ヒーリングデザイン@メモ

スッと抜けていくそよ風、電気を消して気づく明るい月あかり、ぬくぬく日だまりの縁側。安心して暮らせるヒーリング空間つくり

都市の森林1

2006-07-21 | スローライフ
<文明の崩壊>ジャレド.ダイヤモン 著 の中で徳川幕府の解決策 の記述の中になぜ日本の江戸時代社会が崩壊しなかったかについて分析している。ドイツの新しい森林管理手法(1800年頃) によって増えてきた森林面積以上に科学的手法を用いて完全なトップダウン方式によって森林管理をしてきた事実については多くのヨーロッパ人が気づいていないといっている。
 考えてみると以前読んだ本の中で以下のような内容が紹介されていたことを思い出した。徳川家康が何故江戸に幕府を築こうとしたのかそのわけと文明の崩壊の共通する内容があるように思います。

 以下概要 奈良時代 奈良盆地の平城京には10~15万人の人口があって、今とは違ってエネルギーは他から持ってこれないから付近の立木を使わなくてなならなかった。立木の消費率は一人当たり一年間に最低10本といわれているので、年に100~150万本の木が必要でそれが1600年の関ヶ原の戦いの頃には京都に40万人大阪に40万人の人口がいたすると年間800万本からの木が必要でこれは関西圏だけからすると木の自然再生能力を超えてしまっていた。その状況は頼朝の時代には始まっていて、木がなくなれば山が荒れ、保水の能力のない川は氾濫は常に起き、渇水も常に起き、都市には疫病、飢饉など都市の病が蔓延する状況が定常化していたと推測できる。
これでは新しい都を関西地区につくることはできないと考えた家康は当時は湿地帯であった処女地江戸の目を付けた、利根川の流れを家光まで3世代に渡って江戸湾から太平洋に流れ出る大工事を行ってやっと湿地帯から抜け出した江戸は世界一の人口を養える都市にまで発展した、当時の人口200万人一人当たりのエネルギー消費量 立木20~30本という膨大な量がまかなえ400年モノ長きにわたり続くことができたのは自然管理(立木一本首一つといわれた)の徹底と都市は自然と一体だという事が理解されていたのだからだと考えられる。

このことは現在よりも当時は遥かに環境論を理解していたのだと思うのです。
従ってそのことを確かめたかったののですがやむを得ません。次回にきっと念願達成と固く心に誓って帰ってきたのです。

三軒茶屋大道芸

2005-10-24 | スローライフ
今日,昨日は三件茶屋の大道芸大会があった。久しぶりの秋の快晴の中で、クラシック演奏、ジャズ演奏、などの音楽演奏系。一輪車、火を噴く男、空中ブランコなど曲芸系、マイムなどの演劇系 様々な芸人の芸と周りに展開されている、様々な店舗など久しぶりに三茶の町が多くの人いる楽しい意表を見せていた。町に活気があふれることはこんなにも心に豊かさと充実感があるものだなと改めて感じた。
子供の頃は神社のお祭りや空き地にやってきたサーカス団など何となくまちに非日常を提供してくれる何かがあって、それを子供心にわくわくしながら、見に行ったりしたものだったが、いつの間にか、お祭りもどこに行っても同じような店があったり、まちもどのまちも変わらない表情を見せてきてた。そこへ嘗て横浜に行ったとき偶然野毛の大道芸大会に出会ってしまった、そこでは昔わくわくしたような様々な出し物やお店が町中に散らばって,輝いていた(そこで手づくりのオカリナを買ったのを覚えてる)その大道芸大会も直港未来の超高層ビルの中にないってしまって、芸人も元気なく、見る人も仮面ライダーショウの変わり種的にとらえているだけで全く活気のない形になってしまった。
やはり、大道芸は道と一緒でなければなー、町の中の風景でなければ大道芸でも何でもない、ただのショウになってしまうのだ
その後インドでは常にどこでも大道芸があり、常に人々がたかっていたり、していてびっくりの連続、ドイツでも日曜日などは世界各地からやってきた芸人たちがなんとか大会ではなく、全く日常の風景としてあちらこちらで芸を披露して(こちらは音楽芸が多かった)いて、昔の映画などでは江戸の町に結構たくさんの芸人たちが出てくるような場面があったりしていて、日本はやっぱり、娯楽が町からきえてしまったのだなーと考えていた。
三茶の大道芸は確かに自然発生的なものではないが、嘗てのわくわく感を与えてくれる大きな要素だったなーということを思い出させてくれた 収穫の一日だった。
写真は子供たちが(不思議なことに)<カベヌリ>といって人気のあったストリートパホーマー(ガンジス、インダス,ドーダス)のパフォーマンス。笛吹きおじさんのように子供たちをそのまま連れ去っていくような不思議な雰囲気をもった芸。

