わたしの癒しTime。

日々のことやお気に入りを綴ります。

『BAD』時代のMichael②

2019-04-30 00:15:20 | MJ

YouTubeを観てたら、すごいモノを見つけたよ~~☆

*大都会 吉井和哉&草野マサムネ

THE YELLOW MONKEYの吉井和哉さん&スピッツの草野マサムネさんの『大都会』(クリスタルキング・1979年)!

私、草野さんがこんなに高音で大声を張り上げているのを聞いたことがない。(ま、『大都会』を歌うには、そうするしかありません。。。) 歌唱力が最高に高いお2人なので、本家に比べるとややソフトな感じで、超ハイクオリティなカバーになっています。

イエモンはロックなので、私はあまり聴いていないのだけど、吉井さんの歌い方は好みです。ずっと以前からお上手だと思っていました。スピッツは90年代に好きだった。 朝ドラ「なつぞら」の主題歌も良いよね☆ 草野さん、カバー・アルバム出してくれないかな~~。

いやぁ平成のラストに良いものを聴いたわ。


そして、思いついて、マイケル・ジャクソンのスズキ「LOVE」のCMを探してみたの。 たくさんあったのですが、これ観て♪ ↓

*「Off The Wall」編

*「Don’t Stop 'Til You Get Enough」編

んまあ、ラブリー♪

「〝Love is my Message〟」の甘~~い声と、超可愛い両目ウインクにメロメロ。

「LOVE」のお値段は109000円だって~~~。 (このCMは1981年か82年頃)

少し不鮮明だけど、キュートなお写真も♪ ↓

 

可愛すぎる。 足が長~~~い☆

多分『Thriller』の発売前で、もっとも悩み事がなかった頃のマイケル・ジャクソンです。素敵なメイキング映像もあったけど、不鮮明で目が悪くなりそうだから、何度も観ない方がいいかも。でもこれ、DVD化してほしいくらいだわ、スズキさん。ホントに魅力的なマイケルでした。 この頃のマイケル、とてもハンサムでチャーミングだよね。可愛いけど男っぽくもある。

ジャクソンズ時代のマイケルは、ポップでお日さまが似合う若者だったけど、ソロはやっぱり繊細でカッコよく〝MOON〟なイメージ?


というわけで、本題です。

前回に引き続き、「AERA dot.」に掲載された和田静香さんの記事をご紹介☆ 今回も興味深い内容です。バブル時代のキラキラなJAPANを感じる。当時は昭和62年(1987年)です。昭和がどんどん遠くなるわね。。。(遠い目)

事実誤認を数か所訂正しています。(Lahさんという方のTwitterで知りました)


*バブルスと日本で過ごした最愛の日々

(前略)1987年9月9日に日本にやってきたマイケルは、初のソロ・コンサートを東京・後楽園球場などで大々的に行っただけでなく、オフの時間も精力的に動いていた。当時マイケルの所属するEPIC・ソニーで担当A&Rだった清水彰彦さんは回想する。

「記者会見やインタビューなどは一切やらなかったんですが、大阪市役所をバブルス(マイケルの飼っていたチンパンジー)と一緒に表敬訪問し、そこがメディア向けの撮影の機会となりました。お茶に手を出していたずらしようとしたバブルスに、マイケルが指でバツを作って駄目だよって叱った場面は有名になりましたよね」

ありましたね、そんなこと。ちなみにバブルスはパスポートを持って飛行機の客室、しかもマイケルと同じファーストクラスに乗って来日したと、マイケルを日本に招へいした当時の日本テレビ事業部部長・白井荘也さんが「マイケル・ジャクソン来日秘話」(DU BOOKS/2017年)に書いている。機内食はバナナと牛乳だったそう。(注:バブルスは別便だったそうです)

そのバブルスにも会っているのが、マイケルに「アキ」と呼ばれて信頼を寄せられていた、当時のEPIC・ソニー国際部にいた田中章さん。田中さんはマイケル来日中、何度も会って会話を交わしていた。

「打ち合わせで赤坂・キャピトル東急ホテルのマイケルの部屋に行くと、バブルスもいました。マイケルが『抱っこしてやってください』というので抱っこしました。嫌がったりしなくて、大人しい、いい子でしたよ」

(中略)ちなみにマイケルのもう1人(?)のペット、蛇のマッスル君も「いっしょに来日していたんじゃないか?」と清水さんは言う。(注:マッスルズは前年に死亡しているそう) チンパンジーや蛇など爬虫類をペットに愛するのも今どきでは何ら珍しいことではないが、当時はあれこれ言われていたのを覚えている。

