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中絶の自由を認めたロー判決は変更必至?

2021-08-12 11:51:13 | 法・裁判

20年近く前だったと思いますが、経済学者の畏友ℕ氏が「アメリカで1990年ころから犯罪が劇的に減少したのは、中絶が自由化されたおかげなんだよ。知ってた?」 「それって、富士山が〇月××日に爆発するって類の話じゃないんですか?」と返したら、かなりむっとしたご様子で、翌日、何やらいうアメリカの権威ある経済学雑誌に載った論文が送られてきました。

経済学の英語は法学の英語より易しくて(笑)、私でも理解できました。要は、中絶の自由化により、unwanted children が生まれなくなって、それが犯罪の減少に大きく貢献している(非行少年・少女が犯罪に走るようになるのはだいたい17歳、ロー判決から17年後の1990年ころから犯罪減少)。アメリカの経済学者って面白いことを研究するのですね(このネタは『ヤバい経済学』第4章(2006年)でも取り上げられています)。山田昌弘さんの「低収入の男性は結婚しづらい」より、はるかにショッキング!

冷静に考えれば、中絶の禁止は誰も幸せにしないでしょう、生命は受胎に始まると確信する一部の宗教者以外。望まれないのに生まれてくる子、望まない出産を強いられる女性、周りの家族などもほぼ同じと推測します。

実はロー判決が変更されそうになったのは今回が最初ではありません。1992年のケイシー判決でも、事前の票読みではロー判決変更必至と言われていました。

このときは保守派裁判官のうち穏健派の3人がロー判決変更に反対して、中絶反対派の願いを打ち砕きました。「自由は不確かな法には保護を見いだせない(だから判決変更には慎重であるべき)」と始まる3裁判官の意見は、ロー判決変更の害悪を次のように語っています。

ロー判決変更は、20年間の経済的・社会的発展のなかで、避妊に失敗したときは中絶を利用できることを信頼して、人々は親密な関係を築き彼ら自身と社会でのその役割をどうするかの選択をしてきたという事実に目を背けることになる。国の経済的・社会的生活に平等に参加する女性の能力は、自らの生殖をコントロールする能力によって促進されてきた。憲法は人間的な価値に資するものである。(引用終わり)

要するに、ロー判決は誤っているかもしれないが、中絶は自由だという約20年間の女性の経験を一片の判決で覆すことはできないというリアリズムと思われます。このとき約20年だった中絶の自由は、現在では約50年になりました。

半世紀にも及ぶ中絶自由の経験を最高裁が覆すことができるか? さらにロー判決を変更すれば、トランプ政権や一部の反中絶州の言い分を鵜呑みにしたことになり、ケイシー判決も懸念した「法の支配に献身する国の最高裁判所として機能する当裁判所の能力を著しく弱めることになる」

リベラル派3裁判官はもちろん反対するでしょう。保守派のうちロバーツ首席裁判官も、先例や最高裁の威信を重視する立場から、ロー判決変更には反対すると予想します。そうすると判決の帰趨はゴーサッチ裁判官に。

ゴーサッチ裁判官がどう考えるか、正直分かりません。たしかに2020年の別の中絶規制が争点だった事件では、中絶規制を支持しました。しかし中庸な保守派裁判官として、先例は尊重する立場のようにもみえます。同じく昨年、LGBTであることを理由とする解雇は性差別を禁ずる公民権法に反するという判決を執筆しています。

個人的なことですが、私は約40年間、このテーマを研究してきました。もうすぐ定年退職です。最後の論文が、ロー判決変更の判例研究にならないよう願っています。

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