続・軍務尚書の戯言

国際情勢や医学ニュースに関して日々感じたことを残すブログです。

激変する医療界~医療改革の行方~

2005-05-27 02:39:24 | 医学ニュース
ようやく最近になって研修医制度の義務化とその弊害をマスコミが報じるようになったが,現在日本の医療情勢は戦後最大の変革期を迎えている。
すなわち、研修医の義務化に伴う医局制度の崩壊である。

一般の読者は医局制度と言われても理解が困難だと思うので,まず「医局」と言う医学界独特の制度から説明させていただく。
「医局」とは大学医学部に存在する医師が所属する暴力団の組と同じ性格の組織のことである。
大学病院に行くと,看板に「循環器学教室」や「第1外科」等と書かれているのを目にすると思うが,これが「~組」に相当する医局の名前だ。
医局には唯一絶対の教授を頂点とし,研修医を底辺とする完全なピラミッド形権力構造が確立されている。
そこには大学病院の医師だけでなく、関連病院と呼ばれる教授の人事権がおよぶ病院に所属する医師,医局で研修後開業した医師まで所属しており、都市部大学病院の勢力の強い内科医局などでは医局員が数百人におよぶ場合もある。
医学部を卒業し国家試験に合格した新米医師のほとんどは、まず自分が所属する医局を選択しなくてはならない。なぜなら国家試験を合格しただけでは何の役にも立たず,大学病院で研修医として数年働かなくては医師として独り立ちできないからである。
この時点で「内科」「外科」「産婦人科」等の専門を選ぶこととなり,その医師の一生はほぼ確定する。なぜ確定するかと言えば,ひとたび医局に所属した以上は暴力団と同じく、上司に反抗したり医局を脱退するのはきわめて困難だからである。
絶対権力者である教授は医局員の人事権から医局費の裁量権、大学院生の学位裁定権まで全てを一手に握り,しかもその職は定年まで保証され,まさにプチ皇帝といったところであり、教授の意向に逆らうことはすなわち「僻地病院への転勤」であり「研究の中断と学位の放棄」であるからだ。
こうして先日高視聴率をたたき出した「白い巨塔」のような閉鎖的・前時代的な医局が完成するわけであり、ドラマで描かれた医局やその人間関係は決して誇張されたものではない。

近年の医療事故の表面化(実際の医療事故数は変化していないが,表に出るようになった)や、相次ぐ情報隠蔽と教授による贈収賄事件の多発で社会の医学界に対する不信感と批判が噴出したことを受けて,医局制度にあぐらをかいて言うことを聞かない教授たちを以前から問題視していた厚生労働省は,ついに医療制度の抜本的改変に乗り出した。
それが研修医の義務化である。
これは今まで大学病院の臨時職員でしかなかった研修医を国家公務員として義務化し各病院の受け入れ数を制限した上で、研修医期間中には専門を選択させず複数の科をまわらせ(これをローテートと言う)、医局による医師の囲い込みと医師人事のコントロールを廃止しようとしたものだ。
これにより若い医師を確保できなくなった医局は、人事権によりコントロールしてきた関連病院を手放さざるを得なくなり,結果大学病院に集中していた権力や資金が停止し,医局制が崩壊するとふんだ訳である。
確かにこの政策は医局による関連病院支配と教授の権力を弱め,医療界を変革するには役立った。しかしものすごい弊害が表面化するのはこれからである。

第一に,ニュースにも取り上げられているように,これから都市部と地方~僻地の医師数ならびに医療レベルの差が急速に拡大し、多くの地方病院が医師不足により閉鎖される一方,都市部では医師過剰による弊害が表面化するだろう。
医局制度はもともと医師を確保できない地方病院が中央の大学病院に医師の派遣を依頼する見返りに便宜を図ることから始まったものだ。この制度の下で多くの医師が「教授の一声」で泣く泣く地方の病院へ赴任した一方,地方はある一定水準の技術を持った医師を常に確保できるメリットがあった。
厚生労働省は医師数が少ない地方病院では給与が上昇し医師の確保がはかれると踏んでいるようだが,どっこいそうは問屋が卸さない。
このあたりは医師でないと理解できないかもしれないが、多くの医師は仕事に「経済的見返り」よりも「やりがいや自尊心の充足」を求めるからである。これはものすごい年収をたたき出す開業医が、医師の序列の中では低く扱われることからも分かる。

第二に,個々の医師の技術レベルが著しく低下する可能性が高い。
これは医療技術の多くが経験により修得される職人的技能に属するからであり、経験するためには常に医療事故のリスクを負わなくてはならないからである。
医局制度の元では全ての研修医は先輩医師から指導を受け,いわゆる徒弟関係を形成する。危険の伴う手技や技術が必要な手技は指導医の元で実施するわけだが、指導医としても自分の患者に医療事故のリスクがある手技は本来研修医にさせたくない。自分でやった方が数百倍も早いし安全なのだ。
それでもあえて研修医を指導し手技をやらせるのは,彼が同じ医局に所属する自分の後輩であり、自分も研修医の時に先輩の指導で成長した経験があるからなのだ。
ところが研修医の義務化によりローテートになると,研修医は数カ月で他科に移ってしまうし、しかも自分の後輩になるとは限らない。
研修医も自分が希望している以外の科では手技や診療に熱心ではない。
こうなると誰があえて患者の危険や自分が責任を追及されるリスクを冒してまで,研修医に手技を教え実施させるだろうか。

第三に、医師の倫理レベルが著しく低下する恐れがある。
昔語りになってしまうが、小生が研修医だった時代は先輩医師に怒鳴られながら必死に診療に当たっていた。
患者の状態が悪化して指導医が病院に泊まり込めば研修医である自分ももちろん泊まり込み、労働時間が週100時間を超えることも日常茶飯事だった。
そうした中で患者と家族の思いを知り、患者の死をみとることで生と死について考え,医師としての死生観と倫理観、生命を扱う医師という職業の責任を学んで行くのである。
ところが研修医の義務化によって、彼等は国家公務員であるために労働時間も労働基準法を遵守することが求められ、泊まり込みなどはしなくて良くなった。いきおい朝やってくると患者が既に死亡していたり,主治医により大幅な治療方針の変更がなされていたりして,診療から取り残され主治医としての責任感が低下してしまうことになった。
またローテートであるため自分の希望する以外の科は「適当にやっておく」風潮が蔓延し,治療が大変な重症患者は見にこない研修医や、医療手技だけに熱心で実際の診療には興味を示さない研修医といった、患者の命を預かるという自覚に欠けた医師が大量生産される事態に陥っている。

医局制度はドラマでも描かれているように前時代的で封建的・閉鎖的な組織で多くの弊害を持ち、医療界の進歩と患者の権利拡大を阻害していたのは間違いなく、改革は必要であった。
しかし今回厚生労働省が行った研修医の義務化をはじめとする医療改革は,官僚が現状を理解せず机上で作り上げた政策の典型的見本であると言わざるを得ない。

きわめて問題の多い現在の研修医システムで、医師として最も大切だと言われる研修医の時期を過ごした医師たちが診療の主体となる10年後には,日本の医療レベルが劇的に低下し、現在以上に医療事故が頻発することを危惧してやまない。

今日の箴言
「問題は官僚の机の上でなく、現場で起っているものだ」

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