久々 京都

2005-10-11 | スローライフ
京都行ってきました。デザイナーズウイーク東寺会場の設営を終えてすぐ帰ってきました。
なぜ日本の都は奈良→京都→鎌倉→江戸 と変遷してきたのか <土地の文明>竹村公太郎 著を読んで以来、興味があって調べていたので、京都はとても行きたかったのですが、そんな暇もなく、直行直帰の典型でとても残念でした。氏の記述では<
奈良時代 奈良盆地の平城京には10~15万人の人口があって、今とは違ってエネルギーは他から持ってこれないから付近の立木を使わなくてなならなかった。立木の消費率は一人当たり一年間に最低10本といわれているので、年に100~150万本の木が必要でそれが1600年の関ヶ原の戦いの頃には京都に40万人大阪に40万人の人口がいたすると年間800万本からの木が必要でこれは関西圏だけからすると木の自然再生能力を超えてしまっていた。その状況は頼朝の時代には始まっていて、木がなくなれば山が荒れ、保水の能力のない川は氾濫は常に起き、渇水も常に起き、都市には疫病、飢饉など都市の病が蔓延する状況が定常化していたと推測できる。
これでは新しい都を関西地区につくることはできないと考えた家康は当時は湿地帯であった処女地江戸の目を付けた、利根川の流れを家光まで3世代に渡って江戸湾から太平洋に流れ出る大工事を行ってやっと湿地帯から抜け出した江戸は世界一の人口を養える都市にまで発展した、当時の人口200万人一人当たりのエネルギー消費量 立木20~30本という膨大な量がまかなえ400年モノ長きにわたり続くことができた>という指摘がとても新しい考えと思ったのです。
それというのも<森の学校>で奈良井に行って木曽美林のなかに入っていろいろな木を守ろ為の方策を教えてもらった事とつながってきたからです。自然管理(立木一本首一つといわれた)の徹底の考えは 今で言う都市と森は一体だという事が当時の施政者は歴史の中から学んで理解されていたのだからだと考えられるからです。
このことは現在よりも遥かに環境論を理解していたのだと思うのです。なぜ今より情報が少ない時代にそれができたのか、そして徹底できたのか?そこの始めの出発点に京都、奈良があったのですが今回はとても無理でした。
次回にきっと念願達成と固く心に誓って帰ってきました。

世界の呼吸展

2005-08-23 | スローライフ
先日<世界の呼吸法 アートの呼吸、呼吸のアート>というテーマの美術展に行ってきました。趣旨書では<アートにおける呼吸には様々な側面があります。たとえば音楽のブレスやダンスの間や身体の揺れ動きは呼吸と直接結びついています。絵画や彫刻作品が生まれる時の作家の手や皮膚感覚の息づき、作品のイメージが生き生きと現れるときの息吹、我々が作品の前にたたずみ体験する際のイメージとの間で交わされる共生感なども呼吸と言えましょう。云々>ということで作家と鑑賞者の間を問い合わせる新たな試みの展覧会、さらに佐倉市立美術館と川村記念美術館との共同作品展というのも新しい。初めての試みなので直接解らない点もありましたが、おもしろかったです。
この川村記念美術館には大賀博士が発見し育成して1500年ぶりに花をつけた<大賀ハス>が池いっぱいに満開でした。とても大きな美しい色の花で、奈良頃より時代を飛び越えて今現代に再生したタネの生命力とが相まってとても不思議な思いを体験できました。

