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a lice の趣味(酒味?)のブログ

長者ヶ原廃寺跡

2024年08月31日 07時25分12秒 | 観光等
平泉中尊寺や毛越寺の藤原四代の栄枯盛衰を知るためには・・・平泉にて奥羽を支配した・・・
初代当主の藤原清衡の生い立ちを知る必要があるのだろう・・・
※以前、BSNHKにて、「金色堂の謎を追う」だったろうか・・・藤原清衡が目指した極楽浄土が放映されていたが・・・

それらによると・・・生まれは、陸奥国の亘理郡(宮城県)の豪族の藤原氏と・・・
陸奥国奥六郡(岩手県)を治める安倍氏との娘の嫡男として生まれたのが清衡・・・

その後、朝廷軍の源氏により攻められ・・・前九年の役にて藤原氏、安倍氏ともに滅ぼされてしまう・・・
本来であれば、清衡は、敵将の嫡男として処刑されるところだが・・・母が敵将の清原氏と再婚したため・・・
難を逃れ養子として迎え入れられ義兄弟とともに育つこととなる・・・

(写真は、長者ヶ原廃寺跡・・・)
  

その後、清原氏では、嫡男が家督を継ぐが病気にて亡くなってしまい・・・清衡と義弟が分割して相続をすることに・・・
すると、それに不満を持った義弟が清衡の屋敷を攻めて妻子親族を皆殺しに(後三年の役の始まり)・・・
これに対し清衡は、源氏の支援を受けて・・・義弟を打ち取ると・・・江刺郡(岩手県奥州市)に館を構え・・・
藤原の性を名乗り・・・朝廷と親交を深め奥羽の統治者として台頭して行くこととなった・・・

そんな中でメタボオヤジが思うのは、前九年の役で祖父や父を亡くし・・・
更には、後三年の役では、妻子や親族を殺戮され・・・仏教に安らぎを求めたのではないかと考えている・・・

そのため、安倍氏が建立した衣河(川)にあった長者ヶ原廃寺を偲び・・・対岸の平泉に居を構え・・・
中尊寺を建立したのではないのだろうか・・・
※長者ヶ原廃寺跡は、1,000年も前の寺院であり・・・僧侶の育成のための寺と考えられ・・・
 安倍氏滅亡とともに消滅したと考えられているようだ・・・(礎石は、北上川の対岸の束稲山のもののようだ・・・)

  

更に、宋から仏教の一切経(釈迦の教説の全経典)の輸入を行うとともに絢爛で雅な極楽浄土を造ることにより・・・
死者の供養と生者の未来永劫の安寧を願ったのだろう・・・

だが、四代泰衡の裏切りにより助けを求めた源義経は自刃し(10数名対500では戦いにもならなかったろう・・・)
外国との取引のある北国(平泉)の勢力に恐れをなしていた源頼朝に・・・後に泰衡、自らも滅ぼされてしまった・・・
これが平泉藤原氏の栄枯盛衰の全容なのだろう・・・
コメント
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