
自然の大切さを伝えるため、現在、せとジュニアリーダークラブで自然体験ガイドブック(仮称)に取り組んでいますが、新しい生活を迎えるためには自然の中で生きていくことからはじめないといけないかも知れないですね。
以下、人生で大きな影響を受けたガウディの名言です。
・芸術におけるすべての回答は偉大なる自然の中にすべて出ています。
ただ私たちは、その偉大な教科書を紐解いていくだけなのです。
・美しい形は構造的に安定している。
構造は自然から学ばなければならない。
・創造的であろうとして意味の無いものを付け加えてはいけない。
自然の原理をよく観察しそれをよりよくしようと努力するだけでいい。
・役に立たない人なんていないということを覚えておかないといけない。
たとえ同じ能力がなくても誰だって役に立つんだ。
・オリジナリティーには起源に戻るという意味がある。
オリジナルとはもともとの解決策であるシンプルさに回帰することだ。
・物事を上手くやるために必要なこと。第一に愛、第二に技術。
・世の中に新しい創造などない。あるのはただ発見である。
・建築とは光を操ること。彫刻とは光と遊ぶことだ。
・すべての建築にはヒビがある。すべての人間に罪があるように。
大切なのはこれを致命傷にしないことだ。
・世界では何も発明されてないんだ。
発明家の幸運は神が全人類の目の前に置いたものを見たにすぎない。
何千年も前からハエは飛んでるけど人間が飛行機を作ったのはつい
最近になってからだ。
・自然界には直線は存在しない。
直線は人間に属する。曲線は神に属する。
・私たちが読む努力をしなければならない素晴らしい本。
それこそが自然です。
ガウディは1852年スペインのカタルーニャに5人兄弟の末っ子として生まれます。父親は銅板加工の職人をしており、幼い頃から物作りが身近にある環境で育ちます。幼少期は慢性的なリウマチに苦しんだガウディは、痛みがひどい時は歩くことも困難なほど、普通に学校に通うこともままなりませんでした。友達とも遊ぶことが難しかったため、ガウディは一人で工作をしたり、周囲にある自然や造形物をよく観察する子どもでした。後に「自然が教科書だった」と言うほど、この幼少期の経験がガウディのその後に大きな影響を与えました。

様々なチャレンジをするときに、楽しそうだからやってみたい、人に誘われたから・・・など、キッカケは様々でちょっとした興味関心があれば何でもいいと思いますが、その先で、障害に直面するとすぐに「めんどくさい」「むずかしい」といって、あきらめてしまうことがあります。
自分ができる安易な体験、好きなこと、楽しいことばかりを選択したり、その場限りの体験であったり、見るだけ、聴くだけでは、本来のチャレンジ精神は育成されず、将来的にできないことに遭遇しても、そのギャップから不平不満が増えるばかりですよね。
ホンモノのチャレンジは未体験で困難だからこそチャレンジするのであって、それには相当な時間を要しますが、その分、達成した時の感動も大きく、大人でも震えて泣けるような体験で、更に学ぶことが広がって心を豊かにしてくれます。
さて、チャレンジに大切なことは「確かな目的」です。人は目的を与えられると人間的成長欲求の中で必然的にそこに向かっていく心理がはたらき、障害物があっても何とか乗り越えていく力を発揮できます。
山登りで言えば、急峻な山の頂に立つには技術、知識、経験などが必要とされますが、そこにどれだけの目的を見いだせるか否かです。
安易に楽しさだけを伝えていれば、本物の山は足腰に痛みを伴い、息もできないほど苦しい思いをしなければならないし、ましてや命の危険にもさらされるため、安易に山に登ろうといったことにはなりません。
そこには頂に立った人にしかわからない感動があり、達成感はもちろん、自然の風景、動植物との出会いもあり、また、頂に立つまでのプロセスが重要です。必要な体力を身に付けるためにランニングや体幹トレーニングを行ったり、技術を磨くために低山での訓練、知識を得るために本を読んだり、目的を達成するまでの相当な時間を要し、最終的にその行動が自分自身の成果となり、決してお金では得ることのできない本物の感動を味わうことができます。
こうしたチャレンジ精神を育むには、食べること、寝ること、住まうことなど自然に対する感謝の心があってこそで、幼いころからの教育、躾といったところに帰着します。
チャレンジは何でも構いません。例え、一冊の難解な本を読むことでもチャレンジとしてもいいでしょう。趣味、スポーツなんでもいいですが、そこに本来の目的があるかどうかで決まるかも知れませんね。
コロナも終息はしませんが収束に向かいつつあり、再開を宣言する学校も増えてきました。教育も同じく、どんな目的を持って子どもたちを育てていくのか、大いに議論をしたいところです。