また今回は関連企画としてもBreathingという 映像、ボイス、身体表現のよるコラボレーション (豊崎洋二、アベレイ、阿部友紀子、岡田桃園など)があります。さてこのテーマでどんな表現が有るのでしょうか?楽しみです。
ついで、大賀ハスをみました。2000年前の種を開花させたハスが沢山蓮池に見事に咲いていました。人の心は2000年もつながりませんが種はそんな時間はものともせずジーッと自分が生きるのを伺っているのだなと感無量

見なし公務員による駐車違反取り締まり

2005-05-04 | スローライフ
以前より路上違法駐車については様々な事故の原因、道路機能の低下、景観上などさまざまな問題を含んでいた。朝日新聞によると東京都の千代田、中央、港、渋谷、品川、新宿など各区で、民間の権限を与えられた人(見なし公務員)に駐車違反の発見とその証拠(写真など記録)をつくり、警察に届け出して、違犯の処置を警察が執る。といった内容で、常に駐車違反の監視を行っていくということを進めようとしているようです。すでに専門業者に対しての講習会などを予定しているとのことで、またぞろ業者と行政という図式ができあがっています。
本当はここで町作り(まち育て)の一部としてこの問題を考えるなら、その土地のことをよく知っている、人々にこの問題を任せることはできないのだろうか?という疑問に当たりました。
土地のことを熟知している、人々(主にお年寄りが主体になると考えられますが)がその役割を担っていれば、事前に違反になる前に警告したり、運転者との会話でその場所の違反現象をまちづくりの一環の応用できるのではないかと考えています、どんなものでしょう?

<ただ今、制作中>という美術展

2005-03-29 | 新しい風
創造のさなかに...ただ今、制作中!......展 を見てきました。完成作品を展示するだけではなく、制作過程にスポットを当てスケッチや下絵、模型なども同時に展示することで、制作過程の相互比較することから現代の作品制作の実態に触れることができるという主旨で練馬美術館が開催しているもの。作者は 青木野枝。井上尚子。岡崎乾二郎。萩太郎。建畠覚造。吉田亜世美など気鋭、ベテランなどの作家が出品していた。

中でも吉田亜世美の階段プロジェクトは美術館のメインホールをピンクのドットのあるフェルトでくるんでしまうもの、色や空間の大きさなどで普段とは違う空間で圧倒されました。この制作過程など詳細に記録が残されて、周到に準備された計画と秩序だったワークショップの元に実行された様子が創造でき、単なる作品だけでない奥深いものに仕上がっていたと思った。

又その実行段階見ることができなかったのが残念、岡崎乾二郎が発注作品制作という作品作りをやったようで、何を作るか、全くゼロの状態でワークショップにのぞみ、参加者の要請や希望に応じて作る作品の形式を決め、ディスカッション形式で計画を練り、作品を完成、発表するというやり方で作品作りを行った。岡崎氏はこの方式はルネッサンスの頃の芸術家達の制作プロセスだったと述べてる。

このような、結果ありきではなくそのプロセスこそ重要と考える人たちが増えてきているように感じが強い。私の専門である建築も設計や工事の過程でも専門家にいっさいを任せるのでなく、そこに係わる沢山の人が参加してその空間に思いを残していく。そこに新たな、知恵や工夫そして何よりも他の人とのコミュニケーションが生まれ育ち、作品に意味が加わっていく。

