kira kiraな☆しあわせ ~多発性海綿状血管奇形・心因性非てんかん性発作(PNES)と共に~

病気があるからこそ今いる私。楽しいことも悲しいことも、すべてがkira kiraの思い出になると信じて‥☆

入院中のこと~終夜脳波~

2010-02-24 12:07:29 | 病気と障害と私の生活
終夜脳波の二晩記録です…。


*1日目*

入院していた部屋から検査室へ引っ越しました。

布団と枕とベッドサイドテーブルは使っていたものを持って。

私は、迎えに来てくれた先生と移動しただけなので‥
引っ越しは看護師さんがしてくれましたが、
事前に、荷造りするように言われていました。


タオル、歯ブラシ、マグカップ、箱ティッシュ、水、雑誌、携帯。
‥それと、飴とか小さいお菓子をケースに詰めて♪まとめておきました。


検査室に移動してすぐ、脳波計をつけて準備です。

「ここはそのテープじゃ取れちゃうから、こっち使って!」とか‥検査技師さんたちが、ものすごい強力に装着してくれた後、

先生に髪の毛ごと包帯ぐるぐる巻きにされて、
耳と顏はちゃんと出るように。ごはんが食べられて、話できるように。ハサミで切って緩めてくれました。

本当に、見た感じ痛々しい姿ですね。

面会に来た父が、かなり驚いてショックを受けてました(笑)
私は自分の姿を見ないようにしてたから、よくわからないけど。

でも、頭からあごまでキツキツに巻かれて‥想像はできます(^_^;)ミイラみたい。。


ゲーム機は持ち込めないと言われたので、DSは部屋に置いて行きました。

ゲームはともかく。
いつも寝るときに音楽を聴いてたから、音楽プレイヤーの持ち込み許可が欲しかったのですが、

検査技師さん‥「携帯へーきなんだからいいと思うけど?」
受け持ち看護師さん‥「先生に聞いてからにしよう」
先生‥「ノイズが入らなければ。。」

再生してみると、微妙にノイズが入って検査に影響すると。
あえなく却下されました。


準備が済んだら、あとは2方向からのカメラに監視され、波形を記録してるパソコンと、画像記録してるパソコンも同じ部屋。モニターも足元。
という、機械にまみれた中でベッド上生活スタートです。


ごはんも、歯磨きも、何もかもベッドの上。
ベッドのリモコンもコンセントを抜くので、ちょうどいい角度に上げておきました。

落ちないように、ベッド柵を下げられるのはトイレに行くときだけ。

窮屈です‥。


看護師さんを呼んで、足からつながっている酸素計を外し、脳波計のコードを抜いてもらってから、今までいた部屋のトイレへ一緒に行ってもらいます。

そしてベッドに戻ったら、外したものをつないで、ちゃんと全部が外れていないか確認してもらわないといけない‥。

歯磨きも、水を酌めない。捨てられない。
だから、水を酌んでもらって、ガーグルベースンに吐き出して、きれいに片づけてもらってました。

ベッドから一歩降りられれば、自分でできるのに‥。

いちいち看護師さんを呼ぶというのは、本当に気が引けます。
でも、ムダに動いて、たくさんある線のどれかが外れてた!なんてことになったら大変だから、仕方ない(;_;)

しかし。

なかなかナースコールをできない私(-_-)

yesマンのように「大丈夫?」と聞かれたら「大丈夫」と答えてしまう私(-_-)

1日のトイレ回数が普段の半分以下にまで減ってしまい‥

看護室とくっついた検査室だったから、通りがかりに声をかけてもらったり、何かのついでに必ずトイレも行く、というようにしてもらいました。

そんななので、「大丈夫」と言っても信用されず。。

先生にも、「本当に?」と聞き返されるようになりました。



ちっとも大丈夫じゃない、この環境で。
何もする気にならないと言うか
できないけど‥
私は昼間に発作が起きることはなく、元気なので

携帯小説に、はまってました。
一度にたくさんは、疲れて読めないから、
読んで寝て、起きたらまた携帯いじるの繰り返し。
今まで、こんなに携帯と仲良くしたことはなかったです。

