言わなければならない事は言わないと前には進まない

生活する中において言わなければならない事や、他の記事で共感したことなどを中心に。今その時の思いを表す。

群青 (福島県南相馬市立小高中学校平成24年度卒業生の曲)

2017-07-15 23:14:01 | 言いたいことは何だ

群青

動画(4:58)➡https://youtu.be/HdLc5qlj_8g

福島第一原子力発電所から半径20km圏内に位置する福島県南相馬市小高(おだか)区は、東日本大震災による原発事故のため全住民が今なお避難生活を余儀なくされており、小高中学校も市内の別の学校に間借りをして授業を行っています。「群青」は、その小高中学校の生徒たちが、離ればなれになってしまった仲間を思って、つぶやいたり、書き留めた言葉の数々を同校の小田美樹教諭が綴って曲をつけた作品です。(パナムジカのHPより抜粋)南相馬市の写真とともに。


元南相馬市の生徒でした。卒業式で歌いました。友達を亡くしてしまい、泣きながら歌いました。先月、横浜に引っ越しました。

2011.3.11この日私は小高小学校にいました。もうすぐくる卒業式...卒業したら小高中学校に入学してうまくやっていけるのかな、友達はできるかな。。。などの思いにふけっていた矢先、あの地震が起きました。あの日以来会えていない友達がいます。どこにいるかも分からない人がいます。もう会えない人もいるかもしれないけど、どこかできっとうまくやっていると信じて、私も「今日を」大切に生きていきます。

福島県南相馬市立小高中学校は、福島県の浜通りの南相馬市南部の小高区に位置し、2011年3月11日の東日本大震災で、津波で街が甚大な被害を受け、生徒も4名死亡した(うち、群青1世代目の平成24年度卒業生の同級生が2名)。
この曲を作った、平成24年度卒業生は震災当時、中学1年生をもうじき修了する頃であった。この頃の1年生は106名在学していた。
2011年3月11日は、3年生の卒業式が行われ、午前中で学校は放課となった。その数時間後の14時46分、東日本大震災が発生。津波によって小高の街は甚大な被害を受け、後に小高中の生徒が4名死亡した。そのうち1年生は2名死亡した。
また、福島第一原発事故によって、小高区が半径20km圏内の警戒区域に指定されたことから、小高中学校も小高区外に避難することとなった。その際、津波で犠牲となった2名を除く104名の1年生も、大半の97名は小高中学校を離れ、北は北海道、南は長崎県まで、全国に散り散りとなった。
4月22日に新学期を迎え、南相馬市北部の鹿島区にある、南相馬市立鹿島中学校を間借り(およそ半年後、同じく鹿島区にある南相馬市立鹿島小学校に仮設校舎が完成し移転)して再開した小高中学校も、2年生に進級した生徒はわずか6・7名にとどまった。