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ワカキコースケのブログ(仮)

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早出し:『DOCUMENTARY of AKB48』の4本目は、4本目ゆえに『頂上作戦』だった

2014-07-17 05:50:55 | 日記


(毎回言い訳めきますが)今年は仕事でバタバタしてるのが続いて、ほんと、ブログ、更新できない。なのにどうして生活にゆとり感が全く無いのかフシギだったのだが、なんのことはない、粛々と延滞金、滞納金を払っているからだった。どうやって借金を踏み倒すか知恵を絞るので終日忙しかった頃が、フトなつかしい。いつまた戻るか分からないけど。

とはいえ、neoneohttp://webneo.org/の編集メンバーでもあるので、もうちょいドキュメンタリー見とかないと……と焦り、今日(いやもう昨日だ)映画館へ行った。



DOCUMENTARY of AKB48 The time has come  少女たちは、今、その背中に何を想う?

2014 同作製作委員会/東宝映像事業部配給
監督 高橋栄樹


わざわざ選ぶのがAKBなのは、「知的で批評的にドキュメンタリーを愛する」人達には、なんか、申し訳ない。(カッコのところは、前にいばって言われて以来、あんまりお粗末なので妙に気に入ってるフレーズ)
東宝映像事業部が送るAKB48の劇場公開ドキュメンタリー。映画による毎年の活動報告、という大きな性質のもと、1年に1本公開され、今回で4作目になる。

1作目のDOCUMENTARY of AKB48 to be continued 10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう?が公開されたのは、2011年の1月。
これだけ岩井俊二が製作に入り、監督が寒竹ゆりで、2作目以降と雰囲気は違う。インタビュー構成が主になっている。メンバーの顔と名前がほとんど一致しないまま見たので、その点、格好の入門編だった。
宮澤佐江が、チームの主力でいながらメディア選抜になかなか定着できない(だったと思う)自分の立ち位置について語り。渡辺麻友が、イラスト好きな姿を披露しつつ我が道を行くタイプの片りんを見せ。峯岸みなみは、芸人的なパーソナリティと雑草的なスピリットを前に出す。
柏木由紀は明確なアイドル論を持っていて。一方、大島優子は驚くほど意識が引いている。篠田麻里子は組織論を、前田敦子は求められるリーダー像を語る。

それぞれ(秋元康らスタッフが設定した)チームでの活動を100%受け入れ、没入を通して自分の在り方、生き方をまさぐっていた。自分らしさとかグズグズ言う前に、お人形に徹底してなり切れるかどうかやってみる。その上で出てきた、人と違う言葉が個性。そういう肚の据え方で自己演出できる子が上に行ける、と示しているところがあった。ピークはいずれ終わる、とみんなが認識しているのも印象的で、僕はこの映画を見て、かなりAKBへの印象が変わったのだった。

後半になって、中心メンバーが「たかみながいるから」「たかみながいなければ」「リーダーはやっぱり、たかみな」と語るところが畳みかけられる。
たかみなって誰? と思った瞬間、よくテレビで「おねがいしまっす」と早口で言う小柄なひとが、ズンズンこっちに向かって歩いてくるカット。僕はこの、すこぶるカッコいい登場で、高橋みなみを知った。


2作目のDOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る』は、2012年の1月公開。ここから監督が高橋栄樹になり、インタビュー中心でなく、密着映像の年鑑的作りにガラッと変わる。

これが、面白くて。去年のブログに、2012年に見た国内のドキュメンタリー映画のなかでイチバンだった、と書いている。http://blog.goo.ne.jp/wakaki_1968/e/6c7639e2b7252950530778ff7a6b8891


3作目の『DOCUMENTARY OF AKB48 NO FLOWER WITHOUT RAIN 少女たちは涙の後に何を見る?は、2013年の2月公開。
秋葉原の劇場では、ステージの立ち位置に番号を書いたテープが貼ってある。そこを舐めるように寄っていくカメラ。一番前、センターの番号は、1番でなく、0番。横にも前にも、仲間はいない。そこから始まり、前田敦子卒業と、〈センター〉とはなにかの考察が軸になっていた。
ただ、この3作目に関しては、なにか踊り場感のある、モヤッとした印象があった。これだけめざましい成功をなした後で、「夢に向かって走り続ける」と唱え続けるムリが、映画にも反響していた気がする。公開時に見なかったので、わざわざDVDのスペシャル・エディションを買ったのに、1回しか見ていない。

AKB48自体のことでも、前田のあっちゃんが引退したことで、それこそピークは過ぎた、と僕は解釈していた。
毎年春の公開が今年は無かった事で、映画も3本で終りなんだ、と思っていた。
だから、今回の4作目が公開されると分かった時は、ちょっと驚いた。他に切り口があるのだろうか?

