選択的夫婦別姓の話はなかなか前に進みませんね(>_<) みんなが別姓にしなきゃというなら、反対派が猛反発するのはよく分かります。でも、もちろんそうじゃない。
世の中には、あるいは家族によって、様々な「幸せ」の形があることは、誰しも分かりそうなものですが。
皆さんは、友達や知り合いが「不幸」なこと(宗教団体に多額の寄付とか異常に熱い推し活とか)をしそうなとき、どうしますか? 1回は助言しても、それ以上は余計なお節介では?
別姓反対派は、友達でもないよその家族の「幸せ」に、どうしてそんなに熱くなれるの⁉️
タイトルは、昨春、共産党の小池書記局長が国会で、選択的夫婦別姓に消極的な岸田政権に実現を迫ったときの話題です。
経団連から見放されても、反対派の粘り腰はしぶとい😅 要は多様な家族がある社会は日本らしくないから嫌ってこと⁉️
このブログでもよく引用させてもらっている憲法学者の長谷部恭男さんは、何が善か(宗教、愛国心など)をめぐって血みどろの争いをするよりは、隣人が自分とは違って不愉快でも我慢するほうがマシ、それが立憲主義という知恵だと仰っています。
ほんとにこの話、いつになったら進展するのやら。
強制ではなく選択肢が増えるだけです、
もっとシンプルに考えればいいのに。
子どもが〜とか家族の一体性が〜とか、外野が余計なお世話で、
それぞれが実情に合わせて判断することです。
要するに、反対する人はさまざまな形の家族の有り様を認めたくないのでしょう。
無駄に時間と労力費やしてると呆れます。
経団連からダメ出しされてものあがきは凄いというか感心するというか(感心しちゃいけない?、笑)
別姓だと子どもがかわいそうという人たちが、もっとかわいそうな問題(貧困、毒親、ヤングケアラーなど)に真剣に発言されたり取り組まれているなら、彼らの言い分に真理の欠片くらいはあると思います。でも、そうじゃないでしょう?、市民受けが良い子どもをダシにしているだけ。