そっと静かに、さようなら。
トリルは微睡んでいた。世界の果てのように静まり返ったその場所に、邪魔は入らない筈だった。
けれど誰かがしきりに呼んでいる。
(……誰?)
聞き覚えのある声だが、酷く遠くて誰なのかよくわからない。そのまま眠りに沈もうとしたけれど、その声がやけに必死な響きを帯びている事に気付く。
「――ル、ト……ル、トリル!」
悲痛にすら聞こえるような声で何度も呼びながら体を揺するものだから、何だか起きなければいけない気がした。
(どうしたの? どうしてそんなに私を呼ぶの……?)
うっすらと目を開ける。ぼやけた視界が、瞬きする度に輪郭を取り戻す。
見えてきたのは褐色の肌。メッシュの入った髪。金色の瞳。
「トリル!!」
(あ。ジャック、だ)
随分久しぶりに会った気がする。
覗き込んでいる彼の上から、ちらちらと白いものが降ってくるのが見えた。
「ジャック……ここで何してるの? 雪降ってるよ?」
寝起きのようなはっきりしない声が出た。事実眠りかけていたのだから仕方がない。
「何してるって、それはこっちの台詞だ! 一週間も行方くらまして、やっと見つけたと思ったらこんなとこで……! 何してるの、死ぬ気!?」
(死ぬ……? ジャックは、私が死ぬと思ってるのかな)
ゆったりとした速度で思考を働かせ、トリルは微かに笑んだ。
「死なないよ。眠るだけ」
その答えも笑みもどこか現実離れしていて、ジャックに不安を覚えさせた。
「私、前怖がってたでしょ? その理由がわかったんだよ。だから眠るの」
至極当然の事を言うように穏やかな口調で語る。
だが状況は明らかに異様だった。雪の降る中、両親の墓前でトリルは横たわっていたのだ。おかしいとしか言いようがない。
「何、言って……」
「あの日、夢を見たの。それから一週間、色んな所に行って探したよ。沢山歩いたし、船にも乗った。でもね、見つかんなかったんだ。最後にここに来たけど、やっぱり駄目だった。だから、もう眠るの」
肝心な所ばかりぼかして喋る。まるではぐらかそうとしているようだ。
「ジャックは帰らなきゃ。風邪ひいちゃうよ……?」
手を伸ばす。ジャックの頬に触れた指先は、ぞっとする程冷たかった。
「おやすみ」
「……っ」
一瞬だけ触れて、すぐに重力に従って離れてゆく。
駄目だ。このままじゃトリルは戻って来ない。
最悪の予感に突き動かされて、とっさにトリルの手首を掴む。
「勝手な事言うな! そんなんではいそうですかなんて言える訳ないだろ!」
「……だって、気付いちゃったから。もう無理だよ」
「気付いたって、何に」
掴んだ手が強張った。
「……」
「言わなきゃわからないよ」
「……」
「トリル」
「…………昔の夢を、見たの」
言い募るジャックに観念したのか、ぽつりと零す。
「夢?」
「そう。……昔の夢自体は、そんなに珍しくないの。あの夜の夢、結構見てたから」
いつしか笑みは消え、声も弱々しくなっていた。
「でも、それしか見てなかったんだよ。悪夢だったの。昔の幸せな夢なんて、あの夜から見てなかったのに。なのに……こないだ、家族の夢を見た。三人で屋敷の庭で話してる。お母さんがまた見栄張って、仲間誘ってバカンス行こうって。私またかってむくれてた。お父さんが見かねて、たまには家族で行こうって。私が行きたがってた場所提案してくれた、嬉しかった。お母さんもそうねって言って、お父さんは頭撫でてくれた。楽しみだった。……私、笑ってた」
トリルの瞳が揺れる。
「それから目が覚めて、どれだけ悲しかったかわかる? 二度とあんな日来ないのに幸せな夢なんか見て、平気でいられる訳ない……っ」
優しい夢は、罪の記憶より残酷だった。もう戻らない日を突きつけられて絶望した。
父を殺したと自分を責めていれば、無理にでも進む力になったのに。結局あの日から動けていないのだと気付かされた。
「……悪あがきで、探しに行ったの。お父さんの面影、家族の記憶がどこかにあるはずって。でもなかった、どこにもそんなもの残ってなかった!!」