こんなやり方が忘れられてきたが、これからの時代には必要な事が今走り出したかな。と思えた展覧会。ちなみにこの展覧会の紹介記事(朝日新聞 の大西若人氏)はこの展覧会を数学的隠し味という視点から記事にしてた。こ記事から理解できたこと。プロセスに視点をおいた作品が完成してみるとそれに参加しなかったものにとっては質的に落ちるように見えることがしばしばある、今回の展覧会の作品はどれも美しいモノばかり。両者の間を埋めるのは数学的秩序なのかな?
ちょっと、これからのテーマが見えてきたような。

家庭用燃料電池のこと

2005-02-18 | スローライフ
昨週、ビックサイトで開催されている東京ガス主催の<都市とすまい展>で、家庭用燃料電池を詳細に見てきました。その記録です。図にあるようにガスから水素を取り出す(これを改質と呼ぶが、都市ガスの主成分であるメタンはガソリンに比べ炭素1単位あたりに含まれる水素原子の個数が多く同量の水素を取り出す時に発生するCO2の量が少なくて済むメリットがあるとのこと)、電気と熱を得るというシステム。このシステムは分散型(オンサイト型)発電の一つで必要なその場でエネルギーが得られる。このシステムを4人家族で使った時1次エネルギーの30~35%を電力として、40~45%を温水として取り出せるため従来の給湯器を使った場合と比べ電気ガス料金が年間3万円節約できる。とのこと。
 さて、今回は実際に売るのではなく、家庭とパートナーシップを組んでデータを取って今後の改善に向けてのモニター制度にしていく。約3年後には価格の目標を100万円をきって60万円位にしたい意向。この点の詳しいことは次回にして、今回感じたことを記録しておきたい。
1、技術として必要な事が実際実用に耐える程度のレベルになってきていること。しかしまだ課題は残っていること
2、小型化の要=設置スペースがかなり必要なため(今回出展の松下電器、荏原バラード両者ともw3000×d1300×h2000内外の設置スペース)市街地内で敷地に余裕がある家庭に限られる。
3、電気の使用量が3kw以上使用する家庭でないと効果がないこの場合、家庭の必要電力の50%位がまかなえるはず=ということは省エネルギーに向かって(電力をできるだけ使わないように)努力しようとしている家庭に取っては自己矛盾がおきてしまう。=私達が10年くらい取り組んでいるパッシブソーラーはどうもこれとは逆の発想になっている。
=ひいては今までのライフスタイルを維持しながら環境改善努力をするのが今回のもので、今までの価値観やライフスタイルを見直していこうというのが今まで我々が目指してきたことで、そこの辺が気持ち的にすっきりしてないところ。
4、電気を起こす量は熱を作り出す量と一体的に動いて働くので、家庭のエネルギーの使われ方を学習する仕組みの中であっても実際には限界が起こってしまう。蓄熱と蓄電の技術開発の必要

などなどいろいろ感じたことがあるが、やはり3の点が引っかかってくる。今後の展開に期待すると同時に自立型エネルギーは絶対的に必要な技術の一つであることは確かなので、SEA arch でも何らかの形で係わって行きたい。

麻溝台、新磯野地区タウン計画のパブリックコメント

2005-02-17 | スローライフ
 相模原の相模川の第3台地縁に面積約150ヘクタールの広大な土地があたかも置き忘れたかのように眠っています。周辺は市街化が進み交通も渋滞が激しく、様々な問題が起きていますが、ここの廻りは相模原公園やスポーツ施設、女子美術大学をはじめ教育施設などがあり、河岸段丘などの手つかずの自然が息づいている場所でもあります。市としてはこの自然を生かしながら新しい世紀にふさわしい、新しいまちづくりを目指して、委員会や市の内部での検討会など活動を経て、今市のパブリックコメントに提案を公開しました。(2月14日まで)
 提案の内容は都心型の田園都市的な地の利を生かした、周辺の既存の町と連携した自立型の町を目指しています。食材、その加工、エネルギー、廃棄物利用、など循環を目指して展開できるように計画案は作られています。京都議定書の発効が始まり14%ものCO2削減を余儀なくされた日本がこれから大変な価値の転換を意識しなくてはならなくなります。
 そのための先駆的なまちとして実現に向けて、発信すべく位置づけています。
相模原市のHPの内容をごらんになってご意見などお寄せ下さい。私は本委員会を預かりました。

