気ままに・思うまま

日々の小さな出来事を気ままに書きとめています

鴎外荘

2010年12月21日 | ウォーキング

今年も残り少なくなり落ちつかない日々の中今年最後のウィーキングで森鴎外荘へ~。

鴎外荘では舞姫の作品が生まれたといわれる「舞姫の間」で、鴎外の生い立ちや「舞姫」の作品をひもとき、又日本のお正月のしきたりや、二十四節気などについて学びました。

     

     
  


菊まつり

2010年11月23日 | ウォーキング

湯島天神へは、初詣 梅まつりと何度も参拝した事がありますが、菊まつりには初めての参拝です。
菊まつりも終盤になり菊も終わりかと心配しながら出かけましたが、まだまだ綺麗に咲き誇り観る人の心を和まされくれました。

  
     竜馬とおりょう



  岩崎弥太郎        竜馬               勝海舟


     1本の根からつぎきをするそうです

 
         厚物


     懸崖

 


市川真間 散策

2010年11月01日 | ウォーキング

真間の手児奈
手児奈伝説は、奈良時代以前に住んでいたとされる女性の名前。
手児奈は国造りの娘で、近隣に嫁いだが国府と嫁ぎ先の国が争いになり
逆恨みをされ、大変苦労をし真間に戻ったが自分の身を恥。実家に戻ら
なかった。
毎日水を汲みに来る手児奈のあまりの美しさに、回りの男達が我がものに、しょうと争いが絶えず、手児奈は「自分がいるから・・・・」と思い込み
真間の入り江に入水したと伝えられている。
悲しんだ村人たちが手児奈を偲んで、墓を作りお堂を建てたといわれている。

弘法寺
奈良時代天平九年(737年)、行基菩薩がこの地に立ち寄られた折、手児奈の哀話を聞き、その心情を哀れに思い一宇を建てて「求法寺」と名づけ、手厚くその霊を弔われたそうです。
のちに、求法寺(ぐほうじ)を弘法寺(ぐほうじ)に改称される。

  
 真間の井戸

  
人間学校


橋めぐり

2010年06月28日 | ウォーキング

梅雨の晴れ間、お江戸日本橋の橋を巡って来ました。

 一石橋 → 日本橋 → 江戸橋 → 鎧橋 → 霊岸橋 と歩きました。

川といっても上は高速道路が走っていて、風情のあるものではありませんが、昔は違った風景が見られたことでしょう。

   
前島密の碑
日本の郵便制度の創設者の一人、一円切手の肖像で知られる
「郵便」 「切手」 「葉書」 という名称を定めその功績から 
「郵便」 の父と呼ばれている。

   
日本橋 魚市場発祥の地
大震災の時、築地に移転した

 

 

 


長寿ふじ

2010年05月05日 | ウォーキング

高円寺(法華経寺の末寺)のふじは樹齢(200年)と花房の長さから 
「長寿ふじ」と名づけられているいます。
2メートル、時には3メートルになった事もあったそうですが、最近は1メートル位だそうですがその姿は圧巻です。

     

     

  


正岡子規のゆかりの地

2010年03月21日 | ウォーキング

上野公園は何度も訪れていますが、普段は博物館、美術館、不忍池、お花見が多いですが、今回は正岡子規ゆかりの地として上野、根岸を散策しました。
司馬遼太郎の小説 「坂の上の雲」 をひもときながら今まで知らなかった園内を巡りました。
   

    
ここで正岡子規や秋山真之も野球を楽しんだでしょう。

    
五条天神社はヒガン桜が満開。

    
ポードワン博士の胸像、あまり馴染みがないがこの博士が恵まれた自然が壊される事を憂い公園とするように政府に提言し、国内で初めて公園として指定されたそうです。

 
              子規庵
関東大震災で焼失して建てなおしているそうです。
高浜虚子、伊藤左千夫、長塚節が出入りし句会や歌会が開かれていた、子規が病床の身を横たえた6畳の居間兼寝室には机があり、その中程に四角く切込みがあり、これは足を伸ばすことができず膝を立てたまま仕事をするためだったそうです。

