ヒーリングデザイン@メモ

スッと抜けていくそよ風、電気を消して気づく明るい月あかり、ぬくぬく日だまりの縁側。安心して暮らせるヒーリング空間つくり

桜の木

2011-06-29 | スローライフ
本日までで反対署名は 192名になりました。

たとえ一本の木だろうと近隣の人はその木と共に生きて、それなりのストーリーをもっています。
それはその人の心の風景に刻まれています。風景を全くなくしてしまった東北の人達の思いはドンなでしょう。
それを自らの手で壊してしまうことはしてはならないことだと思います。

世田谷区のみどりに関する取り組みは進んでいる方だと思います。
しかしそこには畳分があるだけで相変わらず、実態のない空虚は運用敷かされていないのが事実のようです。
大きな木を伐る場合届け出が必要という条例はありますが危険という木の場合はその必要がないとのことです。
つまりこの条例を運用するまちづくり課は公園管理事務所が判断すれば一切関知しないとのことです。
つまり今回の桜の大木の伐採については始めて聞く話とのことでした。しかしこの管理事務所が今回改めて木の精密診断を行うと公示しました。
ということは前の危険だから伐採するという公示そのものにはなにも危険という根拠ななく伐採を決定していたわけです。これでは全くのざる法ですね。

その上世田谷みどり33という遠大な計画を推進するべきみどり政策課でも伐採の情報は知りませんでした。
つまりみどりを世田谷全域の33%まで拡げるという政策は植えるもの増えるモノにのみ加算され切られてしま打合せモノは計算に入っていないという、
実態のない計画になっているということが判明しました。これは市民の側に立った行政ではない旧態以前としたものです。

ここにきづかないと本当の街つくり(私はまち育てといっていますが)は出来ません。
又報告します。

みどりや街つくりに関心ある方ご意見ください。

桜の古木が伐られてしまいます

2011-06-24 | スローライフ
私達が普段通っている緑道の桜の木が伐られてしまいます。
以下 反対の趣意書です。

私達は反対します。

<この桜の木が腐っているため伐採します> との告知が6月24日に出されました。私達は以下の理由でこの桜の木を伐採することに反対します。

伐採に反対する理由
1:樹木医は腐っていると意見を述べているとのことですが、腐朽の程度が明確ではありません。伐採するに至った具体的な説明がまったくありません。

2:腐朽が進んでいるとして、木を生かすための工夫や方法を専門的に検討したのでしょうか。樹を生かす方法は間違いなくあるとの意見もあります。(今回の震災で残った樹の生かし方に取り組んでいる方)
倒れて危険ということであれば,危険を避ける処置が伐採という手段だけというのも納得いかない事です。

3:腐朽が進んでいるとして、保全をするべき担当部署の責任はどうなのでしょうか? この樹に限らず切りっぱなしの剪定を長年みてきました。今ではこの緑道沿いの大きな樹が次々に伐られています。そのうち樹がなくなるのではないかと心配です。

4:近隣の皆さんや通行の皆さんは桜の季節になれば花を楽しみ、夏は涼しさを提供してくれ、プライバシーを守ってきたこの木は長年愛されてきました。近隣のシンボルとしてのその役割は大きなものです。
市街地の中の樹は雨水を保有する自然のダムです。根に蓄えられた水分が付近に涼しさと適当な湿度を保ってくれています。

たった<一本の木>ですが長年にわたり、私達にたくさんの楽しみや利益を与えてくれているものを、ただ腐ってきたというだけで、簡単に伐採してよいものでしょうか? 陸前高田や松島では一本だけ残った松の木を震災のシンボルとして助けるために多くの人々が懸命な努力をしています。又、国全体で省エネを進めるべき今、木を伐るということより、いかに残すかを考える時代になっていると考えます。 このような理由で私達は世田谷公園管理事務所のこの決定に反対いたします。

伐採反対に賛同される皆様の署名を集めています。よろしくお願いいたします。
蛇崩川緑道 桜の樹伐採に反対する会


Manhattan JAZZ Orchestra

2011-04-21 | スローライフ
昨夜はブルーノート 東京 <Manhattan JAZZ Orchestra> ビックバンドジャズを聴きに行った。卒業生の招待だった。夜9:30開演、暗い気持ちが続いた時間に新鮮な明るい、楽しい気分に浸れた夜でした。