バラ展開催

2004-12-05 | スローライフ
しばらくぶりの投稿です。いろいろ考えることが多くて詰まっていました。先日雑誌<ソトコト>の取材を受けました。
10月完成したばかりの住宅をそこに住む子供達やそのお友達、やご両親、女子美の学生達全部で30人近い大所帯で壁塗ワークショップを行ったのです。そのことについての取材でした。今の住宅で子供達がいきいきできる住宅づくりはどうあるべきかのテーマでこの雑誌が特集を組んで1月号に出すとのことでした。何よりも子供と家との関係はその子の家での記憶や思い出なのではないかとおもいます。先般のヨンsama騒動で、イギリスの特派員が日本人の特性として、この騒動に加わった人たちの年齢層から<日本人の特性を知る上で重要なポイントは思い出というキーワードではないか>といっていましたが、まさにその点で、家族を身近に感じそれを思い出として記憶する媒体は屋外での活動と並んで家での出来事が一番に記憶される場所ではないかと考えます。柱の傷はおととしの。。。。。。と歌われるような媒体は今は少なくなってきました。
 私達の考えはできる限りの思い出を家に刻んでいく。このことのためにできるだけ可能な限り子供も家づくりに参加する事を目指して、設計段階、や工事段階、そして住み始めてからの段階といろいろなシーンで家づくりに参加できる機会を創ってきています。子供は家づくりに本気で参加できることには思ってもいなかったことなのでそれはそれは大喜び。きっと思い出の詰まった家を大切に大切にしてくれることだと思います。そんな簡単なことができれば環境問題への大きな答えがあるのではないでしょうか。誰でもできる子づくりよりも子育てが、誰でもできる家づくりよりも家育てがそしてまちづくりよりもまち育てがズーッと難しいのです。乞うご期待ソトコト1月号

絵本について  2

2004-10-13 | 若い人からの示唆
 先日、将来絵本に関した所に就職を希望するという、学生と会いました。その学生は自然と共にあることに、真の豊かさがあることを教わった原点は、幼い頃読んだ絵本からではないかと考え、そのことを確かめに、環境教育や自然体験型教育に興味を持ち、普段からそのような活動を行っている活発な学生です。
 自然と接することの楽しみやすばらしさを言葉だけではなく、絵と文字の表現媒体で伝えて行くことの可能性は無限大にあるのではないかと考えて、将来の仕事の糸口を見つけようとしているとのことでした。
 絵本の持つ特別な可能性とはいったい何なのでしょう。先回投稿した  絵本について 1  の時は子供が特別の世界にいるので、率直に物事を捉えて絵本の世界に入っていくので、そこに描いてある、世界をあたかも体験したように感じ、そのことを記憶していて大人になっても絵本を見ると、記憶が自分をその時に誘ってくれるのではないか言う内容を書きました。この記事に対して T.しおりさんから<同感です。絵本は絵でコミュニケーションをとるところが素晴らしい点だと思います。
だから、言葉が異なる世界中の子供たちに、自分の考えやメッセージを伝えることができるんではないでしょうか。
私の親戚の方で、カンボジアの子供たちにお古の絵本をボランティアで贈っている人がいます。とても喜んでいるそうです。
絵本は素晴らしい力をもっていますよね。>との絵本のもつ絵そのものの力についてのコメントをいただきました。
 そして、今日改めて先回の<絵本について 1>の時の若い人と絵本について話をしました。そしてその人はその後、絵本の持つ特別な力について、次のようなすごいことをいいました。つまり<絵本は絵と絵との間、ページとページとの間に読み手は好きなように間をとることができ、その間に自分のイメージを好きなように膨らませて、楽しんでいるのではないか。このことはTVや映画の様な強制的にイメージを押しつけてくる媒体ではではあり得ないことなのではないか。>という内容でした。確かにわたしたちは情報を与えられ続けて自分の自由なイメージを作り出す時間ですら失いつつあるのではないか。そして私達の豊かなイメージの原点である、自然ですら失いつつある現代、環境との共生と絵本という媒体は人というものを考える時、決して切り離せない強い繋がりを持っているのだと改めて認識したのです。

