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弾圧時代 復活させぬ 栃木・元町議の娘、署名活動

2013-11-20 18:14:17 | 言いたいことは何だ

弾圧時代 復活させぬ 栃木・元町議の娘、署名活動





2013年11月20日「東京新聞」 朝刊より転載
 


治安維持法違反で投獄された義父・浜野清さんの遺影と著書を手にする和子さん=栃木県壬生町で
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/images/PK2013112002100053_size0.jpg
 戦前から戦中にかけて、治安維持法によって投獄された被害者の家族が、特定秘密保護法案を廃案にしようと立ち上がっている。栃木県壬生(みぶ)町の元町議・故浜野清さんを義父に持つ和子さん(68)。身近に聞いた弾圧の記憶から「二つの法律は共通点が多い。悲劇を繰り返してはいけない」と訴えている。 (大野暢子(まさこ))
 清さんは小作農の長男に生まれ、小学校卒業後、農民として働き始めた。十代後半のころ、小作農の地位を高める運動を始め、地元の仲間とともに地主に納めるコメの減量を訴えた。世界的にファシズムの脅威が高まると、反戦も掲げた。
 農民運動や反戦は、天皇制への批判を禁じた治安維持法の条文にはなく、取り締まりの対象外と思われた。
 しかし、一九三七(昭和十二)年冬、警察は清さんや仲間ら十七人を逮捕。清さんは三年間投獄された。裁判では、判事が「地主を倒す運動は必ず天皇制(否定)につながる」と発言。弁護士も「弁護したら私も逮捕される」と反省を促してくる始末だったという。
 清さんは戦後、「行政を監視しなければならない」と町議になり五期務めた。その一方で、治安維持法で弾圧された自らを含む十三人の体験を記録した「栃木県治安維持法犠牲者列伝」(絶版)を出版した。獄中で病気が悪化して亡くなった人や、消息不明者の家族にも取材して書いた貴重な資料だ。
 警官の尾行を仲間とまいたことや、投獄中は新聞の墨塗りを命じられたため記事が読み放題だった話など、ユーモアたっぷりに体験を語り伝えていた清さん。二〇〇〇年に八十五歳で亡くなった。
 和子さんは、清さんの運転手や助手を務めるなど活動を支えた。「弾圧の記憶を風化させてはいけない」と、治安維持法の犠牲者や遺族でつくる全国組織「治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟」に入り、現在は栃木県本部事務局長を務める。
 弾圧の実態を調べ、改憲反対を掲げて活動してきた和子さんは、治安維持法をほうふつとさせる特定秘密保護法案に強い危機感を覚えた。同法案を学ぶ集会を開いたり、反対署名を集めたりと、忙しい日々を送っている。
 「特定秘密保護法案は治安維持法のように拡大解釈を許す内容が多い」と和子さん。清さんの著書に登場するような秘密裁判の復活も懸念している。
 「国の主役である国民がおびえて暮らす社会はおかしい。明るさを失わず、信念を貫いた義父の生き方を語り継ぎたい」
<治安維持法> 共産主義革命への警戒感を背景に、1925(大正14)年に制定された法律。天皇を中心とした国のあり方や私有財産を否定する組織・活動を禁止した。違反者は10年以下の懲役が科され、28年には最高刑が死刑になった。取り締まり対象が拡大解釈され、天皇制と関係のない民主主義活動や政府批判も弾圧を受け、獄中の拷問も横行した。45年に廃止。


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