驚異的なアンサンブルの演奏ということだけでなく、<Pray or Play for Japan> という来日してすぐに創った曲の穏やかさや、
作曲したアレンジャー/ピアニストのデビィット.トリビュートの愛情あふれるトーク、

何より彼自身が半身が効かないことをモノともせず片手での演奏やトークをしてくれたことです。
きっと健常のだった頃は両手で演奏をしていたのでしょう。しかし体に障害が出た後も16人からの人を率いて且つ日本人のプレイヤーを招いてここまで見事な演奏を披露してくれたことでした。

なにより今の日本の人達に問わず語りに<Pray for Japan>を発信してくれているようで何もかにもがすばらしい一夜を過ごさせてもらいました。
今はB.N.Tの社員になった我が卒業生に感謝。

日本 今

2011-03-23 | スローライフ
衛星写真日本の夜、東北地方の暗さ、計画停電中の東京の明るさ。この差が大きい心の紗,昔の写真ではこんなに何処も明る過ぎる日本


大地震、大津波、原発

2011-03-16 | スローライフ
今だに信じがたい災害、阪神大震災の時も中越地震の時もあるいはインド沖地震の時も
これだけの激しい破壊と悲しみを経験していない。
四川大地震の時、ニュージーランドの時の惨状は変わらないはずなのに、でも何か違う。

90%以上の確立で地震発生すると言われてきて普段からその備えや施設建設をしてきたのに!
人の知の限界が経済というさらに大きな領域に制限されて人をさらに不幸にする。

建築設計という仕事に携わっているから、この限界ということが理解できてしまう不幸。

<東電に電気がない!>始めに聞いたとき耳を疑った。電気をつくる会社に電気がないって?
それでどうなるの? これが金曜日のこと。たくさんの電源車が原発に支援に向かって
いるというニュースにもあまり安心感がなかった。

東電の今までの隠蔽体質を知っていたから。何処まで本当のことを発信しているのか?
この原発設計の際に弁の取り付けをしなかった、国際情勢の中で後からつけたその弁が
今では唯一の命綱になっているという危機管理感覚。
いくら技術が優秀でもそれを扱う人の考え、あるいは経済という枠組みが正しい技術の
使い方を忘れてしまう。武谷三男の書いていた世界が今現出してしまった。

政府が直接管理指揮する体制になった今、世界中の人類の知恵を結集して事態を出来る
だけ早く終息してもらいたい。
そして地震、津波災害支援に国力の全てを傾けられるようにしてもらいたい。

あの神戸の時、建築家ボランティアとして現地に赴き、被災された多くの人と
接した時、人のあの安心した顔は今でも思い出します。
建築という専門のことよりも心のケアををしてきたのだなとつくづく思っています。

今何が出来るということより、現地を想っているということの持続が大切だと考えます。
物資や燃料が足りないというのにガソリンスタンドに並ぶ東京の車達、ティッシュを
買いあさる都会の人達。石油ショックの時とは状況が全く違うのです。
被災地では都会人が買いあさっているモノが足りないのです。

このような想いのない風景は私の好きなあの日本人の真の姿ではないのだと思いたい。

正月富士

2010-01-02 | スローライフ
正月2日駒沢公園のドッグランへ行く、犬たちにとっては当然のことだが、今日は正月、ということに一切関係なく喜んで中に突入していった。いつも土日に比べ込んでいない場内を気に入った仲間捜しをしてうろうろ歩き回っていた。
帰り道いつもの正月のように富士山がくっきりと見えるかと思いつつ例の歩道橋に上に立って見たのだが、いつのことか見えるはずの中間に黒いマンションが出来てしまい肝心の富士山が見えにくくなっていたのだ。その上いつものようには空気がきれいではなく、昨日(正月1日)の夕方偶然見かけた見たまだ明るさののこるダイダイ色の空の中にくっきりしたあぶる出された山のシルエット(こんなにも近いところに合ったのだろうかという位に大きかった富士山)があまりにも美しくてその思いが残っているので、少々残念な気持ちでした。しかし区内でこれほどにはっきりと富士山が見えるということは、過去(江戸時代と云わず、つい最近まで)には富士という山と東京は目に見えるかたちで繋がっていて、たとえ独立峰とはいえ(日本のおおかたの地方の風景は必ずといっていいほどに山(峰続きの山塊)に囲まれている山の様子とは違い)心を安心させたり、象徴にしたり何らかの形で山が人の心の中に存在していたのでしょう。
 子供の頃は環七から良くこの富士を見ながら学校から帰宅したなーなどと思いにふけりつつ、犬とともに帰宅。

