Are you Wimpy?

次々と心に浮かぶ景色と音。
そこからは絶対に逃げられないんだ。

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26.神の息吹

2020年03月22日 | 日記
ゲイリーと僕は制止を振りきって銃声の方へ向かった。僕は数歩進む暇もなく,勢い良く流れ込んでくる人の怒濤から弾き出されて転倒した老翁を抱き上げ建物の陰に避難させた。振り返ると,駆け抜ける無数の人影の向こうで幼い男の子と母親を庇っているゲイリーが見えた。

老人が怪我をしていないのを確認してゲイリーの方へ向かおうとしたが,すぐ近くで銃声が断続的に鳴り響いたのに驚いて老人を守る様に抱きかかえながら身を屈めた。20メートルくらい先で何かを叫んでいるゲイリーのすぐ近くで警官の1人がライフルを水平に構えて何かを狙うようにして発砲しているのが確認できた。

その不気味な喧騒は数分間続いた。何かを唱えながら包み泣いている老人と抱き合ったまま,僕は一歩も動けずにいた。夏の日差しは強いはずなのに,日陰に隠れていたせいで汗が冷やされ寒気を感じる程だった。その汗は決して爽やかなものではなく,ねっとりと全身に滲み出ていて,僕は明らかに恐怖に怯えていた。老人の囁きと轟く銃声の中で,自分の呼吸が不規則で荒いのと首筋がヒクヒクと痙攣しているのを感じながら,僅かであるが失禁していることに気付いた。

人の波や銃声が途切れてくると,その警官が銃を構えたまま誰かに向かって怒鳴りだした。そのまま建物の間から除き見ていると,逃げ惑う人々が振り返りながら足を止め始め,銃声は少しずつ止んでいった。

僕の両頬を手で摩りながら「フヴァラ,フヴァラ・・・」と礼を言う老人を落ち着かせてから人々が見つめる方向へ目をやった。炎をあげて時々パンパンとガラスが割れる音を立てている真っ黒に焦げた乗用車のすぐ傍で,警官2人が倒れた別の男性を足で激しく蹴り上げてるのが見える。グニャリとなって人形の様にゴロゴロと転がるだけの男性を警官たちが執拗に何度も何度も蹴りあげている。その周囲には老若男女大勢の人たちが倒れていて,息がある者は苦しみに喘ぐ声を漏らしていた。動かない親のことを揺すりながら大声で泣いている子供も見えた。

庇っていた親子が無事に立ち上がって離れていくのを見届けたゲイリーが脇腹を抑えてその場に座り込んだ。

「怪我をしたのか」
僕がゲイリーに走り寄った途端,彼は何も答えずその場でドサッと尻餅をついて,そのまま仰向けにパタンと倒れてしまった。

「怖いんじゃない,寒いんだ」
倒れたまま呟くとゲイリーは白目を向いてガタガタと震え出した。先程の僕の痙攣とは違って,何かにとりつかれた様に歯をガチガチと鳴らしながら麻痺していく。

どんどん血の気を失っていくゲイリーの腰から太腿にかけて大量の血液が滲み出したから,僕は無意識に傷口を探り当てて貫通している両側の穴の出血を止めようと必死に圧迫した。押さえている両手の指の隙間から波打つようにドロリとした血液が断続的にビュッビュッと吹き出して,それは無情にも全く止める術がなかった。血相を変えて僕たちのことを探しに来たイギリス兵が走り寄ってきたが,ゲイリーの方をチラリと見ただけで諦めた様に軽く横に首を振った。血溜まりがみるみる大きくなって,通りの反対側の歩道の方まで広がって行った。

「ああ,神様・・・」

ゲイリーが力のない声を絞り出すと震えがスッと止まって,彼の声からは想像できないような呻き声が3秒ほど漏れた。押さえていた傷口はまだ生温かかったが,徐々に出血は収まっていった。それは止血が上手くいったからではなく,彼の鼓動が止まったことを示しているのを知って僕は息を飲んだ。そして命はこんなにもあっけなく遮断されることを初めて知った。

「聞こえたか?」
ラファエルがいつのまにか僕の真後ろに立っていた。

「これが神の息吹だ」

僕はゲイリーの方へ向き直って,ゆっくりとその場から離れようとした。彼の血液でヌルヌルとする指先の感触が恐ろしくなって腰から砕ける様にして倒れると,ラファエルがしゃがんで両手の親指でゲイリーの瞼を閉じさせ両腕を胸の上で組ませた後,小さな声で祈り始めた。

僕はすっかり腰が抜けてしまい上手に呼吸ができなくなってしまった。まるでセピア色に見えている目の前の現実を受け入れられないまま,ただ言葉を失ってゲイリーとラファエルを見つめていた。銃声のせいだろうか,酷い耳鳴りがして吐きそうなくらいだった。

「大したもんだったよ」
ゲイリーの足元に見知らぬ3人の兵士が歩み寄った。どもっていたし少々訛りはあったが比較的はっきりとした英語で,そのうちの1人が続けた。
「奴らの1人が何発か食らってくたばったが,相撃ちとはな」

全弾を撃ち尽くしてスライドが下がったままのピストルを拾い上げながら,その男は僕の方を見下ろした。逆光のせいで顔ははっきりと確認できなかったが,鼈甲の様にギラギラと光る眼差しがこちらを睨んでいる。

「お前もやられたのか?」

僕は黙ったまま血まみれの両手をズボンに擦り付けながらゆっくりと立ち上がろうとして足がもつれてしまった。

「カー・ボムと5人だ。全員射殺した」
その男が僕に手を貸しながら説明した。

「お前は撃たなかったのか?」

怪我がないか身体のあちこちを摩って確認しようとした彼の手を止めながら僕は後ずさりした。

「僕は殺さない。誰も殺さない」
僕は全身がガタガタと震えるのを必死で隠しながら叫んだ。

「どうした,落ち着け」
「僕は殺さない」
「じゃあ,何で銃を持ってんだ」

「これは・・・」
彼らがギョっと身を引くのが早いか,僕は一瞬間を置いてから無意識にピストルをホルスターから引き抜いて自分の顎の下に突き付けてからすぐに元に戻した。それから腰のバッグのポケットにしまってあった弾装を見せた。

「弾は1発だけなんだ」

ほんの数秒間,驚きと安堵を繰り返した男は大きく深呼吸をしてから馬鹿にしたような口ぶりで話しかけてきた。
「殺せないんだろう,ウィンプが・・・」

男は仲間の方へ戻りながら,どもった調子のまま言い放った。
「俺たちがお前らの護衛だ,ウィンプ。俺が隊長のリアノだ」

様々な出で立ちをした男たちが倒れたゲイリーを見下ろしていた。若い警官が自分の妻の為に買った花束を躯の上にそっと置いた。

自分と同じ格好をしたゲイリーが,まるで自分の姿の様に錯覚して,僕は怖くてしばらく近寄ることができなかった。