ヒーリングデザイン@メモ

スッと抜けていくそよ風、電気を消して気づく明るい月あかり、ぬくぬく日だまりの縁側。安心して暮らせるヒーリング空間つくり

ご近所の底力

2004-09-24 | スローライフ
 NHKの番組で<ご近所の底力>という番組では、さまざまな近隣での問題点を地元の マチ力 によって解決する、あのアイデアや行動力はとても大きな力を持っているナーと思って、出来るだけ見るようにしています。あの番組では個々の知恵やアイデアよりも、まちにとって何が大切なのかを教えてくれています。それは、あの番組のパターンが水戸黄門的パターンであって、いままでの番組はほとんど、問題解決型です。なにかマチでの問題があって、その問題を町の人が知恵を出し合って、力を合わせて解決していくというパターンです。水戸黄門的の番組もある場所に問題があってその問題をたまたま通りがかった彼らが解決していくという点です。まちづくりという点では問題があってそれから、そのきっかけを基として、新しいまちづくりの基礎にしていくという可能性をもっています、この点がいろいろ参考になるポイントです。したがって、ほんとうにその後のまちづくり(マチ育て)が出来たのだろうか?と気になっているところです。あれだけのことが出来たのだから、もっとマチのコミュニケーションを高めるための運動が生まれただろうな、、、、、とか
 かって、阪神大震災の時ご近所の底力が実際発揮された(ご近所の方が倒れた住宅から次から次に人を救助していた)それは普段からのおつきあいというコミュニケーションがあそこの部屋にAさんは寝ていたということをよく知っていて、的確に救助活動が行えたとのことです、この記憶がマチの復興に生かされて、まちづくりの基礎になっていきました。コレクティブハウス(メゾンいっこくのような共同生活スタイルの住宅)が被災地域には多いのはそのわけです。
 NHKの番組でその後日談としてマチ育てまで発展した例を取材して放映してもらいたいものです。
当たり前ですがマチの問題は結局、個々の構成員(そこに住む人たち)個人の問題に還っていく問題です。マチの問題解決から始まって、マチづくり(マチ育て)まで成長した例やそうでなくても、マチ育てを実際おこなっている、例に関心があります。
ただの問題解決型のまちづくりより、本当にマチをどんどん育てて、すばらしい安心で皆が生き生きしているマチ育ての実例に関心があります。子づくり、家づくり、まちづくりが終わった後は子育て、家育て、マチ育てです。そして後者が真に持続型、循環型の時代をしっかりとらえた有機的なマチを(人の心を)作り出す大切な考えになると思っています。
 今あるマチづくり計画に関わって強く思うことです。
 

絵本について 1

2004-09-14 | 若い人からの示唆
 絵本について、若い人と話し合ったことを少し雑記的にまとめておきたい。その人は絵本を見ると、ページから音やリズムが自然に聞こえてくるといいました。自分は小さいときから絵本が好きで、高校の時も絵本を研究するクラブ活動を行っていて、今絵本の持つ特別な力を他の人にも是非判ってもらいたい。そのための手段を探したい、といっていました。不思議なもので絵本とはいっても、字が書いてあるものが大半で、例えば字のない絵本でもそのような特別な感覚に入ることができるのか?とか本屋に行って絵本のコーナーの上級生用のものはどんどん字が多くなってきているのはなぜなのかとか、については専門の方が研究をされていることなので、まかせるとして、絵本を読む心のことに触れておきたい。
 昨今小学生が引き起こす事件が頻繁に起きていますが、その背景をさぐる討論会が放映されていました。そこで驚いたことは小学生の高学年の者の過半数以上の生徒が死者は生き返ることを信じている、という内容の発表を聞いたときでした。<子供は別の世界を持っている>と改めて思い知ったのでした。
 ゲームにしろ映画にしろ死者は死者でなく何かがおきれば、再生するといったものが多いです。子供はフィクションであるということを理解することできないで逆にその世界にはいっていってしまうのではないか。絵本もあの絵の世界に実際はいって活動するのが子供の心なのではないか?と考えると彼女が言った、絵本を開くと自然におとが聞こえてくるということは、子供の時、絵本の世界に気持ちが入って経験したことが、いまその絵本を見ると、記憶の中から沸々とわいて来るのではないかと考えたのです。
 そんな考えが、合理的かどうかは別にして、絵本を見ることによってそんなすばらしい、ことがおきるのならば是非他の人にも、知ってもらいたいでしょう。反応は人様々でしょうが、きっと何かがおきるのではないか?絵本が嫌いだった子はあまりきいたことがないから。