もういない。存在しない。
そう、頭ではわかっていたはずだった。理解して、受け入れたつもりでいた。
それでもどこかで繋ぎ止めようと、必死で。
「……何にも、残さないで。突然、呆気なく。人はいなくなる。ほんとは、わかってた。わかってたけど、わかりたくなかった。意識するのが、怖かったの」
意識しそうなのに気付いたから、うっすら感じる恐怖を敏感に察知した。その結果が以前の状態だ。
「もう私、気付いちゃった。気付く前には戻れない。だから眠るの。……ね、いいでしょ」
「トリル、」
「邪魔しないで。何で止めるの? 結局……全部、夢だったみたいに過ぎてくんだよ。“今”だって同じに過ぎてくなら、何の意味があるの……?」
暗い瞳がジャックに向けられる。
だから離して、と訴える視線。
けれどそれが答えを求めているようにも、ジャックには見えて。
「――意味なら、あるよ」
「ない、……そんなの」
「ある」
断言すると、トリルは口を噤んだ。
揺らいでいる。
今なら、引き戻せる。
「俺にとって、トリルが無意味だとでも思うの?」
「……それは」
「まあ、この際百歩譲ってそう思っててもいいよ。じゃあ、トリルにとって、俺は無意味?」
「ジャックがとかじゃ、なくて……」
「今に意味がないって、そういう事でしょ。だったら俺が死のうがいなくなろうが、平気なんだね」
「……っ」
責める口調でもない、ただ淡々とした物言いに小さく首を振る。
「いてもいなくても同じ。そう言ってるんだろ? 俺がその程度の存在なら、俺にとっても無意味だよ。トリルが眠るなら、俺も消えて――」
「いや!」
理解が追いつく前に言葉が出た。
「それ、は……いや」
空いていた方の手で、ジャックの腕を掴んで。
“いかないで”というように。
「それと、同じことだよ」
ジャックはトリルの手を離す。その手を、自分を掴んだ手に重ねた。
「トリルが平気じゃないように、俺だって平気じゃない。いなくなられたら、困る」
だから、帰っておいで。
「……いつかは、いなくなるのに?」
「今いなくなる必要はないだろ。無意味な相手に、執着なんかしないよ」
「……こんな、でも?」
「どんなでも。したいようにすればいい。帰ってきたいなら俺が連れて行くから」
「でも、……今更だよ。私、お父さんとお母さんを……」
「そんなにきっかけがほしいなら、俺が強引に引っ張ってく」
「――……、」
トリルは答えなかった。けれど手を取っても抵抗はない。
「行くよ」
その声に、静かに瞬く。
流れた涙をジャックの指が拭ってくれた。
翌日、トリルは体調を崩して寝込んでいた。
看病しながら、熱が下がったらお墓参りに行こうと約束したジャックに頷き返す。
その瞳は、もう揺らいでいなかった。
fin...
――――――――――
トリルシリアスシリーズ第二弾でした。
年の瀬にシリアスとか自重してない!
何としてでも年内に上げたかった。今日ちらりと雪が降ったので、余計に。
しかし大分間が空いてしまっ……間が空いたどころの騒ぎじゃないな!(爆)
去年の冬からあったネタです。
当初はこれで落ち着くはずだったんですが、徐々にトリルの内面が掴めてきたのでシリアスシリーズはまだ続きます。
表の明るさと裏腹に、トリルは結構揺らぎます。
今回と、ゲームネタと。そしてまだ失踪します、それが第三弾←
第四弾までで落ち着きます(え)
でもその辺も成長に必要な過程です。
ジャック君に苦労と心配をかけながら(……)
危なっかしい娘ですがよろしくお願いします←
【1/2訂正追記】
一度上げたものを直すのはどうかと思いますが、やはりどうしても納得いかなかった部分を訂正しました。
以降このような事がないようにします。
新年早々すみませんでした。
トリルは微睡んでいた。世界の果てのように静まり返ったその場所に、邪魔は入らない筈だった。
けれど誰かがしきりに呼んでいる。
(……誰?)