エココン2009

2009-12-30 | 新しい風
全国大学生環境コンテスト2009が12月26日27日の両日実施されました。第一日目はグループ選考。日本全国の大学から参加した58団体がそれぞれの活動を分り易くつたえました。相互に交流を図って自分たちの活動の力にしようと一生懸命でした。
昨年は私の関係グループの実践力が評価されて準グランプリを得た会でした。今年も特徴ある団体が参加していました。中でも私が選考に参画した代表グループが昨年と同様十分な説得力を持って発表し、二日目の最終選考でも力を発揮してグランプリを獲得しました。
このグループは他のグループとは少々異なった様子があり注目していました。その理由はほとんどのグループが持続性を大切にしているのに、このグループは唯一来年度には解散ということを公言しているのです。
なぜなのか?大学生の地域おこし、特に環境問題ということを典型的な過疎の農村でテーマに掲げなにか地元の方達に参加を願ってもそれは無理。それよりも土地に住んでる人が出来ることを引き出して、それを軸にして発展させる。接着剤としての大学生というスタンスでいれば、次期のことは学生が入れ替わって上手くいく保証はない。地元の人達が自立して実施できればそれが本当の活動。このような考えから来年度のことは分からないという理由から来年度解散ということをいっていることが分かれば、ああ本当の活動とはこのような責任を伴うことだと教えてくれる取り組みに出会ったと嬉しくおもいました。
最新のニュースではどうやらこのグループと私の関係するグループが手を組むような雰囲気があり、ぜひとも提携によってより力強い取り組みになっていければ良いなと考えています。

2009-07-20 | スローライフ
今日の虹を見た。夕方、いつもしているように環七付近の頭上をフッと見上げると、目線の先の建物の間に南から東にかけて大きな虹を見つけた。久しぶりの出会い。憂鬱な試験を控えた重い頭にグウッときて久しぶりに爽快な気分。
本当は自分で気づかないうちにもっと多くの虹がこの東京の空は出現しているのでしょうね。田舎にいれば誰もが気づくことだのに、この大都会の霧が多くの記憶を薄らいでしまう。

富岡八幡宮例大祭

2008-08-17 | スローライフ
富岡八幡宮例大祭を見に行きました。3年に一度の大祭、何年ぶりかの見学、以前は夏の真っ盛りでその迫力と暑さに圧倒されたのでしたが、今日はうって変わって雨まじりの肌寒い一日でした。しかし祭りは見物人の感慨に関係なくどうどうと進行していました。圧倒的で元気なワッショイ、ワッショイのかけ声、見物人と一体に」拍子を取って約120基の望外な数の御神輿が目の前を通過していきました。参加している人の笑顔、祭りの別名「水掛祭り」の名のごとくに消防隊の用意した、大量の水を担ぎ手と御輿に景気よく威勢良くバッシャバッシャバッシャとかけていました。水によって勢いを増した御輿はまたまた威勢良く先に進んでモンデ揚げて回ってゆらゆらと進んで行きました。
この元気を 分けてもらってこの体の中の悪い奴に負けないだけの力をもらってきました。元気に生きる。
(ぐうぜんかどうか本日の朝日新聞の社説は世界の水危機のことでした、考えてしまいますが......

