ういなあず倶楽部
名古屋大学硬式庭球部OB会
 



大阪大学庭球部・公孫樹クラブ創立100周年記念式典参加記
                                 池口雅彦
大阪大学庭球部・公孫樹クラブ吉矢会長より、3月3日に大阪大学医学部付属施設銀杏会館にて、大阪大学庭球部・公孫樹クラブ創立100周年記念式典を行うに当たり、当ういなあず倶楽部より来賓出席を求められた為、祝電と共に、間瀬副会長、池口の2名で式典に出席した。以下にその様子を報告する。
             記
当日は記念式典と祝賀会の2部形式になっており、記念式典は250名収容の銀杏会館3階ホールで液晶プロジェクターを使用し、司会に公孫樹クラブゆかりの毎日放送高井美紀アナウンサーを迎え、大阪大学宮原総長初め大学関係者5名、日本テニス協会渡邊専務理事、関西テニス協会川廷会長、関西テニス連盟会長、大阪府テニス協会会長、大阪市テニス協会会長、旧七帝大テニス部OB会及び関西の大学テニス部OB会関係者等来賓52名、公孫樹クラブ会員132名、現役テニス部員29名、総勢218名が着席し、16時から約1時間半に渡り行われた。式典の最初のスタートは黎明期の大阪大学テニス部に貢献され、60年間公孫樹クラブ会長を務められ、今年1月に95歳で亡くなられた、公孫樹クラブ名誉会長の荻原郡次氏をいたむ黙祷から始まり、まず公孫樹クラブ吉矢会長から、100周年に集まった来賓への謝辞を述べると共に、公孫樹クラブは適塾を源流とする、大阪医学校の庭球クラブとして、1906年に創部され、旧大阪帝大より古い歴史を誇り、昭和18年から昭和21年までの戦争による中断はあるが、大阪大学テニス部の興隆を支えてきたとの話しがあった。次に主賓として立たれた、大阪大学宮原総長からは、大阪大学テニス部の今日あるは、支えてくれた名古屋大学、京都大学のおかげであり、お陰様で七大学戦(旧七帝戦)では男子23回、女子15回の優勝を誇っているとの話しがあった。こんなところで、名古屋大学の話が出てくるとは思わなかったが、要は名大、京大共に阪大にとっては良き鴨であったと言う事であろう。最後に祝辞を述べられた関西テニス協会川廷会長からは、今後は大阪大学テニス部が、国内での活躍のみならず、国際的に開かれた学生テニス、特にアジア後進諸国を巻き込んだテニス事業への参加により国際貢献して欲しいとの、ユニークな要望が述べられた。
祝辞の後、約40分間の「100年を振り返って・阪大庭球部の歴史」というビデオでの歴史紹介が行われた。このビデオは100周年記念事業のなかで最も力を入れたものだそうで、今日来訪の全来賓にDVDとして贈呈されるそうである。
その後、昭和41年卒の渡辺奉昭氏及び2名の若手女性を含む7名のパネラーによるパネルディスカションが行われ、各パネラーによる阪大テニス部が如何に強かったかの自慢話が披露された。ただ確かに、阪大テニス部は、七大学戦(旧七帝戦)を第1とし、第二がリーグ戦であるとのことであるが、七大学戦では昭和36年からの4連覇、昭和44年からの2連覇、昭和47年からの6連覇を含む、男子23回優勝、平成11年からの4連覇を含む女子15回の優勝の戦績は立派であり、リーグ戦においては、全日本学生単準優勝の渡辺奉昭氏在籍時の、昭和37年における甲南大学、関西学院大学、神戸大学を敵に回しての1部キープは立派であった。ただ最近は七大学戦においては平成15年優勝、平成17,18年連覇と、名古屋大学が好成績を収めており、大阪大学が後塵を拝しているのが残念との事である。又この中で、公孫樹クラブの事業として、70周年には記念部誌が発行され、85周年記念には2面の人工芝コートの寄贈を行った事が明らかになった。
この後、いままでの功績者の表彰と、100周年記念部旗とコートサーフェス改修事業の贈呈を行い、最後に小野100周年事業部長から、この事業は3年前から計画し、4つ部会(式典、記念誌、コートサーフェス改修、映像)を立ち上げ、1350万円の寄付を集め大変であったが、皆様のご協力に感謝したい旨の挨拶があり式典は終了した。
式典終了後、6時から同じ3階の3つの会議室に世代別に分かれて、立食形式の祝賀会が始まった。
ここでは、まず最初に阪大教授の床谷大阪大学テニス部長より、テニス部時代はマネジャーとして70周年記念誌作りに携わり、今再び100周年記念に立ち会え、我ながら自分の強運に驚いており、この3年間100周年事業を進めるなかで、さらに多くの先輩知己を得た事を感謝したいとの挨拶があった。次に渡邊辺日本テニス協会専務理事より以下のような非常にユニークな挨拶があった。
「中学、高校の先輩である静敬太郎氏から言われて来たが、私の出身校の甲南大学と大阪大学を比較してみると、大阪大学のテニス部員は学生時代は勉学に明け暮れて、あまり強くないが、卒業後もテニスを続けられ、全日本シニアで活躍する人が多い。甲南大学のテニス部員は、学生時代はテニスばかりやっているので非常に強いが、卒業すると皆テニスを止めてゴルフに走り出す。50を越してゴルフの飛距離も落ちてきたので、昔やったテニスを又やってみるかとテニスを再開する人も多いが、その時には既に遅く、阪大出身者にこてんぱんにひねられる例が多い、事ほど左様にテニスは継続が命であり、年輩になってからの健康のためにテニスを続けて欲しい。」
次に間瀬副会長が、伝統ある名阪戦の対戦相手である名古屋大学を代表し、名阪戦が当時もめずらしい複5,単10の総力戦であり、応援も含めて、素晴らしい熱戦が展開されたとの挨拶があった。ただ間瀬副会長も学生時代はマネジャーであり、出場の経験はないが、卒業後大阪へ来てテニスを再開してから、阪大の多くのお医者さんと知己になり、老後は全く心配ないとの事であった。
次に京大テニスクラブの和田会長が立たれ、「京大は阪大とはリーグ戦3部どうしで、対抗戦も先の名阪戦と同じように、複5,単10をやっており、1番近い仲間と思っている。現役時代は同じB級リーグで最下位を争った。ただ最近は毎年52歳以上で阪大、名大とセントラルリーグをやっている。」との挨拶が述べられた。
最後に公孫樹クラブ静副会長が、今日ご来訪のご来賓、公孫樹クラブ員及び来訪のかなわなかった500人以上の公孫樹クラブ員に謝意を表してお開きとなった。     以上。


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