地球の卵

2004-10-12 | 地球環境と空間デザイン
先日、浜名湖岸に建設された<地球の卵>を見学に行ってきました。雨の中でしたが、浜松の駅からバスで45分くらいの場所に約一万平方キロの広大な敷地の中、OM計画株式会社の、未来の環境技術のための実験、研究施設が完成していました。これらは太陽エネルギー、水循環、光触媒、緑化計画、など、将来に向けての技術蓄積ができるように計画された施設群です。技術はいずれ実用化されるべく様々な実験が行われ、より確かな方法を得ようとして、その第2歩目が始まった訳です。この施設を見ての建築的な、又はその時教えて頂いた様々な具体的内容についての印象は、別の機会に譲るとして、今回はその中で気づいた、新しい常識について書きたいと思っています。

それはこの施設の代表の小池氏と話をした内容に関係があります。今中国の環境政策は本格的に進みつつあって、その具体的な技術提供の話も進みつつあるとのことでしたが、例えば中国での携帯電話の普及率は大変なもので、ワイヤードの電話機の普及率を追い越してしまった、と同じ意味で、下水道のこれからの普及を計るよりも個別の浄化槽の普及によってこの問題を解決した方が早い、つまり循環型の水環境社会を計画した方が、様々な点から有利であるということが、現実に進みつつあるのです。
考えてみれば、今この国では電気自動車の普及率は徐々に高まって、タクシーまでガソリン車に変えて電気化しようとしている、つまりガソリンエンジンは技術として完成しているのでその技術開発より電気自動車の技術開発の方が様々な点で都合がよい、という発想と同じだと思いました。水に限らず他の点での循環型手法を取り入れた社会は余分な費用を使わず、いっきに目的が達成できるので、酸性雨が国土の70%を覆う、中国の環境問題はかなりの早さで解消していき、やがては環境技術でも世界をリードするのではないかと考えたのです。
 先日の発表ですと北京郊外に新たに計画されている風力発電所は400メガワットの巨大のものであったり、2020年までにエネルギーの12%をリニューアブルな資源で発電するなど、又砂漠の道路のために400キロに渡って緑化する工事が進行中であるなど、様々な角度から新たな実験や方策が練られているなどの点から、中国の国土そのものが<巨大な地球の卵>になろうとしているのかなと思いながら浜松を後にしてきました。続きを又書きます。

