反町ジャパン北京五輪出場決定!
「うれしくて、言葉にできず涙が出た。最終予選でキャプテンを任され、プレッシャーがあった。カタール戦(10月17日)に負けて、最後、こういう形で終われて、全部の感情がわき出た。今まで反町さんの下で積み重ねてきた練習のおかげ。今日はサポーターの応援もあったおかげだと思う」
試合終了の瞬間、思わず両手を合わせて天を仰いだ。涙が止まらない。主将の水本はフェースガードの上から顔を両手で覆った。
「ベトナム遠征前にひざを痛め、さらにその試合で鼻骨骨折。精神的にも肉体的もきつい時期もあった。でも弱音ははかないと決めていた」
勝利を、ゴールを求めて攻めてくる相手を、体を張って止めた。苦しいときはサウジ戦前に全選手、スタッフから寄せ書きをしてもらったキャプテンマークを見ながら歯を食いしばった。2人の大先輩の姿も、力をもたらしてくれた。
16日にA代表のイビチャ・オシム監督(66)が脳梗塞(こうそく)に倒れた。病魔と闘う恩師に、朗報を届けることができた。育ててくれた恩人への感謝の気持ちは、人一倍だ。
「オシムさんが倒れたと聞いたときはかなり動揺した。頭がぼーっとして何も考えられなくなった。オシムさんが夢に出てきた。ぼくがプロになって初めての監督、自分を育ててくれた人。オシムさんに朗報を届けるため、必ず北京に行くぞという気持ちが強くなった」
「実はぼくの祖母2人も脳梗塞をやってるので、オシムさんがどんな状況か想像できる。今は、早く良くなることを祈るしかない。シーズンが残っているので見舞いはその後、状態を見てから。オシムさんは本当の“プロ”、最後までしっかり戦うことを望むはずだ」
4万を超える大歓声が止まない国立競技場。ウオーターファイトのあと、フェースガードを外した水本は仲間たちと抱き合った。瞳は濡れたまま。念願の北京。日本のサッカーを、自身の力を、世界で試す絶好の機会となる。主将はまっすぐ前を向いた。
「オシムさんが見てたら、まだまだダメだなと言われてると思う。病気から回復したら、成長した姿をみせたい」
■水本裕貴(みずもと・ひろき)
1985(昭和60)年9月12日、三重県御薗村(現伊勢市)生まれ、22歳。三重・梅村学園から04年に市原(現千葉)入団。J初出場は同年6月20日の大分戦、初得点は06年7月の広島戦。J今季29試合1得点。同通算74試合2得点。日本代表ではU-18世代から選出され続け、昨年10月にはA代表に初招集されガーナ戦で初出場。同通算2試合0得点。U-22代表では伊野波の負傷離脱以降、主将を務める。1メートル83、72キロ。
サッカー北京切符獲得 五輪、4大会連続出場 中日新聞
日本、北京五輪へ=サウジと分け4大会連続-サッカー男子 時事通信
日本サッカー男子、五輪出場決める・4大会連続 日本経済新聞
中日新聞- 時事通信
関連記事 107 件»
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます