わじのおもったこと

ぼちぼち、とりとめもなく思ったことを書いていこうか、と。

「権利」「義務」「憲法」について考えること

2012-12-15 10:53:10 | くらし
権利と義務
「権利には、義務が伴う。」なんていうことが声高に言われているけれど、少し考えてみたい。

「基本的人権」は、人が、誰でも、オギャーと生まれた瞬間に持っている権利。
これは、国家によって与えられたものでも、義務を果たしたから与えられるわけでもなく、人間として生まれれば、誰もが持つ。

この権利がぶつかり合って、自力で救済と言うことになれば、腕力など、力が強うものしか権利を守ることができないので、一部を政府に預ける「契約」をしたというのが社会契約説。

もちろん、「権利」の行使に当たっては、他人の権利を侵してはならないという制約が伴う。

「権利には義務が伴う」というのは、
民法上のお金の貸し借りのような契約の際に、
 貸した人には「お金を返してもらえる権利」が、
 借りた人には「お金を返す義務」が、
対になってそれぞれ発生する、ということから、飛躍して産まれた理論のように思える。

でも、基本的人権は「前国家的権利」とも言われ、国家が存在する前に、生まれた瞬間に権利を持った人々がいて、その人々が契約により国家を作った、という建前に立つものだ。

憲法
基本的人権も、過去、絶対王政の国王を代表する国家権力によって犯されることが多かった。
人々の人権を守り、権力者の動きを縛るために作られてきたのが、近代的意味における「憲法」である。

例えば、日本国憲法の99条は、

第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

と規定されている。天皇、摂政、国務大臣、国会議員、裁判官、公務員など、国家権力の行使に当たるものに対して、憲法を尊重し擁護する義務を課しているが、この対象に「国民」は入っていない。

この、憲法によって権力者を縛る、というのが「立憲主義」の考えだ。
憲法と法律の一番の違いは、
 憲法 国民→権力者 国民が権力者を縛る
 法律 権力者→国民 権力者が国民を縛る
誰が誰を縛るのか、というという、矢印の向きが逆なのだ。
だから、極端な話、憲法に「国民の義務」を書き込む必要など無いのだ。

いろいろな政治の形態はあるけれど、権利を守るためには、
治められる人自身が決める必要がある(治者と被治者の一致)という
「国民主権」である必要があるし、
平和でなければ、権利は守れない、という構造で日本国憲法は作られている。
憲法の基本にあるのは「国民の基本的人権を守る」という発想なのだ。

なんだか、この辺りの基本的なところも理解せず、
憲法なのに、やたら国民に義務を課していたり、基本的人権を「公益及び公の秩序」の名の下で制限する方向のものも見受けられる。
「憲法は、法律の親玉」と考えていて、権力者が国民を縛るためのツールになってしまっている。権力者の側に憲法を作らせると、こういう風になるんだなぁ、ということを改めて実感した。

なんだか、中学校の公民の授業のようだけど、
主権者たる国民が、このような基本的なことを理解していないと、
権力者の側に好き勝手やられてしまうんだなぁ、ということをひしひしと感じたので、書いてみた。

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