しかしマイケルはオフの時間、部屋でペットたちと遊んでいたわけではない。来日中もクリエイティヴな活動を欠かさなかった。

「マイケルの部屋には聞いたところによるとレンタル料だけで1千万円の特注のペルシャ絨毯が敷かれていたんですけど、それは別にマイケル側からのオファーではなく、日本テレビの計らいでしょうが、事前に部屋を見せてもらったときに、その絨毯の上に1メートルちょっと四方ぐらいの特注の板が敷かれていました。1人部屋でダンス・レッスンをする用だとかで、これだけはマイケルが材質や大きさなど本人が指定したそうです。そこでダンス・レッスンを本当に汗びっしょりになってやっていたそうです」(注:ペルシャ絨毯はキャピトル東急が用意したそう)

ステージで見せる華麗なダンスは毎日コツコツ積み重ねる、練習の賜物だったのだ。マイケルはツアー中もそれを欠かさなかった。

「さらに、ダンスだけじゃなく、レコーディングもしています。六本木の四明ビルにあった(注:現在は取り壊し)CBS・ソニーのスタジオで、確か『ザ・ウェイ・ユー・メイク・ミー・フィール』のビデオの頭のところ用です。映像にすると音が足りないってことで自らガヤ、つまりホーとかワウとか声を入れたいと言って、スタジオに行きました。その前にビデオの監督から国際電話が入って、そういう電話にも勿論マイケル本人が直接あれこれ答えるんですけど、『あのシーンは特にいいよ。君に頼んで良かったよ。でも、こうしたらもっとよくなるんだよね』とかホメながらも細かく駄目出しするのを横で聞いていました。マイケルは相手をホメて伸ばす男ですね(笑い)。それで、そのビデオ用の音声を録音したんです。スタジオの中からマイケル自ら、日本のエンジニアに向けて大きな手でキュー出し(人差し指と中指を揃えて下ろす)、1時間ぐらいやってましたね」

スタジオに入るとマイケルは生き生きとし、また、その前に清水さんと一緒に寄った、当時六本木にあったCDショップ「WAVE」で買ってきたダイアナ・ロスのCDを喜んで開けていたとか。

WAVEでは1フロア貸切にしてもらい、ゆっくりCDを選んでいましたが、当時はアナログレコードからCDへの移行期。色々な企画盤が出ていて、ビクターが2枚のLPを1枚のCDにまとめた『2 in 1』シリーズというお買い得盤を出していたんですが、マイケルはそのダイアナ・ロスのを買って『これはいいアイディアだねぇ。2枚が1枚だなんて!』とご満悦でした。そこで僕がちょっかいを出して『そのシリーズでジャクソン5も出ているよ』なんて言ったら、マイケルが『ああ、あれはいいよ。どうせオレには一銭も入らないから』なんてあっさり軽く答えたんですよ。『ホント?』って聞き返すと笑ってました。モータウンとマイケルたちの契約は酷いもので、印税どころかアーティストとしての自由も何もない搾取でマイケルが苦悩した話は今では有名ですが、そうやって軽く笑い飛ばしてもいたんです」(清水さん)

スタジオで生き生きとレコーディングし、軽口を叩いて笑うマイケル。ミュージシャンとしてのマイケルは他のアーティストたちと何ら変わらない、音楽を愛する1人の青年だった。ちなみにこのときは、東京・信濃町に出来たばかりだったCBS・ソニーのスタジオの見学にも訪れている。

「そのときはプロデューサーのクインシー・ジョーンズと、当時マイケルのレコーディングのエンジニアをしていたブルース・スウェディーンも一緒に来ました。もしかしたら次のレコーディング場所を探していたのか?とにかく熱心に見学していて、壁に彼らが日本語も交えてサインを大きく書き残していったんですが、今そのスタジオはソニー・ミュージックから別の人手に渡ってしまったんで、どうなったのか?わからないんです」(田中さん)

田中さんは六本木のスタジオでマイケルがガヤをレコーディングするのにも立ち会っていて、そのときに忘れられない思い出があるという。

「レコーディングの合間にマイケルがお手洗いを借りたいというので、僕が案内した時のことです。ビルの端、角のところにトイレがあったんですが、そこにちょうど掃除をしている係の男性がいらして、パッと見てすぐ分かったんですが、彼の顔が大きくケロイド状になっていたんです。するとマイケルが『この方と握手したいんですけど、お願いしてもらえませんか?』と言う。そこで、『こちらの人があなたと握手したいと言ってるんですが、いいですか?』とだけ尋ねると、向こうも面食らったと思いますが、黙って頷かれたので、マイケルはその人の手を暫くの間握り、そして洗面所に入りました。その方にも特に、こちらマイケル・ジャクソンというスターの方で、とか説明はしませんでしたし、マイケルにもどうして握手したいのかも、聞きませんでしたが、僕が思うにマイケルは自らが黒人というマイノリティで多くの差別を受けたことで、社会的に弱い立場にある人に寄り添って行動する人だったんじゃないでしょうか。握手もその意思表示。偽善とかそういうことではないと思っています。だって、その場には僕とマイケルと、掃除の方しかいないわけですから、気取る必要もありません」

