言わなければならない事は言わないと前には進まない

生活する中において言わなければならない事や、他の記事で共感したことなどを中心に。今その時の思いを表す。

映画「赤貧洗うがごとき~田中正造と野に叫ぶ人々」のこと

2013-04-14 12:27:49 | 言いたいことは何だ
昨日自主上映した「赤貧洗うがごとき~田中正造と野に叫ぶ人々」について短いメモだけれど、書いておこうと思います。
この日、なんと、70名が見てくれました。
関心が高いのですね。
おけらは、公害企業とそれと癒着する国家と政治家と闘い、同時に、侵略非戦を貫いた田中正造の「無私」な生き方に、素直に感動いたしました。
そして、田中正造がもし今生きていたら、「原発反対」「被害者救済」を叫んで
東電と国を相手に戦い抜いたに違いないと思いました。
 
この映画に明治の元勲たちや、作家、宗教家がたくさん出てきますが、正造に対してどんな姿勢をとったかで、彼らの「評価」ができます。リトマス試験紙ですね、正造さんは。
勝海舟などは、さすがです。福沢諭吉・・No!です。
志賀直哉の父親との確執の原因は、古河市兵衛と父親の関係が志賀には許せなかったことにあるわけですが・・・これが志賀の小説のモチーフになっていますね。
つまり、青年志賀直哉は、古河と癒着している父を否定したわけですね。
正造は妻も運動の仲間と捉えていて、女性史の米田佐代子さんがその先進性を指摘しています。その妻いわく、50年連れ添ったが、実際に一緒にくらしたのは3年くらいでしょうか・・。激烈な正造の人生をしのばせる言葉です。
 
また、田中正造は現憲法を明治に実現しようとした人間ということも言えそうです。
9条の非戦、25条の生存権、24条の男女平等・・・彼の生き方、考え方の中に萌芽としてあるものです。
憲法を考える上でも、原発を考える上でも正造さんは、私たちの仲間です。
私たちの先達にすごい方が居たと改めて思います。
教科書では見たことがある写真だけれど、どんな人か知らないという方が多いようです。
この映画は、明治憲法の下で、命をかけて古河の鉱毒を無くすために国家や県をも相手取って戦い抜いた
稀有な人物を知るうえでこの上ない入門書になるものでした。
 
そういえば、田辺聖子さんの「吉屋信子」の伝記のプロローグのような部分に
少女だった吉屋信子の頭をなでる田中正造が出てきました。
吉屋信子の父親が、鉱毒被害で立ち上がった農民たちを抑えるための官吏だったということで、田中正造が吉屋家を訪れたことがあったようです。
そこでは、正造は優しいおじいさんとして描かれていました。
彼の考えていたことの先進性は、もっと受け継がれ、語り継がれていい、と思います。
忌の際に正造が言ったのは「みんな田中正造に同情して悲しんでいる。それは少しも嬉しくない。
田中正造の活動(だったか、そういう意味)に同情してくれていないから」と。
 
小出先生が写真を研究室に掲げるのは当然ですね。
 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