炭:忘れない用メモ2

2004-09-12 | スローライフ
炭についての記録をして、その後いろいろ調べたことをとりあえずまとめてみました。私達の仕事では炭を使う機会は床下に調湿用の炭を敷き詰めたり、屋根緑化の土壌改良剤として使用したり、水の浄水に使用するといったがほとんどでしたが、WEB上で調べてみればお風呂に入れその遠熱効果を利用したり、アトピーの治療に利用したり、あるいは調理の際に利用したりなど様々な使い方をしている様子。いずれも私自身で使ってのこてではないので、今度試してみるつもりですが、これら情報のほとんどは備長炭などの白炭の利用でした。その中でこのBLOGのテーマのヒーリングの分野で気になった記事は以下のものです。「いい炭ne.jp」の記事で炭のマイナスイオン効果について解説しているものです。<http://www.e-sumi.ne.jp/>以下はその記事概要の転記です。記:炭には、マイナスイオンを増加して、副交感神経にはたらきかけ、心身をリラックスさせる鎮静効果があると言われている。他にも、炭を使うとマイナスイオンのはたらきで、ものが傷むのを遅らせてくれる効果があるという説もある。もしかして、あなたの「老化」防止効果もあるかも?その秘密とは…?
ものから電子(マイナス)が離れていくことが酸化(ものが傷む、老化が進むなどのこと)
一方、炭の主な成分Y素A周りに電子を集めてたくわえ、逆に電子の足りないものに分け与えてくれるはたらきがある
つまり炭から与えられた電子がくっつき戻ってくれば、ものは長持ちし、元気になる。そして、人間も若々しく… 以上
以下のURLは炭を実際生産所が紹介されているサイトです。
http://members10.tsukaeru.net/mugengama/
まだまだ、調べてみればいろいろの使い道があるようです。
もう少し炭の調べを進めて行きたいと考えています。

炭:忘れない用メモ1

2004-09-10 | スローライフ
昨日、相模原市にある麻布大学が開催している市民大学を聞きに行きました。またまた、とても興味深いお話を聞くことが出来ました。環境政策学科生物環境研究室 の嶋田英作先生のお話で<私たちの生活と炭>というテーマで、私たちもよく知っている炭についての研究成果の中間的な段階での発表ということでした。さまざまな結果を独特の語り口で大変興味深い内容のものでした。私の仕事の領域に近い内容でしたので、この内容は他の方も知っていると役に立つものであり、これからも炭を再認識して、環境の問題に回答を出せる可能性を持っているものと思いここに記録しておきます。
 まず、炭には大きく2種のものがある、黒炭(バーベキュウなどで使用されるマングローブ炭)と白炭(備長炭など)、この二種は全く違った性質を持っていること、炭はその性質を間違いなく使えば多くの生活上の利益があること、また島田先生はこれら性質を他の植物や草が既存のものよりも良く持っているのではないかとその研究とその応用法について様々な実験をおこなっていることなどを話してくれました。
 様々な性質の一つに吸着の性質がありますがその作用の原理は化学的反応ではなく物理的反応であるということ、つまり吸着する物質を炭の持つ<孔>に取りこむということでした。その意味は繰り返しその効果が得られること。その孔の量は炭の表面積で表すことができ、親指大(約1グラム)の大きさの炭の表面積は約300平方メートル=テニスコートの広さ。だそうです。そして低温(600~800℃)で焼く黒炭はアルカリ性のものを吸着し、疎水性でマクロ孔をもっている、高温(1000~1200℃)で焼く白炭は酸性のものを吸着し親水性でミクロ孔を持っている、黒炭は炭素の結合が緩いので土に還りやすい。炭は95~97%が炭素、残りはミネラル分
 これらの性質を理解した上で生活に有効に応用することができる。その例として、燃料(マングローブ炭、岩手切り炭、備長炭)、茶道炭、工業炭、電磁波防止、土壌改良(保水性、透水性)研磨炭、消臭炭、家畜飼料、農薬吸着、調湿性能、融雪、堆肥、お花炭、生活健康資材、画用炭などなど 炭の性質は知れば知るほどおもしろい。
 私たちが実行した屋根緑化の一つ横浜のいえのイチゴ屋根の家で使用した土壌の中には土壌改良材として炭が入っていました。が
 生活の中に炭を応用してかなり成果が上がりそうな研究成果の発表でした。先生もおっしゃってましたが、これら成果を登録して私物化するおつもりはないとのこと、新たな炭の使用体験やその経験談などご意見をいただければ嶋田先生にお伝えします。