それが、あるんだねえ。
オープニングは初期メンバーでも選抜メンバーでもなく、これから研究生になり、グループの一番下に加わる女の子の上京シーンなのだった。
ものごころ付いた時からAKBにあこがれてきた超・新世代。この子たちは先輩からまず、行儀や礼儀をきびしく教えられる。
そして、この先輩達も、指原莉乃に「今日の踊り、がんばってたね」と声をかけられると、うれしくて廊下で泣き出す。小嶋陽菜に「(空いてる椅子に)座ったら?」と隣に座るよう言ってもらっても、立ったまま動けない。

そう、今回はハッキリと世代交代が主要アングル。大組織になったグループには、ハッキリとヒエラルキー、上下関係が生まれている。
雑誌のグラビアなんかで、キュート、かわいいをふりまく選抜メンバーだけど、下の子達からしたら、雲の上の存在。気安く隣に座るだなんて、とてもできないのだ。

しかし、選抜メンバーにもドラマがある。卒業したあっちゃん、ともちん、マリコ様、秋元、もう画面には出てこない。
13年年末のNHK紅白歌合戦の控室。たかみなは全員を集めて、「来年もきっといろいろあるけど……」と恒例の、本番前の訓示。カメラが、それを後ろで聞いている大島優子に、ピントを合わせる。優子は、じっと若手に向かって話すたかみなを見ている。ピントはすぐ、両者に等分になる。
僕等は紅白の本番で、優子が何をとつぜん発表したか知っているわけだから、このカットは息詰まるほどだ。密着しているスタッフには、察せられることだったのか。知らなかったとしたら、キャメラマンの勘は物凄い。
ここを代表例として、今回は特に、表情を撮る、ことに対して張りつめたような凄みがある。

トップは卒業が相次ぎ、しかし下にはどんどん新人が入る。新陳代謝しながら拡張し続ける、と決めた組織の群像。
この既視感は……途中で気付いて、鳥肌が立った。
『仁義なき戦い 頂上作戦』じゃん。あっちも4作目、こっちも4作目。

まだ、まるっきり子どもの研究生たちは、初期メンバー達が必死で唱えながら自らを重く疲れさせた言葉、「夢」を、キラキラと語る。どの子も、「さらのテレビ買うちゃるけん」と弟と妹に約束した弘(小倉一郎)に見えてきてしかたない。
たかみなはマッサージを受けながら、「なにかが終わるんだなあ」と静かに笑う。優子もまた「AKBは大きくなり過ぎちゃったから……」とつぶやき、語尾を小さく消す。これじゃあ、「もう、わしらの時代はしまいで」と話しあった広能と武田そのものだよ! ものの見事過ぎる。

やくざ映画とAKBを重ね合わせることに、他意はありません。
ただ、内部の掟を強くすることで成立する集団を日本人は作りやすく、理不尽(「親分が鴉は白いと言えば、白なんや」と同じぐらいの勢いで、組閣(チームの入れ替え)が発表される)に耐える姿が、マゾヒスティックな悲壮として美化される。
そういうところは、確実に通じていると思うのだ。

がんばっても本隊から姉妹グループに移る結果になり、ショックを受ける子、泣く子に、たかみなたちは寄り添い、抱いてあげる。
ほとんど、姐さん。
ぜひ公開中に大きなスクリーンで、若い子をはげまし、見守り、抱きしめてあげる、たかみな、こじはる、優子ら選抜メンバーの、いい女ぶりを見てほしいと思う。
いや実際、いいんだ。テレビやグラビアで見るよりも、こういう姿のほうが、むせかえるほどに女だった。いい女がたくさん出てくる、なまじな劇映画よりもスター映画である。

成熟して場数を踏んだのだから、まだあどけない若手メンバーよりもキレイ。当然なのだが、それだけでない、彼女たちにふるい立つような色気を与える心理装置がある。
「みんながんばってるのに勝手にメンバー変えるなんて、そんなのヘンだと思います」
と、かっこよく大人に食って掛からないことを選んだ被虐の美だ。

やくざ映画にしても(前に「映画芸術」で書かせてもらったことだが)、殴り込みに行くところがスカッとする、なんて見方をしてるうちは、実はあんまり理解者とは言えないのである。
「俺も、おまえさんのような親分が欲しかった……」なんて小声で吐きつつ、矛盾に耐えるところを見て甘美な思いを味わう/味わってしまう、のが(一種、恋愛映画を見るのに近い)危険な魅力なのであって。いったん堪忍袋の緒を切らしちゃったら、その後には、もう、ほとんどドラマは無いのですね。
東映やくざ映画は、大きく二種に分かれ、前半は任侠路線。後半は実録路線。任侠路線では桜町弘子や藤純子が輝いたが、実録路線では女優の見せ場はほとんど無くなった。
『仁義なき戦い』シリーズは、実録路線の代表格。ここでは彼女たちは、総選挙や組閣という100%他者から評価される容赦ない闘いに身を投じつつ、傷つく妹分たちを抱きしめる。涙を流し合う。任侠路線と実録路線、両方のエッセンスが混合されているわけで、独特の迫力がある。

最近ツイッターで、あんまり話題にしないようにしている、と書いたのに、つい、やくざ映画について語り出してしまった。実はもともと、ドキュメンタリーじゃなくて、こっちのほうなんです。

なにしろ、AKBの映画は第4弾の今回も面白いよ、という話でした。(握手会の事件があって以降の終盤は、時間に間がないためややバタバタしてしまい、複雑なニュアンスは出にくくなってしまっているのは惜しいのだが)
実際のAKB48そのものの活動については、そんなに気はいかない。6月13日深夜にフジテレビで放送された「AKB48総選挙感想戦」も見たけれど、中森明夫や宇野常寛らは、そんなに鋭い解釈をしているわけでもないのか、と知るにとどまった。


ただ、最後に皮肉を書いておくと。
『頂上作戦』のラストで、武田は「これからは政治結社にでも変わらんと、やっていけんわい」とボヤいてたんだよねー。
現在の、「先生」(秋元康)の安倍政権との親密さが、どれだけ次作に(ひいてはメンバー個々に)影響するか、それがどんな形になってしまうかは、気になるところではある。


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