聞き覚えのある声だが、酷く遠くて誰なのかよくわからない。そのまま眠りに沈もうとしたけれど、その声がやけに必死な響きを帯びている事に気付く。
「――ル、ト……ル、トリル!」
悲痛にすら聞こえるような声で何度も呼びながら体を揺するものだから、何だか起きなければいけない気がした。
(どうしたの? どうしてそんなに私を呼ぶの……?)
うっすらと目を開ける。ぼやけた視界が、瞬きする度に輪郭を取り戻す。
見えてきたのは褐色の肌。メッシュの入った髪。金色の瞳。
「トリル!!」
(あ。ジャック、だ)
随分久しぶりに会った気がする。
覗き込んでいる彼の上から、ちらちらと白いものが降ってくるのが見えた。
「ジャック……ここで何してるの? 雪降ってるよ?」
寝起きのようなはっきりしない声が出た。事実眠りかけていたのだから仕方がない。
「何してるって、それはこっちの台詞だ! 一週間も行方くらまして、やっと見つけたと思ったらこんなとこで……! 何してるの、死ぬ気!?」
(死ぬ……? ジャックは、私が死ぬと思ってるのかな)
ゆったりとした速度で思考を働かせ、トリルは微かに笑んだ。
「死なないよ。眠るだけ」
その答えも笑みもどこか現実離れしていて、ジャックに不安を覚えさせた。
「私、前怖がってたでしょ? その理由がわかったんだよ。だから眠るの」
至極当然の事を言うように穏やかな口調で語る。
だが状況は明らかに異様だった。雪の降る中、両親の墓前でトリルは横たわっていたのだ。おかしいとしか言いようがない。
「何、言って……」
「あの日、夢を見たの。それから一週間、色んな所に行って探したよ。沢山歩いたし、船にも乗った。でもね、見つかんなかったんだ。最後にここに来たけど、やっぱり駄目だった。だから、もう眠るの」
肝心な所ばかりぼかして喋る。まるではぐらかそうとしているようだ。
「ジャックは帰らなきゃ。風邪ひいちゃうよ……?」
手を伸ばす。ジャックの頬に触れた指先は、ぞっとする程冷たかった。
「おやすみ」
「……っ」
一瞬だけ触れて、すぐに重力に従って離れてゆく。
駄目だ。このままじゃトリルは戻って来ない。
最悪の予感に突き動かされて、とっさにトリルの手首を掴む。
「勝手な事言うな! そんなんではいそうですかなんて言える訳ないだろ!」
「……だって、気付いちゃったから。もう無理だよ」
「気付いたって、何に」
掴んだ手が強張った。
「……」
「言わなきゃわからないよ」
「……」
「トリル」
「…………昔の夢を、見たの」
言い募るジャックに観念したのか、ぽつりと零す。
「夢?」
「そう。……昔の夢自体は、そんなに珍しくないの。あの夜の夢、結構見てたから」
いつしか笑みは消え、声も弱々しくなっていた。
「でも、それしか見てなかったんだよ。悪夢だったの。昔の幸せな夢なんて、あの夜から見てなかったのに。なのに……こないだ、家族の夢を見た。三人で屋敷の庭で話してる。お母さんがまた見栄張って、仲間誘ってバカンス行こうって。私またかってむくれてた。お父さんが見かねて、たまには家族で行こうって。私が行きたがってた場所提案してくれた、嬉しかった。お母さんもそうねって言って、お父さんは頭撫でてくれた。楽しみだった。……私、笑ってた」
トリルの瞳が揺れる。
「それから目が覚めて、どれだけ悲しかったかわかる? 二度とあんな日来ないのに幸せな夢なんか見て、平気でいられる訳ない……っ」
優しい夢は、罪の記憶より残酷だった。もう戻らない日を突きつけられて絶望した。
父を殺したと自分を責めていれば、無理にでも進む力になったのに。結局あの日から動けていないのだと気付かされた。
「……悪あがきで、探しに行ったの。お父さんの面影、家族の記憶がどこかにあるはずって。でもなかった、どこにもそんなもの残ってなかった!!」
