Sans toi m'aime

To a special place we can find, just you and I.

コストが質を殺す

2007年10月16日 | 家電
某松屋で割り箸が無くなって使いまわしのプラスチック箸になっていることにものすごい衝撃を受けてしまう。
一瞬食事をやめて帰ろうかと思いつつも時間無いしなーとプラ箸を使っては見たもののリアルにMY箸を検討してしまうのでありました。
実際これくらい強制しないと何時までたってもエコとか普及しないんだろーなーと知識では分ってたつもりだったけど実際に体感すると色々とスゴイ
そんな事とはあまり関係が無いのだけれど先日遅れながらもブラックバージョンが出たF50fdもまたなかなかの強制力を発揮している模様。
あちこちで見かけるF50fdに対する批評は富士の裏切りというゆー批判的なものばかり噴出していてメーカーも大変そーだなーとか思ってみたりして。
しかして投売りにならなければ売れなかったF31fdに対する答えとしか思えないほどF50fdはなにやらやる気とか削がれててホワイトバランス傾向やノイズ処理なんかが適当な雰囲気になってて
そーゆーのは小さくなった電池容量からくる処理不足とかならいーけどまるで丸々どっかのOEMになってしまったかのよーな感じがするのが怖い。
薄くスタイリッシュで高画素、手ブレ補正という宣伝文句も手に入れたけれど、それらがまるで投売りされたF31fdの復讐や絶望、皮肉みたいに感じずにはいられないという意見が一部のマニア側から出てしまうのもやむをえないのでわなかろーか?
といって、投売り価格でしか売れないF31fd路線をメーカーが継続できるわけもなく最終的にはF31fdの定価を拒否した売り場が機種の傾向を決めてしまったと言わざるをえないという噂。
結局富士が打ち出していたフジカラー、ダイナミックレンジ、高感度という個性ある路線はどれも投売りという形でしか市場に受け入れられず
売り場で求められる条件へと没個性になってしまふのは市場原理といってしまえばそれまでだけんども、ちょりっと寂すぃかねぃ・・・。
あらゆる市場で同じよーに安く安くと求めるほどに質はガンガン下がっていき何処かで破綻してしまうとゆーのはF50fdも割り箸も似てるんかもよーとか思う秋の寒空。