この話を聞いて、マイケルは顔にケロイドを負ったトイレ掃除の人を仲間だと思ったんだなと感じた。握手は友情を分かち合う行為。よく黒人ラッパーの仲間同士がイエイエイ~とか言いながらハンドシェイクでハイタッチするが、あの感覚だったんじゃないか?と思う。「黒人のミュージックビデオは放送しない」(80年代初期MTV)とか、「黒人を表紙にしたら売り上げが落ちる」(80年代までの音楽雑誌『ローリング・ストーン』)とか、信じられない黒人差別、偏見の中を生きてきたマイケルだ。成功と引き換えにいわれなきバッシングの嵐にも遭った。後に肌が白くなったのも「白人になりたいから脱色している」などと揶揄されたが、本当は尋常性白斑という難病だったのは亡くなった後の検視ではっきりと発表された。何か事が起こってバッシングされる度に、マイケルはアメリカ社会に於いて自らが黒人というマイノリティであることを常に背負わざるをえなかった。だからこそ世の中で虐げられる人、貧しい人、子どもたち、弱者に寄り添い、生きたのがマイケル・ジャクソンなのだろう。

さて、マイケルは日本を好きだったんだろうか?『マイケル・ジャクソン来日秘話』には「日本人の目はいつも優しく、こちらを見て話しかけてくれる、それにみな、心がこもってる、こんなに気持ちが楽でいられる国は初めてだ」とマイケルが何度も言っていたとある。またマイケル自身、話し声がとても静かで穏やか、話し方は誰に対しても丁寧なのは田中さん、清水さん共に言っているが、日本人の話し方を好んでいたそうだ。とはいえ、それは特に日本だけに限らず「マイケルはとにかくアメリカに居るのがイヤだったんじゃないか?と思います。特に90年代以降になると、アメリカでマイケルは犯罪者扱い。それがロンドンやパリに行くと熱狂され、日本もそう。温かく迎えてくれますからね」と清水さんは推測する。

日本といえばまた、あらゆる意味でイノベーターであったソニーの創始者・盛田昭夫さんをマイケルは尊敬し、87年来日時にはマイケル側からお願いして自宅を訪問。大皿に山盛りの二十世紀梨を1人でぺろりとたいらげた、なんていうエピソードを夫人がコラムに書いている。ちなみに現在のソニー会長である平井一夫さんがまだCBS・ソニーに入社して3年目の頃、マイケルのアルバム『BAD』が完成。マスタリング・テープを当時はハンドキャリーで運ぶのが一番早い安全な方法とされていて、たまたまロサンゼルスにいた平井さんに「すぐに取りに行って持って帰ってきて、成田空港で清水さんに渡して。何があってもマスターテープだけは守ってください」と上司からお達しが下り、平井さんが「パシリとして」音源を運んだのだそう。イッツ・ア・ソニー。マイケルを巡る日本の物語だ。

さて、マイケルがもし生きていたら、今年で還暦を迎えるはずだった。(注:昨年が還暦で、今年は61歳です)

「マイケルの周りで仕事をしていたアメリカのレコード会社の人たちとは今もFacebookなどを通じて繋がっていますし、仕事をすることもありますが、彼らは口を揃えて『今回のTVドキュメンタリーになったようなこと(少年虐待疑惑)は絶対にありえない』と言います。マイケルはスーパースターになったが故に、しかも黒人のスーパースターということで根深い差別があるのだと僕は考えています」と田中さんは言う。

 あまりに巨大に成長したスターへは時に常軌を逸したバッシングが行われる。バッシングする側に、さらにそれを読んだり見たりする側にもリアルな人間像が描けなくなってしまうのかもしれない。しかもマイケルは、今でもアメリカ社会で差別される側であり続け、歌の世界でもその差別が大きくクローズアップされ続ける「黒人」、その最初の超ド級のスーパースターだ。今もはこびるバッシングの底辺には、長年の黒人差別の歴史が常にあることをマイケルのニュースを読むたび、私たち自身が決して忘れてはいけないと自戒したい。

マイケル・ジャクソン。享年50。いわれなき差別と誤解の中でもひたすら純粋に自分の目的を持って遂行して生きた人だった、と私は感じている。


私と全てが同じ意見というわけではないのだけど、心が温かくなる良い記事です。

マイケルは、日本が好きだっただろうと私も思います。みんなが良い人というわけではないけど(失礼しました)、全体的にみて、日本人は優しくて奥ゆかしい。その上、マイケル・ジャクソンのような人が好きだからね~~☆

日本には、人を肌色で区別するクダラナイ習慣はありません。


あと少しで平成も終わり。。。
令和が昭和の末から平成のはじめの頃のように、キラキラした豊かな時代になりますように。

 

マイケル・ジャクソン来日秘話 テレビ屋の友情が生んだ20世紀最大規模のショービジネス
白井荘也
DU BOOKS
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