言わなければならない事は言わないと前には進まない

生活する中において言わなければならない事や、他の記事で共感したことなどを中心に。今その時の思いを表す。

異常な時代=「明治維新」▼専横政治薩長同盟▼天皇を守るたるの官僚制度作り上げた▼

2017-02-17 06:41:35 | 言いたいことは何だ
 
イメージ
by http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/201/
↑より引用↓
 
 
以前紹介した記事に、少年期の明治天皇の写真
と伝えられるものを掲載したのだが、
今回も掲載しておこう。
 
中央に立つ背の低い人物が明治天皇である
と伝えられているのだが、この写真は
我々の知る明治天皇とは別人にしか見えない。
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu3/meiji.html
(引用終)
 
 

 
 
明治は「維新」の美名で 
ちやほやされているようですが
 
それまでの日本を支えた屋台骨
粉々打ち砕かれた!
 
 
 
日本の心?!
 
 
 
革命的?など
  とは~程遠いもの!
 
 
 
それだけじゃないのさ
島国の人間を操るのは たやすいこと
 
黄金の国ジパングを
虎視眈々と狙っていた者たちの
毒牙と財力で
 
今日の「おとなしい日本人」を作り出した
 
 
このまま
魂を抜かれ続けますか?
 
 
このまま
アジア人同士闘わせる
戦略に利用され 
殺されますか?
 
 
 
このまま
日本滅亡へ 
 声も上げず
  墜ちてゆきますか?
 
 
 
  

●「明治維新とは何だったのか」(EJ第2991号)



2011年02月07日



http://electronic-journal.seesaa.net/category/9675747-1.html
↑より抜粋引用↓ 文字強調管理人
 
 

 
 
榊原英資著
    『龍馬伝説の虚実/勝者が書いた維新の歴史』
                  朝日新聞出版刊

 この本の序文で榊原英資氏は、

司馬遼太郎の『竜馬がゆく』は 著者の歴史観が色濃く反映され、
龍馬の実像を著しく歪曲してとらえているといっています。


 さらに榊原英資氏は、
司馬遼太郎が『坂の上の雲』において、
明治という国家を
次のようにとらえていることにも疑問を呈しています。
 

 (明治という時代は)
「清廉でリアリズムを持っていた」素晴らしい時期だった。
         ──司馬遼太郎著『坂の上の雲』/文春新書


 榊原氏は、
明治維新から第2次世界大戦にかけては
異常な時代
であると位置づけています。
 
 
そのひとつに明治新政府が太政官布告として発令した
神仏分離令」があります。明治元年(1868年)のことです。

 神仏分離令は
仏教排斥を意図したものではなかったのですが、
これをきっかけにして
全国各地で「廃仏毀釈」運動がおこり、
各地の寺院や仏具の破壊が行なわれたのです。
 

 問題なのは、
神仏習合の伝統の中で折衷されてきた宗教が分離され、
それをベースとして成立してきた
象徴天皇制が崩壊してしまったことです。
 
これによって、神道イデオロギーが
国家の中心に据えられることになったのです。
 
つまり、
「天皇は神聖にして侵すべからず」の存在になり、
それが第2次世界大戦が終了するまで続くことになります。
 

 実はこの神道イデオロギーをベースとして、
天皇の
守るための官僚制度
が構築されています
 
つまり、
明治の官僚は支配者の一翼を担っていたのです
 
しかし、この官僚制度は
第2次世界大戦後の
象徴天皇の時代になっても存続し、
現代日本の政治に大きな
影響を与えているのです

 
なぜなら、官僚による支配は
 
象徴天皇化した
現在、
 
 
日本の
 事実上の支配者は、
 
 
官僚ということ
  になるからです。
 
これは重大な問題です。
 
 現在、民主党の菅政権が見るも無残な姿を晒しているのは、政権運営が稚拙なことに加え、政治主導を唱えながら、明治維新以来140年間続いてきている官僚制度をコントロールすることができずに
逆に取り込まれてしまったことに原因があります。
 
一体 明治維新後に何があったのでしょうか。

 一般的日本人は、
幕末から明治新政府が
できるまでのことについては
よく知っています。
 
それは多くの文献があることに加えて
NHK大河ドラマや映画や小説などの題材に
よく取り上げられるからです。
 

 しかし、
新政府ができて
明治14年頃までに何が起こったのか
について知っている人は意外に少ないのです。
 
 
一般の人の関心は
明治27年(1894年)の日清戦争、
それに10年後の日露戦争へ
とジャンプしてしまうのです。
 
司馬遼太郎の『坂の上の雲』(文春新書)は
その頃のことを書いているのです。
 明治政府の閣僚は、
誰が主導してどのようにして決められたのか。
 
官僚による政治支配の諸制度は誰が設計したのか。
 
廃藩置県はどのようにして決められ、
どのように実行に移されたのか。
 
明治6年の政変とは何か。
 
西南戦争はなぜ起こったのか。
 
西郷はなぜ自刃したのか、
 
などなど。
その詳細について知らない人は案外が多いと思います。
 

 そこで、本日からのEJは、
明治元年から明治14年頃までに焦点を当て、
明治維新について考えてみることにします。タイトルは次の通りです。
 
 

明治維新について考える/明治維新は「革命」なのか
    ── 官僚による政治支配の構造に迫る ──



 事実上は「新視点からの龍馬伝」の続編という位置づけになりますが、
単なる続編ではなく、できる限り現在の日本の政治との
関連において書いていくつもりです。

 明治維新は、
江戸時代という旧体制を崩壊させ、
近代国家日本の幕開けになったと後世に評価されています。
 
しかし、
明治維新で実現したのは、
薩摩と長州の
藩閥政治であり、
 
 
イデオロギー的天皇制と
それを支えた薩長の
専横的政治であったのです。
 
それも
江戸時代を全否定して
西欧化に邁進したのです。
 

 榊原英資氏は、歴史家・渡辺京二の名著『逝きし世の面影』の
次の一文を引用して、明治新政府が江戸時代を全否定したことの
誤りを指摘しています。

 ・・・日本近代が経験したドラマをどのように叙述するにせよ
 それがひとつの文明の扼殺と葬送の上にしか始まらなかったド
 ラマだということは銘記されるべきである。

扼殺と葬送が必然であり、進歩であったことを、
万人とともに認めてもいい。
 
だが、いったい何が滅びたのか、
いや滅ぼされたのかということ を
不問に付しておいては、
 
ドラマの意味はもとより、その実質さえも問うことができない。        ──渡辺京二著
        『逝きし世の面影』より/平凡社ライブラリー




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