ここ数年、「生きる力を育もう」といった言葉をよく聴かれるようになったかと思いますが、さて、「生きる力」とはどんな能力でしょうか?
子どもには「生きる力」を伝えながら、私たちは生きる力を育んできたのでしょうか?
現実は「生きる力」を失い、もっと言えば、現代の生活志向や議論力をみるとそもそも「生きる力」など持ち得てないかも知れません。
実際に今まで生き抜いてきた実績があるといっても、先代の財産を食いつぶしてきただけかも知れません。お金を使うのは簡単で、たとえ10億の契約をすれば一瞬で使い切ることができますが、自分で稼ぐにはふつうは一生かかってもできないですよね。
さて、「生きる力」とは?どんな物差しで測ればいいのでしょうか?それがなければ教えることもできないハズで、まさか、グローバル社会への対応とか英語やAIといったものではないでしょう。
極端に言えば、自然の中で生涯を幸せに生きていけるかどうかではないでしょうか?
新型コロナの影響で社会構造や生活が想像以上に変わることが考えられますが、また、変わることができなければ、今後の経済的なマイナス時代を生き抜くことはできないですよね。
この答えは動物たちが一番よく心得ているので、言葉が喋れたら議論したいです。
以前にもお伝えしましたが日本人は昔から数値を読むのが苦手というか、殆ど雰囲気や感情で決める傾向があるので注意したいですね。
例えば・・・
「今日は暖かいですね。」
「そうですね。」
こんな会話から、その時の気温、湿度、風力、日照などがわかるでしょうか?もちろん、あいさつとしてはいいですが、人によって感じ方も違うはずです。
また、仮に日本の平均婚姻年齢が25歳とあって、25歳前後をターゲットにビジネスを始めても、20代前半と30代前半が殆どを占めていれば、上手くいかないですよね。
イベントなどのアンケート調査に於いても
「楽しかった」 60%
「まあまあ楽しかった」 30%
「あまり楽しくなかった」 10%
このような報告で、殆どの人に楽しんでもらえて、イベントは成功しました!といった、話をよく聞きます。
統計的にみれば全く無意味で、目的は別としてつまらなかったらはじめから会場には来ないですよね。
統計値はサンプリング方法も重要で、何と比較するかによっても数値の見方は大きく違います。また、有意差などを分析しなければ使用ができないはずなのに、地域にはこうした情報が溢れています。
正しい情報を知るには統計学を学ばないと難しいかも知れませんが、新型コロナのデータでもデータの見方、考え方ができないと間違った情報を伝えることになるので注意しましょう!
例えば・・・
「今日は暖かいですね。」
「そうですね。」
こんな会話から、その時の気温、湿度、風力、日照などがわかるでしょうか?もちろん、あいさつとしてはいいですが、人によって感じ方も違うはずです。
また、仮に日本の平均婚姻年齢が25歳とあって、25歳前後をターゲットにビジネスを始めても、20代前半と30代前半が殆どを占めていれば、上手くいかないですよね。
イベントなどのアンケート調査に於いても
「楽しかった」 60%
「まあまあ楽しかった」 30%
「あまり楽しくなかった」 10%
このような報告で、殆どの人に楽しんでもらえて、イベントは成功しました!といった、話をよく聞きます。
統計的にみれば全く無意味で、目的は別としてつまらなかったらはじめから会場には来ないですよね。
統計値はサンプリング方法も重要で、何と比較するかによっても数値の見方は大きく違います。また、有意差などを分析しなければ使用ができないはずなのに、地域にはこうした情報が溢れています。
正しい情報を知るには統計学を学ばないと難しいかも知れませんが、新型コロナのデータでもデータの見方、考え方ができないと間違った情報を伝えることになるので注意しましょう!

日常の生活の中では様々な危険が潜んでいますが、事故、怪我などを心配しては何も活動ができなくなります。
一般にリスクは事故、怪我などの危険性を指していますが、危険(Danger、Hazard)とは意味が異なります。例えば、子ども会活動で活動場所への車の送迎はリスクがあるからといって、公共機関を利用した場合、リスク(事故を起こす危険性)は同乗者(子ども)にとっては変わりありません。
日本では事故があった場合の責任をリスクといった言葉として使われているのかも知れないですね。
さて、家庭の日常生活の中には、多くの危険が潜んでいます。実際に救急搬送の多くは家の中で発生しています。(平成30年の調査では56%が屋内、道路で35%)
子ども会活動ではこうした危険をなくすために、危険予知トレーニングを推奨しています。
危険予知トレーニングは、現地調査などをはじめ、どこに危険があるのか活動状況を創造して話し合い、危険を排除する重要な活動で、子どもたちが安心して安全に遊べるようにするのが目的です。
もちろん、子どもたちには危険個所や危険行為を十分に説明し、常に自分自身で安全を考える習慣を身に付けることによって、将来にわたり、安心安全な生活ができるようになると思います。
結局、将来にわたって一番危険なのが、危ないといって何も体験をさせないことかも知れないですね。
子どもたちが事故、怪我無く、元気に楽しく活動できることを心より願っています。