もち上がる海

2007-11-15 | 新しい風
もち上がる海  
台風の翌日の大浦
無効のボウソウの山を
追いこそうとしているかのような
海の色、音

波と同じ形の山々あたかも
相似形の波の高さが山を
追いこしていく
勢い つよさ エネルギー

  地球

失敗学のすすめ

2006-10-04 | スローライフ
今、若い家族で盛んなこと、子育てに父親が積極的に関わること。今まで母親がになってきた部分にも父親が係わって子育てをし始めたこと。先日の杉並グリーンマップ プロジェクトで確信が持てたことは4年生には見られなくて6年生に見られたことの顕著な傾向は私達のワークショップに対し、子供のような無邪気さではなく大人びた感じのこと。
それは大人がこうあって欲しいと言うことを先回りして感じ取り、大人が満足するように行動することであった。

このことは先の父親が子育てに係わってできるだけ子供が失敗しないように、事細かに指導することが普通になってきて、子供が無邪気に初めてのモノに触れたとき、一瞬失敗しないように事を進める方法を考えてしまうからなのではないかと思うようになってきた。我々が子供の頃おこらえれることはあっても、父親から事細かな生活指導を受けた覚えはなく、たくさんの初体験を子供らしくしてきたのだと思う。

 最近の」様々な問題は失敗することによって得られるたくさんの知恵と自分発見を知らない子供たちが、結局うまくいかなくなったとき、どうしようもなく行動してしまうからなのでは内だろうか。子供と一緒にすぐ事が多くなった父親が増えることはとても大切なことであると考えるがだからこそ子供に失敗してもう経験を指導すれば良いのにナー。子供が木から落ちて血を流しても良かったな、とてもいい経験をしたねといってあげられる関係を築くといい。

● このたびこのようなことを、地球環境の変化とこれらの問題と結びつけ平易に解説する試みをします。今までになかった事件や事故がたくさん起ることと地球環境の変化との関係を経験35年の一建築家として読み解く試みを初めておこないます。是非聞きに来てください○10月7日(土)15時より毎週3回 相模原市民大学で<安心立命のデザイン>の講演です。場所:女子美術大学 問い合わせは042-756-3443      詳しくはhttp://blog.goo.ne.jp/vj9k-aknm

「あなたの「癒し」は何ですか?」

2006-09-17 | スローライフ

海に行って海と空を見てスケッチなどしながら静かに過ごせば心晴れ晴れ。

シーカヤックにのり自分の力だけ頼りに海に出帆、これはほんと!海←空から力をもらって、一体感そのもの、体も心もリフレッシュ。

散歩

2006-09-09 | スローライフ
今日は何時に起きましたか? TB練習のお題
夜更かしの習慣病なので何時でもねむい。土日を控えた週は早く寝て、睡眠貯蓄をすればよいモノをかえって夜更かしが進む。
では、遅く起きればいいのに!!  
そういうわけに行かない。朝 必ずじっと見ている目を感じる。 夜は別のところに寝ているTEDDY(犬)がその時間にはベットの下にきて、何も声も立てずにじっとこちらを見ている目なのだ。もう十年間この目を感じて起きてきた。今日も夜更かし、TEDDYはもうしっかり寝ているし明日は土曜だからOFF、でもきっとあの時間に起きて勇んで散歩するのでしょう。
ああ あくびが!!