子規が亡くなって100年以上経っているのに、机の前に座るとその当時の糸瓜が
植えられているのを見ると少し前まで子規がいたような印象を受けました。

 

 


寺町・みなと町散策

2010年02月16日 | ウォーキング

早朝には雪がちらついていたが、出かける頃は天気も良くなってきたが
寒い日でした。

船橋の中心街、普段通っている大通りからわずか50メートル程横道にそれるだけで多くの寺院、不動院があり古くから人々の生活とかかわってきた事が伺われます。

船橋漁港では漁業協同組合長の案内で一般に入れない所まで行き説明を受けました。(ユーモアのある組合長さんで、とっても楽しかった)

 


白ハマグリ

現在でも漁船が東京湾で活躍しています、いろんな魚類が取れますが
地元船橋よりも東京に出荷される方が多いそうです。


葛飾を歩く

2010年01月18日 | ウォーキング

冬晴れの日、葛飾を歩いてみました。
地元でありながら普段歩くこともなく、もの珍しく新鮮でした。

明治の頃、この葛飾は近隣は八ヵ村 (西海神、山野、印内、寺内、本郷、二子、古作、小栗原)が集まって 「葛飾村」 を名乗っていました。
それから100年以上たち、葛飾は猛烈な勢いで変貌してきました。

京成電鉄が開通した事が大きく変貌した事の1つでしょう。
大正5年(1916)押上~船橋が開通し、葛飾駅が完成。
昭和62年(1987)現駅名、京成西船に改称。

正延寺、光明寺、八坂神社、妙見神社、宝成寺、常楽寺、参拝。

 

船橋市指定文化財、大ケヤキ

 

葛羅の井
昔この水脈が富士山まで達していたと言われていたそうですが、
現在水はありませんでした。

 

ゲエロの池 (方言からこの名が付いた)
昔は水田を潤し野菜洗いに利用され、川海老、鮒も生息し、夏は蛍もいた。
近年改修されオタマジャクシが帰ってきたとか。
皆でのぞき込んだが、何も見えなかった。


海老川の源流

2009年11月16日 | ウォーキング

御滝不動・下野牧・金杉の風景を眺めながら散策しました。

 


御滝不動の参道には、赤いよだれかけをつけた
古いお地蔵さんや 大木が並んでいる。

 

室町時代、この地で正体不明の光が連夜現れ村人たちは恐れていた。
夢枕に高僧円仁が現れ「ここに不動明王像が埋まっている」 と告げた。
翌日、人夫が掘って見ると一体の不動尊像が出てきた。又、像の出た跡から清水が湧き、滝となった。(御滝山縁起抄より)

この滝が現在、海老川の源流となっている。
ここから海老川が始まり、南に流れ三番瀬にある東京湾に注ぐ。
北の地域は印旛沼水系となって、川の水は東北に向かって流れているそうです。

星影神社 江戸時代、幕府の軍馬の放牧地であったこの地で、明治初めに開墾事業が行われた。
『星影』の名は、この地区を担当した星野清左衛門の名にちなんだとも、
入植者達が朝まだ星が残る頃から夕方、星が出るまで働いた事から付いたとも言われている。

野馬土手、中央分離帯のようになった道路、軍馬の放牧場があり、ここはその一部で野馬追いで野馬が逃げられないように設けられたものの、名残だそうです。

本日の歩行距離は6,7km。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


葛西臨海公園

2009年09月29日 | ウォーキング

葛西臨海公園は水族館、鳥類園、干潟などで作られ東京湾の水平線が
広がる風景は見る人の心を和ませてくれます。
海を埋め立てて、作られた23区最大規模の都立公園です。

遊泳は出来ませんがバーベキューは楽しむことが出来、大観覧車や宿泊施設もあり行楽地的な公園として親しまれています。

 

公園に咲いているコスモスは、ほとんどが黄花コスモスでした。