ご近所の底力

2004-09-24 | スローライフ
 NHKの番組で<ご近所の底力>という番組では、さまざまな近隣での問題点を地元の マチ力 によって解決する、あのアイデアや行動力はとても大きな力を持っているナーと思って、出来るだけ見るようにしています。あの番組では個々の知恵やアイデアよりも、まちにとって何が大切なのかを教えてくれています。それは、あの番組のパターンが水戸黄門的パターンであって、いままでの番組はほとんど、問題解決型です。なにかマチでの問題があって、その問題を町の人が知恵を出し合って、力を合わせて解決していくというパターンです。水戸黄門的の番組もある場所に問題があってその問題をたまたま通りがかった彼らが解決していくという点です。まちづくりという点では問題があってそれから、そのきっかけを基として、新しいまちづくりの基礎にしていくという可能性をもっています、この点がいろいろ参考になるポイントです。したがって、ほんとうにその後のまちづくり(マチ育て)が出来たのだろうか?と気になっているところです。あれだけのことが出来たのだから、もっとマチのコミュニケーションを高めるための運動が生まれただろうな、、、、、とか
 かって、阪神大震災の時ご近所の底力が実際発揮された(ご近所の方が倒れた住宅から次から次に人を救助していた)それは普段からのおつきあいというコミュニケーションがあそこの部屋にAさんは寝ていたということをよく知っていて、的確に救助活動が行えたとのことです、この記憶がマチの復興に生かされて、まちづくりの基礎になっていきました。コレクティブハウス(メゾンいっこくのような共同生活スタイルの住宅)が被災地域には多いのはそのわけです。
 NHKの番組でその後日談としてマチ育てまで発展した例を取材して放映してもらいたいものです。
当たり前ですがマチの問題は結局、個々の構成員(そこに住む人たち)個人の問題に還っていく問題です。マチの問題解決から始まって、マチづくり(マチ育て)まで成長した例やそうでなくても、マチ育てを実際おこなっている、例に関心があります。
ただの問題解決型のまちづくりより、本当にマチをどんどん育てて、すばらしい安心で皆が生き生きしているマチ育ての実例に関心があります。子づくり、家づくり、まちづくりが終わった後は子育て、家育て、マチ育てです。そして後者が真に持続型、循環型の時代をしっかりとらえた有機的なマチを(人の心を)作り出す大切な考えになると思っています。
 今あるマチづくり計画に関わって強く思うことです。
 

絵本について 1

2004-09-14 | 若い人からの示唆
 絵本について、若い人と話し合ったことを少し雑記的にまとめておきたい。その人は絵本を見ると、ページから音やリズムが自然に聞こえてくるといいました。自分は小さいときから絵本が好きで、高校の時も絵本を研究するクラブ活動を行っていて、今絵本の持つ特別な力を他の人にも是非判ってもらいたい。そのための手段を探したい、といっていました。不思議なもので絵本とはいっても、字が書いてあるものが大半で、例えば字のない絵本でもそのような特別な感覚に入ることができるのか?とか本屋に行って絵本のコーナーの上級生用のものはどんどん字が多くなってきているのはなぜなのかとか、については専門の方が研究をされていることなので、まかせるとして、絵本を読む心のことに触れておきたい。
 昨今小学生が引き起こす事件が頻繁に起きていますが、その背景をさぐる討論会が放映されていました。そこで驚いたことは小学生の高学年の者の過半数以上の生徒が死者は生き返ることを信じている、という内容の発表を聞いたときでした。<子供は別の世界を持っている>と改めて思い知ったのでした。
 ゲームにしろ映画にしろ死者は死者でなく何かがおきれば、再生するといったものが多いです。子供はフィクションであるということを理解することできないで逆にその世界にはいっていってしまうのではないか。絵本もあの絵の世界に実際はいって活動するのが子供の心なのではないか?と考えると彼女が言った、絵本を開くと自然におとが聞こえてくるということは、子供の時、絵本の世界に気持ちが入って経験したことが、いまその絵本を見ると、記憶の中から沸々とわいて来るのではないかと考えたのです。
 そんな考えが、合理的かどうかは別にして、絵本を見ることによってそんなすばらしい、ことがおきるのならば是非他の人にも、知ってもらいたいでしょう。反応は人様々でしょうが、きっと何かがおきるのではないか?絵本が嫌いだった子はあまりきいたことがないから。

