ういなあず倶楽部
名古屋大学硬式庭球部OB会
 



京大テニスクラブ林会長より、4月2日に京都大学百周年時計台記念館にて、京都大学庭球部100周年記念祝賀会を行うに当たり、当ういなあず倶楽部より来賓出席を求められた為、3万円の祝い金、祝電と共に熊澤会長、間瀬大阪支部長、池口の3名で式典に出席した。以下にその様子を報告する。
               記
当日は雨模様であったが、来賓として尾池京大総長を筆頭に、学校関係者2名、日本テニス協会渡邊専務理事、関西テニス協会市山理事長、京都府テニス協会会長と蒼々たるメンバーが招かれており、我々は何か別次元の異空間に放り込まれたようで、大いなる違和感があった。大学関係では、最も古くから対抗戦を行っていた関係で、東大赤門クラブが最も多く、猪熊会長を筆頭に12名、私立では関西を中心に関西大学、関西学院大学、立命館、同志社、甲南大学、国立では、阪大、名大、東北大、九大から来賓が招かれており、来賓の総数は50名に上った。さらにこれに加えるに、京大テニス部の134名の会員と、34名の現役、総勢200余名が京大時計台記念館2階の国際交流ホールⅡ、Ⅲをぶち抜いた、約30M×20Mのスペースに勢揃いすると、まさに壮観であった。
式典は午後5時から立食パーティ形式で始められ、まず主催者代表の京大テニスクラブ林会長から、明治の国造り中で、東大に対抗して京大が創設され、テニスに於いても、最も古くから東大と対抗戦を行っているが、残念ながら圧倒的に東大が強く、100戦近く戦っているが、3割強しか京大は勝てなかったとの、東京への対抗意識を随所にちりばめた挨拶があった。次に京大尾池総長から祝辞があり、京大100周年は、実は三年ほど前に終わっており、テニス部創部も同時期であったとの記録を発見したとの話があった。何れにしろ、100年近く経っていると、記録も曖昧で、何時を100周年とするかの決定は難しいようである。
続いての来賓祝辞は、日本テニス協会渡邊専務理事からで、東大と京大の対抗戦の歴史が、日本のテニススタートの歴史に重なるとの話があり、最後は、東大赤門テニスクラブ猪熊会長の、京大テニス部との激闘の歴史の祝辞によって締めくくられた。
その後、乾杯の音頭を取られた、京大テニスクラブ顧問の児玉氏、中締めの音頭を取られた京大テニスクラブ顧問の榊原氏、共に85歳以上で、通常歩く姿は普通の老人と変わらないが、いざマイクの前に立ち、話をされると、背筋はぴんと伸び、若者と変わらない声を出される。それもその筈、話の内容を聞いてみると、年間100日以上はテニスをしているとの事。さぞやテニスをしている時も、すばらしい球を打たれているのだろう。
最後は全員で三高寮歌「紅燃ゆる」を熱唱し、幕となったが、自分より年上の人達の、すばらしいパワーに圧倒された一日であった。只、別の面から考えると、100年の記念式典として、東大に対抗した京大だからこそ出来たことで、このように費用のかかる式典を中途半端な名古屋大学が果たしてやるべきか、考えさせられる一日でもあった。最初に感じた違和感もこんな所から来ているのかもしれない。(記:池口雅彦)


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 現役試合結果 平成17年度... »