洞爺湖から函館へ・・・
今回の北海道は、留萌や稚内、網走を除く・・・下半分の更に簡易な工程・・・
と言うことで後は、帰るだけだったので・・・駒ケ岳を望みながら宿泊場所の道の駅なないろ・ななえへ・・・
そして翌朝は、宿泊場所から函館までの距離は、約16kmと近かったので・・・
朝からフェリー出発(12:30)までの時間はフリータイム・・・と言うことで・・・やっぱり見学は市場からでしょう・・・
と行ってみると・・・6時では、まだまだ、業者も観光客も動き出す人々はいなかった・・・
当然、食事処もどこも開いておらず・・・空腹を我慢しながら定番の金森赤レンガ倉庫から函館山を観光・・・
なお、函館山は、夜間は交通規制により自動車の乗り入れは禁止されているが・・・昼間は通行可でした・・・
しかし山頂からは逆光になるために湾港の写真は、霞がかかった状況に見えるとともに・・・
青森の下北半島や津軽半島も良く見えなかった・・・
その後、麓に下りてくると・・・函館ハリスキリスト正教会があったので行ってみると・・・
ここは、1855年に幕府とロシアが日露和親条約や修好通商条約の締結を踏まえ・・・
1860年にロシア領事館及び付属聖堂を建立したことに始まり・・・翌年には、聖ニコライ神父が・・・
正教伝道師として来日し・・・その後、神田駿河台に東京大聖堂を建立し・・・正教会の発展に尽力したという・・・
そして函館には、アイヌ民族に関する資料館もあったので行ってきた・・・
この資料館の正式名称は、函館市北方民族資料館と言う・・・
そのためなのだろう・・・展示物を見ると・・・
アイヌ民族の後期のものが多く・・・その物は、和人との交易で得たものが大半を示していたように感じられ・・・
メタボオヤジには、あまり興味をそそる物ではなかった・・・
今回の北海道は、留萌や稚内、網走を除く・・・下半分の更に簡易な工程・・・
と言うことで後は、帰るだけだったので・・・駒ケ岳を望みながら宿泊場所の道の駅なないろ・ななえへ・・・
そして翌朝は、宿泊場所から函館までの距離は、約16kmと近かったので・・・
朝からフェリー出発(12:30)までの時間はフリータイム・・・と言うことで・・・やっぱり見学は市場からでしょう・・・
と行ってみると・・・6時では、まだまだ、業者も観光客も動き出す人々はいなかった・・・
当然、食事処もどこも開いておらず・・・空腹を我慢しながら定番の金森赤レンガ倉庫から函館山を観光・・・
なお、函館山は、夜間は交通規制により自動車の乗り入れは禁止されているが・・・昼間は通行可でした・・・
しかし山頂からは逆光になるために湾港の写真は、霞がかかった状況に見えるとともに・・・
青森の下北半島や津軽半島も良く見えなかった・・・
その後、麓に下りてくると・・・函館ハリスキリスト正教会があったので行ってみると・・・
ここは、1855年に幕府とロシアが日露和親条約や修好通商条約の締結を踏まえ・・・
1860年にロシア領事館及び付属聖堂を建立したことに始まり・・・翌年には、聖ニコライ神父が・・・
正教伝道師として来日し・・・その後、神田駿河台に東京大聖堂を建立し・・・正教会の発展に尽力したという・・・
そして函館には、アイヌ民族に関する資料館もあったので行ってきた・・・
この資料館の正式名称は、函館市北方民族資料館と言う・・・
そのためなのだろう・・・展示物を見ると・・・
アイヌ民族の後期のものが多く・・・その物は、和人との交易で得たものが大半を示していたように感じられ・・・
メタボオヤジには、あまり興味をそそる物ではなかった・・・