフェミニズムのことが書いてありますよ。日本/アメリカの対比なんかが、おれにはとっても面白かった。本屋さんで一度覗いてみたら? 彼の本は、おれたちと知性を何とか近づけようとしてくれるんだ。未来のママにはきっと参考になると思うな。
ではまた!