全米が背番号「42」でプレー…初の黒人大リーガー・ロビンソンたたえる
ロビンソンが所属したドジャースは、全選手が背番号『42』でパドレス戦に臨んだ。
「人種の壁」を破った史上初の黒人大リーガー、故ジャッキー・ロビンソン(ドジャース)のデビューから60周年を迎え、「ジャッキー・ロビンソン・デー」として、各地で故人の業績をたたえる式典が行われた。試合前にロビンソンの現役時代の映像などが流されたほか、選手らがロビンソンの背番号『42』のユニホームで試合に臨んだ。
「人種の壁」を打ち破った黒人初のメジャーリーガー、ロビンソン。写真は1956年、ブルックリン・ドジャース時代。
全米各球場で、背番号『42』がグラウンドを駆けた。この日は恒例の「ジャッキー・ロビンソン・デー」。史上初の黒人大リーガーの業績をたたえた。
今年はロビンソンのデビューから60周年。04年から制定された記念イベントは、例年より大がかりとなった。パドレス戦が開催されたドジャースの本拠地ドジャースタジアムが主会場となり、米大リーグ機構のセリグ・コミッショナーやロビンソン夫人のレイチェルさんらが出席して式典が行われた。また各球団の主力選手が、全球団で永久欠番となっているロビンソンの背番号『42』のユニホームでプレーした。
この試みは、レッズのケン・グリフィー外野手(37)が米大リーグ機構のセリグ・コミッショナーに提案して実現。ヤンキースのトーリ監督、ジーター、ジャイアンツのボンズらのほか、ドジャースやカージナルスなど計6球団は選手全員が背番号『42』のユニホームでプレーした。
ロビンソンは1947年4月15日、ニューヨークのブルックリン区に本拠を置いていたドジャース(現ロサンゼルス・ドジャース)の内野手でデビュー。その年から新設された新人王の初代受賞者に選出されたほか、49年には最優秀選手賞(MVP)を獲得。現役引退後は黒人の公民権運動にも影響を与え、62年に野球殿堂入り、72年に53歳で死去した。
デビュー50周年の97年に全球団で『42』が永久欠番となったが、当時すでに『42』を付けていたヤンキースの守護神リベラだけは、例外的に現在も『42』でプレーしている。パナマ出身のリベラは「マイノリティー(人種的少数派)として遺産を引き継いでいることを光栄に思う。いまだに付けているのは自分だけで、幸運なことだ」と感慨深げに話した。
★ドジャース・斎藤、42番は「幸せ」
ジャッキー・ロビンソン・デーを白星で飾った。パドレス戦で背番号『42』をつけたドジャースの斎藤隆投手(37)、ロイター=が6点リードの九回に登板。2奪三振無失点に抑えた。「アメリカでしかもドジャースでプレーしているので、この42番は特別です。42番をつけて投げられて幸せだった。偉大さがよくわかりました」と感激していた。
◆3安打のドジャースのラッセル・マーチン捕手(24)
「本当に特別な日だったので、勝ててよかった。(全選手が42番をつけたので)まるで特別なエネルギーをもらったようだった」
今シーズンのドジャースは、調子いいネ☆(笑)
是非19年ぶり7回目のワールドチャンピオンを説に願ってるって感ぢ★(爆)。