粘土と子供

2006-09-06 | スローライフ
子供の皮膚感覚が大人とは違う。こんな意味にとれる記述に出会ったとき、釈然としなかった様々なことが一気に納得いったような気分になり、しばらくの間本当はどうなんだ、実際に自分の子供時代の記憶や人の意見で自分を納得させるための方策にいそしんでいたそれも楽しみつつ、しかもわくわくしながら探求していた。その文章とは中川織江さんの<粘土遊びの心理学 ヒトがつくる、チンパンジーがこねる>(風間書房)
 子供は平気で虫(たとえばミミズ)をつかむ、大人はそれができない。こどもは平気で人の顔をさわりにくる、おとなはそれはできない。単純に知識や経験が増えるからできること、できないことを頭で理解して自分の行動を規制しているのか?それにしてはさわるのが気持ち悪いなどの感覚がどうしても納得いかない。五感の中で皮膚感覚についても食感と同様に好き嫌いが様々ではあるし、大人になって変わっていくという点でもよく似ている。しかしその変化の課程は自分の経験ではミミズを何匹も手に持って釣りなどしていたし、蜂の子やトンボなどと何も考えずに一緒に遊んだことも今ではコンポストのミミズですら初めはこわごわ触るというようなことが当たり前のことに対し、食べ物は好き嫌いがもともとなかったせいか、あまり変わってはいない。いったい何で同じヒトにこのようなことが起きるのか?
 この本の解説写真の中に子供が粘土に指をつっこんだいたり、粘土にお腹をつけて腹ばいになったり、枕にして寝ていたり、お面のように顔にぴったりつけて遊んでいたりする図をみて大人は滅多にやらないナーという感想を持ちつつ文章を読むと子供は<かたまりのなかに腕や手をつっ込むなど、対象のなかに自分の体をめり込ませるのは「触覚そのもの」世界で><私たちの体は厚みと丸みと暖かさを持ち、三次元の世界のものに触れ、実感して生きています。ヒトの体は{もの}ではなく、{知覚の相対}です。自分の体と外界の境がはっきりしている大人と違って、子どもはまだ自分の体の境界がはっきりしていません、><体の発達が未分化な子どもは、身体感覚を発達させ安定させるために、あらゆる知覚刺激を求めています。>。。。。自分の体の境界がはっきり自覚できないヒト、外見上は体があっても本人の感覚では雲のように自分の境がふわふわしているのだとすれば、虫だろうが何だろうが自分と一体と感じているのだ、つまり、彼らは自然と一体のものなのか。大人はそれにたいして人間圏の中に自分を引き入れてしまうことによって自然とは一線を隔してしまう、こんな感じのことで頭が充満して、半分は納得していたところ、先日小学生と大学生が一緒に杉並区のニコニコロードの商店街のグリーンマップつくりのワークショップを実施したときはっきり子どもは自然だということが正しいのではないかと思えた。それは小学生が人工的なものしか目立たない商店街の中で大人はめったに気づけない小さな自然を沢山発見していた、大勢の大人の中で四つ葉のクローバーを瞬間に発見して手にしていたのを目撃すして子ども=自然に改めて納得。
 さて、このことはまだまだ研究中のことで、今後も事例を見つけていきたいと考えているのですが、この文を読んで心当たりある方は是非教えてください。
 
 

巨大恐竜博2006

2006-08-17 | スローライフ
幕張メッセの大恐竜展に行ってきました。かなり学術的な内容にもかかわらず、子供たちが両親と一緒にきていました。熱心に(かなり熱心な顔つきで)大きな恐竜の化石に見入っていました。内容が難しいのでガイダンスのヘッドホーンを借りてまわってきました。スケール感がどうしても感じたくて行ってきたのですスーパーザウルスなど巨大さで圧倒されてしまうものから、かなりかわいらしいものまで様々で現場で当時を空想すると人類と地球との関係など現実感を持って感じることができました。
  中でも印象的だったのは展示最後の部分で地球は5回にわたって生物の90%近くが絶滅してきた事実の後に私たち人類に進化して地球の支配者になっているが6度目の絶滅の危機を迎えそうな今その原因は今までの自然現象と違って人為的なものだということ、ということは今まで5度の絶滅危機は誰も何ともできなかったが6度目は防ぐことができる種類のものであるというアナウンスでありました。
 地球環境は徐々に悪くなるのではなく、幾何級数的に悪くなっていくことは既に実証されていることなので今が危機回避の時期なのです。
その後ショップで購入した<アフターマン>という人類滅亡後の地球を支配する動物世界という本に<人類という支配者がいなくなった動物界は、進化の大混乱期に突入した>という記述があって、2億年前の中生代、地上の支配者は恐竜で同時期に人類の祖先であるほ乳類も同時期にいたのだが大した進化もできなかった。が恐竜が絶滅した後ほ乳類の大進化が起き、人類という種が出てきたことは宇宙では自然の摂理というものが繰り返し行われていてカオス理論の定常性の仮説が正しいようにますます思え 人は?とか自分は?とか思わずうなってしまいました。以下資料
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中生代に起こったできごと
三畳紀(トリアス紀) (2億4700万~2億1200万年前)
*超大陸パンゲアが分裂
*恐竜の出現
*ほ乳類の出現
ジュラ紀 (2億1200万~1億4300万年前)
*恐竜をはじめとするハ虫類の大繁栄
*原始的な鳥類の出現
白亜紀(1億4300万~6500万年前)
*恐竜の絶滅 出現から絶滅まで 約2億年間
   初期人類出現から現在まで 約800万年

1. アメリカのワシントン州立大学のサイトから「人の種の期間線表」