そんなで、しかも一日中同じ明るさで窓がないとこにいたから、昼も夜もなく。

お風呂も入れないし。
出歩けないし。
ヒマ。

夕方、家族が来てくれる時間だけは、話し相手ができてお菓子食べたり、折り紙したり、
そのまま夕飯なので、することあってまだいいんだけど‥

それからが長い‥‥。

なぁ~んもすることないし、そんな気にもなれないから(;_;)

看護室で先生たちが遅くまで話をしている声とか、キーボード打ってる音とか聞きながら‥ぼぉ~っと夜を過ごしました。



*2日目*

看護師さんに、「朝ですよー」と声をかけられて
朝になったんだと知りました。

元の部屋よりも静かで、意外と寝られた気がします。

私が入院していた部屋は、ナースコールの音がよ~く聞こえる部屋で、
一晩じゅうその音と看護師さんが走り回る音で、なかなか眠れなかったから。


とは言え。。早くも、この自由のきかない環境にストレス。

看護師さんたちからも、「早く終わりたいね。」「退屈ね‥。何かすることはある?本とか部屋にあったら持ってくるよ?」と言ってもらったり、

先生たちも部屋に来てくれるたび、「こんな環境でいい気しないよね‥」「もう少しがんばろうね」と声をかけてくれました。

みんなやさしくて励まされた‥。


データの保存を3~4日ぶんは出来るように準備してるという、先生たちの会話を聞いてたけど‥ この生活でそんなに過ごすの無理!

1週間、それ以上の期間、この検査を続ける人もいるそうですが、本当に強いなと思います。

たった一晩で、帰りたい気持ちでいっぱいになってました。


そして、そんな気持ちでいたせいか‥夜中に発作が出ました。


それまでは、ほぼコールして看護師さんを呼べていたのに。
この部屋に来てから、ワイヤレスのナースコールを渡されていたのですが、ちょうど手の届かないとこに置いてしまってました‥。

足元で、モニターの警告もずーっと鳴ってたけど気づかれず。

最悪。こんな事態は初めて。

でも、何が起きたのかは、カメラが撮っているし記録に残っているからね。


それから、ぼんやりうとうとして、どれくらい時間が経ったのかわからないけど

足元に人影を感じ‥

夜担当の看護師さんが、様子がおかしいことに気づいてくれた感じで、「大丈夫?眠れない?」と枕元で声をかけてくれました。

コールできなかったことを話し、枕元にワイヤレスコールを置いてもらってから、そのあとはうとうとしながら、朝を迎えました。


朝いちで来てくれた主治医に報告し、すぐに担当医とデータ確認がされました。

ビデオと波形の記録がとれているのを確かめると、
すぐにこの状況から解放するようにしてくれた‥。

キツキツに巻かれていた包帯であごが切れて(+_+)
検査技師さんが強力に取りつけてくれたから、先生が丁寧にはずしてくれたあと‥髪の毛ぐっちゃぐちゃ。

部屋に戻ってシャンプーしていいと言われたけど、
発作が起きたあとは、ごはんも食べたくない。シャワーできるほど元気はなく‥

あとで、院内の美容室に行こうかなぁ~と思っていました。

そうしたら、「私が洗ってあげるよ(^-^*)/」
と、昼担当の看護師さんが言ってくれて、病棟のシャンプー台で髪を洗ってもらいました。

面倒なことなのに、いろんなこと笑顔でしてくれて、とっても嬉しかった。

ベッドに戻って髪乾かしていると、「さっぱりして良かったね♪」と先生も部屋を見に来てくれました。


そして、その日の夜に検査後のお話をしてもらいました。

開始予定の時間を20~30分過ぎた頃‥
担当医が部屋へ迎えに来てくれて、セキュリティのかかったお話部屋へ。。

主治医が端末使って話してくれる斜め向かいに、私と親が座って‥その隣に担当医、それを見渡せる位置で、担当研修医が要約筆記をしてくれている。
という感じ。

ふかふかソファで、そんな椅子ではバランスとりづらいので‥座ってることがキツいなぁと思いながら、話きいてました。笑

言われることは、大体わかっている。
だから、20分くらい平静を装って、何ごともなかったかのように部屋へ戻り、夕飯にありつくのでした(内容は「入院中のこと~涙~」へ)。


入院していた脳外科での治療適応なし。という判断で、翌日には退院しました‥。


ここまでたどり着くまでも長かった。
この2日間も長かった。

長かったけど、終わってみれば、あっと言う間…でした。

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