車とまちについて 3

2004-09-07 | 地球環境と空間デザイン
旧中山道の代表的宿場町である奈良井宿で自動車が似合わないということについて書いてきました。そしていろいろな人からご意見をいただきました。
 その多くは歴史的な町並みには似合わないという意見が大半でした。私が感じたことは多くの人が同じように感じたのです。
 ただ改めていろいろ考えてみました、ここの場合は単なるな観光地と違い、まち全体が生活をしている=生活が息づいている、町なのだという事は忘れてはならないことです。此の地域で車のない生活が現実の問題として可能なのかということ、特に高齢化が進んだ社会で個々人が自由に移動でき社会経験をしていくことは、これからの時代大切なことでもあります。新しい交通サービス(システム)などが導入され他という話ではありません、今現在の方法で車による移動意外に個人が自由に遠くへ移動できる、可能性のある手段はなにがあるでしょう?健常者であれば移動手段の選択肢は多い、しかし傷害があったり、年を取ってくれば、その選択肢は限られてくるのです。かといって奈良井のようなまちに車は必要であるといっているのではありません。しかし、これから真剣に考えなければならない問題であることは確かです。一般の地域で車の問題を考えたとき、地球環境のために車は排除して、大量輸送機関、歩く、自転車を活用すべきという主張に間違いがあろうはずはありません。ただ、これからの高齢化の社会では、単純にそれだけを言って、すませているわけにはいかないはずです。既に ITS が第2世代に入ったといいます。技術の進歩に期待することがあることは事実ですが、もっと知恵が必要な感じがしています。まだ答えがわかりません。どなたか意見を下さい。

奈良井宿とまち育て2

2004-09-04 | 地球環境と空間デザイン
今、ある地域で新たな方向性を持った、新しい視点を持った、まちづくりに参加しています。新しい次代の子供達やそのまた子供達に残してあげられる誇らしい<まち>とは一体どのような<まち>なのか?まだあまり例のないことで手探りでそれを見つけようとしています。是非いろいろなお知恵を聞かせて下さい。 
 今はっきりしていることは今まで長いこと空間デザインの専門家として手がけてきた経験からはっきり言えることは次のようなことです。先の記事でかいたの奈良井の例にして今回のまちづくり計画にしても、本当に安心できる場にはすてきな音があったり、日の光があったり、季節の匂いがしていたりと決して写真のような、形良いものや見た目のものだけではないということです。空間をデザインすることは決してビジュアルなものだけではないのだということです。優れたデザイン(インテリアであれ建築であれ外部空間であれどんなジャンルも)とは5感で感じるものだということです。一方ではある瞬間、優れた(優れていない)空間として感じたことは決して2度とその瞬間はあり得ない(プリゴジン=不可逆の法則)ただの記憶としてそれぞれの頭脳に残っていくだけ。それが空間デザインの特徴でもあります。空間をデザインするときは人間としての感性と動物としての感覚と双方の濃密な入り混じり合いが必要です。
 こんなことを考えの中に入れて、具体的な方策やこの場所の持っている個性を大切にした計画案を創造できればと考えているところです。いろいろご意見お知恵を下さい。
 

奈良井宿でのこと 1

2004-09-02 | スローライフ
先日機会あって、2年ぶりに長野県の奈良井宿に行ってきました。この宿場は中山道の最大の難所といわれていた、鳥井峠越えの準備の宿場として、栄えたところです。約1キロの宿場まち全体が重要伝統的建造物保存地区に指定され、観光としてだけではなく、日常生活が生きている宿場町として市民と行政が一体となって嘗ての姿を保存しつつ、新たなライフスタイルをじょうずに取り入れています、ガラッと格子戸を開けると中はスーパーだったり、肉屋だったり、喫茶店だったりするのですが、外観的には昔の風情がそのまんまになっている、そんなすてきな町並みです。以前は私達の企画で<森の学校>を開催した際には、まちの人たちや役場の方達にご協力して頂いてずいぶんと充実した時間を送らせて頂いた、忘れられない場所です。久しぶりにたづねてみましたが、もう当地はすっかり秋の気配が濃厚で、あっちこっちに咲いているコスモスをいつものように、鑑賞したり町並みの風情に浸ったりしていたのですが、何となくいつもと違う違和感を感じていました。一体その正体は何だろうかといぶかしげにいたのですが、始めてそこを訪れた学生の一人が、ぽつっと<車の存在が似合わない>といいました。いくら電線を隠そうと努め町並みを保存しよう努力しても、車の持つ独特のイメージが似合わないと言ったのです。確かにずっと前ここを訪ねたときは、車を見かけることはめったになかったのですが、それが徐々だったので、増えて来たことにはあまり気づかなかったのでしょう。もしくは感覚がすっかりならされて鈍ってしまっていたのでしょう。この学生の言葉にはっとさせられました。建築家としてこの問題に対しての提案ができなければ、なにもしたことにならないと新たな課題を(町育ての点からはかなり象徴的は)突きつけられました。もし、これを読んだ方が何かご意見をお持ちでしたら是非お聞かせ下さい。