炭:忘れない用メモ2

2004-09-12 | スローライフ
炭についての記録をして、その後いろいろ調べたことをとりあえずまとめてみました。私達の仕事では炭を使う機会は床下に調湿用の炭を敷き詰めたり、屋根緑化の土壌改良剤として使用したり、水の浄水に使用するといったがほとんどでしたが、WEB上で調べてみればお風呂に入れその遠熱効果を利用したり、アトピーの治療に利用したり、あるいは調理の際に利用したりなど様々な使い方をしている様子。いずれも私自身で使ってのこてではないので、今度試してみるつもりですが、これら情報のほとんどは備長炭などの白炭の利用でした。その中でこのBLOGのテーマのヒーリングの分野で気になった記事は以下のものです。「いい炭ne.jp」の記事で炭のマイナスイオン効果について解説しているものです。<http://www.e-sumi.ne.jp/>以下はその記事概要の転記です。記:炭には、マイナスイオンを増加して、副交感神経にはたらきかけ、心身をリラックスさせる鎮静効果があると言われている。他にも、炭を使うとマイナスイオンのはたらきで、ものが傷むのを遅らせてくれる効果があるという説もある。もしかして、あなたの「老化」防止効果もあるかも?その秘密とは…?
ものから電子(マイナス)が離れていくことが酸化(ものが傷む、老化が進むなどのこと)
一方、炭の主な成分Y素A周りに電子を集めてたくわえ、逆に電子の足りないものに分け与えてくれるはたらきがある
つまり炭から与えられた電子がくっつき戻ってくれば、ものは長持ちし、元気になる。そして、人間も若々しく… 以上
以下のURLは炭を実際生産所が紹介されているサイトです。
http://members10.tsukaeru.net/mugengama/
まだまだ、調べてみればいろいろの使い道があるようです。
もう少し炭の調べを進めて行きたいと考えています。

炭:忘れない用メモ1

2004-09-10 | スローライフ
昨日、相模原市にある麻布大学が開催している市民大学を聞きに行きました。またまた、とても興味深いお話を聞くことが出来ました。環境政策学科生物環境研究室 の嶋田英作先生のお話で<私たちの生活と炭>というテーマで、私たちもよく知っている炭についての研究成果の中間的な段階での発表ということでした。さまざまな結果を独特の語り口で大変興味深い内容のものでした。私の仕事の領域に近い内容でしたので、この内容は他の方も知っていると役に立つものであり、これからも炭を再認識して、環境の問題に回答を出せる可能性を持っているものと思いここに記録しておきます。
 まず、炭には大きく2種のものがある、黒炭(バーベキュウなどで使用されるマングローブ炭)と白炭(備長炭など)、この二種は全く違った性質を持っていること、炭はその性質を間違いなく使えば多くの生活上の利益があること、また島田先生はこれら性質を他の植物や草が既存のものよりも良く持っているのではないかとその研究とその応用法について様々な実験をおこなっていることなどを話してくれました。
 様々な性質の一つに吸着の性質がありますがその作用の原理は化学的反応ではなく物理的反応であるということ、つまり吸着する物質を炭の持つ<孔>に取りこむということでした。その意味は繰り返しその効果が得られること。その孔の量は炭の表面積で表すことができ、親指大(約1グラム)の大きさの炭の表面積は約300平方メートル=テニスコートの広さ。だそうです。そして低温(600~800℃)で焼く黒炭はアルカリ性のものを吸着し、疎水性でマクロ孔をもっている、高温(1000~1200℃)で焼く白炭は酸性のものを吸着し親水性でミクロ孔を持っている、黒炭は炭素の結合が緩いので土に還りやすい。炭は95~97%が炭素、残りはミネラル分
 これらの性質を理解した上で生活に有効に応用することができる。その例として、燃料(マングローブ炭、岩手切り炭、備長炭)、茶道炭、工業炭、電磁波防止、土壌改良(保水性、透水性)研磨炭、消臭炭、家畜飼料、農薬吸着、調湿性能、融雪、堆肥、お花炭、生活健康資材、画用炭などなど 炭の性質は知れば知るほどおもしろい。
 私たちが実行した屋根緑化の一つ横浜のいえのイチゴ屋根の家で使用した土壌の中には土壌改良材として炭が入っていました。が
 生活の中に炭を応用してかなり成果が上がりそうな研究成果の発表でした。先生もおっしゃってましたが、これら成果を登録して私物化するおつもりはないとのこと、新たな炭の使用体験やその経験談などご意見をいただければ嶋田先生にお伝えします。