もういない。存在しない。
そう、頭ではわかっていたはずだった。理解して、受け入れたつもりでいた。
それでもどこかで繋ぎ止めようと、必死で。
「……何にも、残さないで。突然、呆気なく。人はいなくなる。ほんとは、わかってた。わかってたけど、わかりたくなかった。意識するのが、怖かったの」
意識しそうなのに気付いたから、うっすら感じる恐怖を敏感に察知した。その結果が以前の状態だ。
「もう私、気付いちゃった。気付く前には戻れない。だから眠るの。……ね、いいでしょ」
「トリル、」
「邪魔しないで。何で止めるの? 結局……全部、夢だったみたいに過ぎてくんだよ。“今”だって同じに過ぎてくなら、何の意味があるの……?」
暗い瞳がジャックに向けられる。
だから離して、と訴える視線。
けれどそれが答えを求めているようにも、ジャックには見えて。
「――意味なら、あるよ」
「ない、……そんなの」
「ある」
断言すると、トリルは口を噤んだ。
揺らいでいる。
今なら、引き戻せる。
「俺にとって、トリルが無意味だとでも思うの?」
「……それは」
「まあ、この際百歩譲ってそう思っててもいいよ。じゃあ、トリルにとって、俺は無意味?」
「ジャックがとかじゃ、なくて……」
「今に意味がないって、そういう事でしょ。だったら俺が死のうがいなくなろうが、平気なんだね」
「……っ」
責める口調でもない、ただ淡々とした物言いに小さく首を振る。
「いてもいなくても同じ。そう言ってるんだろ? 俺がその程度の存在なら、俺にとっても無意味だよ。トリルが眠るなら、俺も消えて――」
「いや!」
理解が追いつく前に言葉が出た。
「それ、は……いや」
空いていた方の手で、ジャックの腕を掴んで。
“いかないで”というように。
「それと、同じことだよ」
ジャックはトリルの手を離す。その手を、自分を掴んだ手に重ねた。
「トリルが平気じゃないように、俺だって平気じゃない。いなくなられたら、困る」
だから、帰っておいで。
「……いつかは、いなくなるのに?」
「今いなくなる必要はないだろ。無意味な相手に、執着なんかしないよ」
「……こんな、でも?」
「どんなでも。したいようにすればいい。帰ってきたいなら俺が連れて行くから」
「でも、……今更だよ。私、お父さんとお母さんを……」
「そんなにきっかけがほしいなら、俺が強引に引っ張ってく」
「――……、」
トリルは答えなかった。けれど手を取っても抵抗はない。
「行くよ」
その声に、静かに瞬く。
流れた涙をジャックの指が拭ってくれた。
翌日、トリルは体調を崩して寝込んでいた。
看病しながら、熱が下がったらお墓参りに行こうと約束したジャックに頷き返す。
その瞳は、もう揺らいでいなかった。
fin...
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トリルシリアスシリーズ第二弾でした。
年の瀬にシリアスとか自重してない!
何としてでも年内に上げたかった。今日ちらりと雪が降ったので、余計に。
しかし大分間が空いてしまっ……間が空いたどころの騒ぎじゃないな!(爆)
去年の冬からあったネタです。
当初はこれで落ち着くはずだったんですが、徐々にトリルの内面が掴めてきたのでシリアスシリーズはまだ続きます。
表の明るさと裏腹に、トリルは結構揺らぎます。
今回と、ゲームネタと。そしてまだ失踪します、それが第三弾←
第四弾までで落ち着きます(え)
でもその辺も成長に必要な過程です。
ジャック君に苦労と心配をかけながら(……)
危なっかしい娘ですがよろしくお願いします←
【1/2訂正追記】
一度上げたものを直すのはどうかと思いますが、やはりどうしても納得いかなかった部分を訂正しました。
以降このような事がないようにします。
新年早々すみませんでした。